仙石浩明の日記

2007年3月9日

コミュニケーション能力の育成を第一とする教育が格差社会を救う

某大学情報系学部が主催した、企業と学生のマッチングイベントに参加させて頂いた。 その学部では、 コミュニケーション能力の育成を最優先に考えているとのこと。 多くの企業は (情報系の) 新卒の学生さんに技術力よりは コミュニケーション能力を求めているというから、 そのニーズに答える形でこのような教育が行なわれるようになったのだろう。

だから責められるべきは大学側ではなく、企業側である。 なぜ情報系の卒業生に、 コンピュータ技術者としての素養ではなく、 コミュニケーション能力を第一に求めてしまうのだろう?

このイベントには、学生さん達による研究発表 (パネル展示) もあったのだが、 研究内容そのものよりも、 いかに分かりやすく説明するか、 さらにいえば、聞きに来た人にいかに満足してもらうか (ひらたく言えば、いかに「わかったつもり」にさせるか) に 重点を置いているという。 企業側参加者に配られたアンケート用紙は、 学生達の対応マナーの良し悪しや、 しゃべり方の巧拙の評価を問う項目ばかりが目立つものだった。 まるでファミレスやスーパーに置いてある「お客様アンケート」のようだったと 言ったら信じてもらえるだろうか?

もちろん私としては、 プレゼンの巧拙なんかには興味がなく、 まして「分かったつもり」状態を何よりも嫌い、 研究内容そのもの (特に発表者その人が研究活動を通して具体的に何を考えたか) に 興味があるわけで、 接客マナーの向上に腐心していた学生さん達には気の毒なのだが、 パネルに書いてあることそっちのけで質問しまくってしまった。

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学生のうちにコミュニケーション能力を身につけていれば、 たしかに就職したときに会社に慣れるのも早いし、 与えられた仕事を要領よくこなすことができるだろう。 技術にのめり込んで人付き合いが下手なまま社会人になるより、 よっぽど明るい未来が待っていそうである。

そもそも技術や学問やその他、フツーの人が興味を持たないようなことに 熱中すること自体が不幸の始まりである。 ちかごろは「ヲタク」が表舞台に登場することも多くなったわけであるが、 富と名声を獲得した「ヲタク」は正に氷山の一角であって、 彼らの成功は累々と築かれた屍の上の砂上の楼閣であることを忘れてはならない。

他の人と違うことに興味を持てば、 当然フツーの人が楽しんでいる娯楽では満足できなくなる。 これはとても大きな不幸である。 新たらしモノ好き、今風の言葉で言えば アーリーアドプタ (early adopter) はとても損をする。 もう少し普及するのを待っていれば安く買えるのに、 どうしてわざわざ値段が高いときに新製品を買うのだろう? 一つ一つの支払額の増分は大したことがないかもしれないが、 塵も積もれば巨額になる。 パソコンの黎明期は、パソコン関連にウン百万円投資した、 などという話は普通に耳にしたが、 今ではパソコン関連に二十万円以上費やすことの方が難しい (しかも何十年も前のウン百万円と言えば今だとその十倍以上の価値がある)。

変わり者が損するのは、物を買うときだけではない。 そもそも社会全体に対するサービスが、 多数派のためのものである。 ロングテールを狙ったサービスなんてのは嘘っぱちで、 ほとんどのサービスは 20% 以下の少数派のことは切り捨てている。 テレビ放送に至っては、 全人口のせいぜい 50% くらいのニーズしか満たしていないはずだが、 どれだけのカネと貴重な電波資源がテレビ放送網の構築に費やされているか 考えてみたことがあるだろうか? 民主主義の原則は「最大多数の最大幸福」である。 多数派に属さない人が切り捨てられて損をするのは当然だろう。 テレビなんて低俗だから見る気がしない、 なんて平然と言っている人の気が知れない。 他の人と同じように振る舞わなければ損をするのである。

血気盛んな青年期を過ぎれば、新しいことには興味を持ちにくくなる。 若いうちにコミュニケーション能力を身につけて、 大勢の人と馴染めるようになっておけば、 フツーの人が手を出さないようなマニアックなことに 興味を持ってしまうリスクは避けられる。 他の人と同じように考え、同じようなことに興味を持ち、 同じような娯楽を楽しむことができれば、 どんなに幸せなことか。

もちろん弊害もある。 新しいことを始める人が現われなければ、当然進歩も止まる。 しかし、世の中こんなに便利になったのだから、 これ以上何を進歩させる必要があるというのだろう? どんなことにも弊害は付き物である。 最大幸福のためには犠牲にしなければならないこともある。

それに、とっぴなことを始める人がいなければ、 誰もがフツーに働いてフツーに労働時間に見合った報酬を受取るだけの社会になる。 労働時間では測りきれない価値を 唐突に生み出す人がいるから富が一部の人に集まって 格差が生まれるのであって、 だれもが平凡な生活をするに留まっていれば格差社会など生まれるはずがない。 みんなが同じように考え、同じように行動し、同じように幸福な画一的な社会、 それこそが格差が無いみんながハッピーな理想社会である。

みんなが同じことをしていては進化がないと言い張る人がいるかもしれないが、 そもそも「進化」とは何だろう? 人間の大脳皮質はなぜ他の動物に比べて極端に大きいのだろう? 科学技術を発展させるため? 決してそんなことはない。 大脳皮質の容量だけを考えれば、縄文時代も現代もさして差はないのである。

なぜ人間の大脳皮質はこんなに大きいのか? それはコミュニケーションのためである。 複雑・高度化した社会 (原始人の社会にも複雑な人間関係があったと考えられているし、 集団生活を営む哺乳類の多くには様々な複雑な行動様式が観察される) をコミュニケーション能力を駆使して要領よく立ち回り、 より多くの子孫を残せた個体のみが遺伝子を次世代に伝えることができる。 平たく言えば、集団の中で異性に「モテる」方向へ、進化圧が働くのである。 人間を人間たらしめる本質はコミュニケーション能力にある。

一口にコミュニケーション能力というが、 情報処理能力としてみると驚異的な能力である。 相手の顔色を素早く読んで、その場の空気に最適な話題を振り、 わずかな声色の変化から相手の思考を読み取る。 我々はほとんど意識すること無く、 相手のわずかな目の動きやしぐさを読み取って コミュニケーションを行なっているが、 「意識せずに行なえる」から大したこと無いと思っては大間違いである。 下らない話に終始する井戸端会議ですら、 現在のコンピュータでは足下にも及ばない超高度な情報処理の賜物なのである。

それが証拠に、 コミュニケーション能力の欠如が、 超人的な能力の開花につながることがある。 つまり本来ならコミュニケーションという高度な情報処理をこなすために あったはずの大脳皮質の一部が、 別の目的に使われてしまうために発症する知的障害の一形態である。

サヴァン症候群(savant(仏語で「賢人」の意) syndrome)とは、 知的障害を伴う自閉症のうち、ごく特定の分野に限って、 常人には及びもつかない能力を発揮する者を指す。 サヴァン症候群の共通点として、 知的障害と共に異常といえるほどの驚異的な記憶力・表現力を持つことが挙げられる。

天才の多くに、 コミュニケーションに関して大なり小なりの難があるのは偶然ではない。 コミュニケーションという超高度な情報処理能力の一部を放棄することによって 確保した「脳の空き容量」を使って、 常人には成し得ない偉業が達成されているのである。 そして忘れてはいけないのは、 天才の多くが不幸なまま一生を終えている点である。 死んだ後に全世界の尊敬を一身に受けたところで後の祭りである。

若いうちからコミュニケーション能力を磨き、 大多数の人が興味を持たないようなことには決して手を出さず、 フツーの人と同じことに考え、同じように振る舞うことこそ、 幸せな一生への最短経路であり、 大多数の人にこのような幸せな人生をおくらせるような教育を行なうことこそが、 格差のない平和な社会への唯一の道であろう。

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大変遺憾なことではあるのだが、 私自身は中学生の時に当時まだ大変珍しかったパソコンに出会ってしまった。 パソコンにのめり込んでいったために、 自身のコミュニケーション能力を伸ばす努力を怠ったのは、 目新しいものに惹かれる若さゆえのあやまちだったと認めざるを得ない。 当時パソコンに興味を持った人は全人口の 0.01% にも満たなかったはずで、 その後マイナー路線を突っ走ってしまった。 通った中学校に、 たまたま「マイコン部」があった不幸な偶然に感謝したい。

(続く)

Filed under: 技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 07:37

7件のコメント »

  1. ヲタクとコミュニケーション

    コミュニケーション能力の育成を第一とする教育が格差社会を救う
    という投稿より。
    某大学情報系学部が主催した、企業と学生のマッチングイベントに参加させて頂いた。その学部では、コミュニケーション能力の育成を最優先に考えているとのこと。多くの企業は (情報系の) …

    コメント by 賢太郎の物書き修行 — 2007年3月9日 @ 12:14

  2. ヲタクとコミュニケーション

    コミュニケーション能力の育成を第一とする教育が格差社会を救う
    という投稿より。
    某大学情報系学部が主催した、企業と学生のマッチングイベントに参加させて頂いた。その宮.

    コメント by 賢太郎の物書き修行 — 2007年3月9日 @ 12:46

  3. コミュニケーションは大事だけど
    情報系学部で「最優先」として扱ってはいけないのは確かだ。
    0番基礎知識
    (これがないと1番以降に続かないので)
    1番論理的思考・手法
    3番応用・発展・発想
    4番コミュニケーション
    かな?

    コメント by hassylin — 2007年3月9日 @ 15:06

  4. 低位安定じゃないのか? (Re: コミュニケーション能力の育成を第一とする教育が格差社会を救う)

    (via 仙石浩明の日記: コミュニケーション能力の育成を第一とする教育が格差社会を救う)
    イベントには、学生さん達による研究発表 (パネル展示) もあったのだが、 研究内容そのものよりも、 いかに分かりやすく説明するか、 さらにいえば、聞きに来た人にいかに満足して…

    コメント by atsushifxの七転八倒 — 2007年3月9日 @ 18:18

  5. それは「口説き能力」なんであって「コミュニケーション能力」では無いです。。。

    コミュニケーション能力の育成を第一とする教育が格差社会を救う (仙石浩明の日記 さま)
    おいらが仕事の話で「コミュニケーション能力は大切だよ」とか言うときの「コミュニケ

    コメント by 国民宿舎はらぺこ 大浴場 — 2007年3月12日 @ 12:38

  6. コミュニケーション能力

    某大学情報系学部が主催した、企業と学生のマッチングイベントに参加させて頂いた。その学部では、コミュニケーション能力の育成を最優先に考えているとのこと。 仙石浩明の日記: コミュニケーション能力の育成を第一とする教育が格差社会を救う 私はこの某大学情報学部の学

    コメント by YasuyukiMiuraの日記 — 2007年3月13日 @ 07:04

  7. いわるゆる「コミュニケーション能力」って、実際の会社では、コミュニケーション能力もなく、技術力もない上司と上手くやっていく能力のことのようです。
    元々の意味で「コミュケーション能力」のある上司は、部下がそういう能力に疎くても、コミュニケーションできますから。
    成果主義と同じで、責任だけを部下に押し付けるための、マジックワードですね。

    コメント by ま@労働党 — 2008年11月8日 @ 03:33

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