仙石浩明の日記

技術者の成長

2011年10月13日

ベンチャーが学校教育に求めること

東北大学大学院の教壇に立ちました。 産学連係講義 「先端技術の基礎と実践」 という講義で、 毎週一人づつ企業から講師を招いて、 ソフトウェアや IT 技術の様々な側面について理論的、 あるいは実際的な観点から講義してもらう、 という趣旨でした。 講義題目の一覧を見ると、 私以外は、 (講義の趣旨から言って当然ですが) 技術的な内容ばかりで、 私の講義 「学生のうちに身につけて欲しい、たった一つの能力」 だけ浮きまくっていました (^^;。

本当にこんな内容で話していいのか (ある意味、大学院での教育方針にケンカを売るような内容ですので) と内心不安だったのですが、 少なくとも一部の学生さんには積極的に質問してもらえて、 1コマの授業時間だけでなく、 講義後のフリートークも時間いっぱいいっぱい使って、 学生さん達とお話しすることができました。 型破りな講義内容を快諾して頂いた先生方に深く感謝致します。

以下、 講義の内容です (実際の講義は脱線してしまったので、こんなに整っていませんが)。 囲み部分はスライドの内容です。

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おかげさまで KLab 株式会社は、先月 9月 27日に東証に上場しました

SAP (Social Application Provider) として上場するのは、 KLab が国内初だったこともあり注目を集めました。 SAP というのは、 GREE, モバゲー, mixi, ニコニコ動画などの SNS (Social Network Service) 上で遊べるアプリ (ソーシャルゲーム) を提供する会社のことです。 2009年に国内で初めて mixi が SNS プラットフォームをオープン化したのに合わせて KLab はソーシャルゲーム開発に舵を切り、 ソーシャルゲーム関連の売上が急拡大中です。 でも、 今日はソーシャルゲームの話はしません。 なぜか?

一つは、 明日が 2011年 8月期の決算発表で、 今うっかり先走って業績などを喋ってしまうと大変なことになるからですが、 もう一つは ↓

事業内容をみて就活するヤツ多すぎ (´・ω・`)

私は仕事柄、 就職活動中の学生さんとお話しする機会が多いのですが、 エンジニア志望なのに、 事業内容で会社を選ぼうとしている学生さんが多いことに違和感を覚えます。 みなさんは会社に入って事業をやりたいんでしょうか?

最初こそプログラマとして入社するけど、 あくまでそれは事業を理解する端緒としてであって、 なるべく早く開発を統括できるようになり、 事業を発展させることによって自らも成長し、 ゆくゆくは事業部長を目指し、 あわよくば社長も狙いたい、 ということであれば、 事業内容で会社を選ぶのも理解できます。

しかしながらエンジニア志望の学生さんの多くは、 事業部長を目指すというよりはもっと技術志向で、 専門性を活かした職種、 例えば技術コンサルタントやチーフアーキテクト、 あるいは 「技術者の社長」 であるところの CTO などをイメージしていたりします。 できればマネジメントはやりたくない、 開発の現場を離れたくない、 と考えている人も多いのではないでしょうか。

事業と技術、 どちらのキャリアを歩もうとするのか、 社会人としての最初の一歩を踏み出す前に、 もっと意識すべきではないでしょうか? なぜなら、 事業を中心に考えるのであれば技術は単なる手段であり、 極論すれば技術は新人の仕事ということになります。 できるだけ早く新人の仕事としての技術は脱却して、 マネジメント手法を学んでいかなければ 35歳でエンジニアとしての定年を迎えてしまいます。

一方、 技術を中心に考えるのであれば事業は単なる手段であり、 極論すれば事業が立ち行かなくなって会社が潰れてしまっても、 自身の技術力さえ伸ばせれば成功と言えるでしょう。 ずば抜けた技術力があれば転職も思いのままだし、 給料も言いたい放題でしょう。 だから、 事業内容で会社を選ぶのではなく、 その会社が自分の成長に役立つか否かで選ぶべきです。

言うまでもなくどっちつかずなのが最悪で、 残念なことにエンジニア志望だった人の多くが ↓ のような道を歩んでしまいます。

どっちつかずな人の末路 orz

若いうちは技術をやれ、と言われてデスマーチでこき使われる。
辛いけど自分は技術が好きなんだ、と現場にこだわり続ける。

そして、35歳でエンジニア定年。 泣く泣く現場を離れてマネジメントの道を歩み始めるが、
自ら進んでマネージャを目指した同期に追い付くのは不可能。

ただし技術の道を選んだとしても、 「ずば抜けた技術力」 が身につけられるのは、 元々その素質を持っていた人に限られます。 どの分野の技術でも向き不向きはあると思いますが、 ことコンピュータ関連の技術に関してはその傾向が顕著で、 努力すれば身につくような種類のものだとは到底言えないでしょう。 むしろ、 努力しなくても自然とスキルが伸びてしまったというような、 元々その素質を持っている人だけが、 高い技術力を獲得できる傾向があるように思われます。

なので、 自分が何に向いているか早く見つけることが何より重要、 ということになります。 ただし、いわゆる 「自分探し」 は時間の無駄です。 なぜなら、 向いているか向いてないかは、 やってみなければ分からないからです。

就活でちょろっとその会社の説明を聞いたぐらいで、 その仕事が自分に向いているか分かるわけはないのはもちろんですが、 実際に働き始めてみて 「自分に合いそう」 とか 「この仕事は自分に向いていない」 とか思うのもタイテー間違っていて、 自身の能力の限界まで力を出しきってみて初めて、 向いているか否かが分かる性質のものだと思います。 そもそもろくに仕事の内容を理解できてない段階で 「好き」 だの 「嫌い」 だの言ってみても始まりません。 何事もつきつめていけばそれまで見えなかったものが見えてくるわけで、 「好き」 だの 「嫌い」 だのは視野が充分広がった後で判断すべきものでしょう。

「好きなこと」 を仕事にするのは叶わぬ夢なのか?

「好きなこと」 「向いていること」 を仕事にしたい。 多くの人がそう望んでいると思いますが、 現実はそうなっていません。 むしろ、 生活のため仕方なく仕事している、 という人がほとんどでしょう。 「好きなことはあるけれど、 それで食っていくことはできない」 とあきらめてしまっています。

例えば、 私の周囲にはセミプロ級 (自称) のカメラマンがいます。 そんなに好きならなぜプロにならないのか? と聞いたこともあるのですが、 「カメラは趣味だからいいんだ」 などと意味不明な答が返ってきます。 彼らはプロを目指さず、 あまり好きでもないソフトウェア開発業務に携わっているわけですが、 それはプロのカメラマンを目指そうとすると、 自身にその素質がないことが白日のもとにさらされると思っているからなのでしょう。 つまり、 本気でプロを目指して挫折すると、 せっかくの 「趣味」 が嫌いになってしまうのが怖いのだと思います。

つまり、 「好きなことで食っていけない」 のではなくて、 プロを目指してみる覚悟がないだけなのです。 本気でプロを目指せば、 その道の素質があるか否か、 たちどころに分かることでしょう。 もし素質がなければ、 さっさとあきらめて別の道を試せばいいだけの話です。 手当たり次第に試していけば、 きっと自分に向いていて、 かつ本当に好きと思える仕事が見つかることでしょう。

だから最初に何をやるかは実はあまり重要ではなくて、 何をやるにしても本気でプロを目指してみることが重要、 ということになります。 大学に残ってアカデミックな世界のハイアラーキを登り詰めようというのでなければ、 プロを目指すのは就職してからが本番ということになります。

では、いま何をすべきか?

「産業界が学生に求めるのはコミュニケーション能力だ」 というデマが出回っているようですが、 これは嘘ですので忘れてください。 マトモな人に聞いてみれば誰でも同じ答がすぐ返ってくると思うのですが、 一番重要なのは 「考える力」 です。

考える力がないヤツ多すぎ (´・ω・`)

そもそも大多数の学生さんは 「考える力」 が何だか分かっていません。 幾多の試験を突破し、 大学院にまで登り詰めた学生さんを相手にずいぶんな言いようだと思いますが、 実際に数多くの学生さんと話してみた結果なのだから仕方ありません。 逆に、 考える力のある学生さんなら、 学歴・知識・コミュニケーション能力など一切不問で採用します。

例えば、 ほとんどの学生さんは、 何を聞いても質問一つできません。 当人は質問すべきことがないから質問しないだけ、 と思ってヘーキな顔をしていますが、 本当は何を質問したらいいか考えられないだけなのです。 また、 学生さんが就職して会社で開口一番、 何と言うか分かりますか?

少なくない人が 「早く仕事に慣れて、みなさんのお役に立ちたい」 って言うんです。 ベルトコンベアの組立工とか、 マニュアル通りに振る舞うことが期待されるマクドナルドの店員とかなら、 仕事に慣れることも必要でしょうが、 そういう仕事だと思って就職したんでしょうか? いくら今まで仕事をした経験がないといって、 あまりにウブすぎます。

そして極めつけは、 知識の習得には貪欲でも、 習得して何がしたいかの展望をまるで持っていないことです。 知識は手段であって目的ではありません。 それが小学校〜大学院 6+3+3+4+2=18年にもおよぶ学習期間において、 ひたすら知識を習得し続けた結果、 なんのために習得したのか、 その目的をすっかり忘れてしまったのでしょう。

学びて思わざれば、すなわち罔し

「目的意識を明確に持て」 とは誰しも言う言葉ですが、 では目的とは具体的には何なのか? 「世のため人のため」 とか途方もなく抽象的なことを言ってお茶を濁していませんか? あるいは逆に 「給料をもらうため」 とか途方もなく具体的なことを言ってしまうかも知れません。 いずれの場合も、 そこから考える余地があまりなく、 思考停止してしまいがちです。

抽象的な話では面白くないので、 私自身の例を紹介しますと、 ずいぶん前から (たぶん中学生のころから) 「有名になりたい」 という目的を持ち続けています。 自分の名前を売るにはどうすればいいか考え、 (オープンソースという言葉ができる以前から) オープンソースソフトウェア (例えば stone) を公開し、 ブログを書き、 インタビューを受け、 いろんなところで講演したりパネルディスカッションに登壇したりしています。 今日、 ここでこうやって講演しているのも、 実を言えば、 人前でうまく話す練習をしたい、 というのが一番の動機だったりします。

ついでにいうと、 なんで有名になりたいかと言えば、 自由になりたいからです。 近頃は 「社蓄」(「会社+家畜」から来た造語) という言葉が使われるようになりましたが、 いわゆるフツーのサラリーマンは少しも自由ではありません。 嫌な仕事でも生活のためにヤムを得ず働いているわけです。 会社に依存せずに生きるには、 会社の肩書がなくてもやっていけるだけのネームバリューが必要ということに (たぶん中学生のころ) 気付き、 それ以来、 自由になるにはどうすればよいか考え続けてきました。

考える力は、 考えることによってしか伸びないわけで、 そのためには自分の考えが足りないことを自覚することが必須でしょう。 そして考えが足りないことを自覚するには、 まず自分が無知であること、 すなわち自分は何が分かっていないかを自覚することが必要です。

ここで重要なのは、 「分かってない」 と 「知らない」 の違いです。 「知らない」 ことは調べれば済む話で、 考えてどうこうできる問題ではありません。 つまり 「自分には知らないことがある」 と自覚したところでそれは考えるきっかけにはなり得ません。

一方、 「分かってない」 のは決して知識が足らないためではありません。 だから調べてどうこうできる問題ではありません。 例えば 「数」 の概念が分かってない人に 「数」 とは何かを教えようとする状況を想像してみてください。 あるいは逆に、 自分が 「数」 という概念を分かってなかったとして、 どうしたら 「数という概念が分かっていない」 ことに気付けるか想像してみてください。

「分かってない」 と 「知らない」 は違う

「分かる」 と 「自転車に乗れるようになる」 は似ている

思うに、 「分かる」 というのは 「自転車に乗れるようになる」 ことに似ていると思います。 「分かってない人」 が無自覚であると同様、 自転車を見たことがない人にとっては、 自分が自転車に乗れないと気に病むことはないでしょう。 そして最初の 「分かろう」/「乗ろう」 というチャレンジは確実に失敗します。 どうすれば 「分かるか」/「乗れるか」 皆目見当がつかない一方で、 いったん 「分かる」/「乗れる」 と、 どうやってそれができるようになったのか思い出せなくなってしまいます。

というわけで、 「考える」 ためにはまず自分が 「分かってない」 ことを自覚し、 次に 「分かろう」 と努力することが必要です。

後者は、 「分からないこと」 が目の前にあるわけですから、 あきらめさえしなければさほど難しくはないでしょう。 といっても思考停止という罠がたくさんあるので、 後者は後者で一筋縄には行かないのですけれど、 そんなことより問題は前者です。

すなわち、 「分かってない」 ことをいかに自覚するか? が鍵となります。

おそらく、 自力で自分の 「分かってなさ」 を自覚することは無理で、 他者に指摘してもらって初めて気付かされる、 という場合がほとんどなのではないかと思います。 じゃ、 どうすれば他者に指摘してもらえるか? 黙っていては無理で、 自分から自身の考えを発信してみることが重要なのではないでしょうか?

変なことを発信すれば、 親切な人が 「おまえは何を言ってるんだ?」 と指摘してくれるかも知れませんし、 慣れてくると他者の反応もあらかじめ予測できるようになり、 発信する文章を練っている段階で自分の至らなさを痛感するかも知れません。 私自身、 こうやって自身の考えを長々と述べていますが、 この考えのほとんどは、 いろいろな人と対話した結果生まれたものであって、 決して私の頭だけで考え出したものではなかったりします。

というわけで、 まずは内容は二の次で、 自分の言葉を発してみることが何よりも重要でしょう。 例えば今この場で、 質問してみるところから始めてみてはいかがでしょう?

Filed under: 元CTO の日記,技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 22:50
2009年10月27日

パネルディスカッション ~CTO のから騒ぎ for the future~ に登壇しました

先日開催された楽天テクノロジーカンファレンス2009 で、 パネルディスカッション ~CTOのから騒ぎ for the future~ にパネラーとして登壇しました。 他のパネラーはベンチャーの CTO の方々。 いずれも 「CTO サミット」 (という名の飲み会) で毎度ご一緒している皆さんなので、 飲み会と同様とても盛り上がりました。 モデレータの森さま (楽天技術研究所所長)、 どうもありがとうございました。

このパネルディスカッション (という名のビール飲みながら放談会, ただし私は飲めないのでウーロン茶) の議事録を書いてくださったかたがいらっしゃったので、 適宜引用しつつ感謝の意を表します。(_O_)

まず冒頭の自己紹介の部分から:

KLab 株式会社の仙石です。 就職してから 16~17 年。 卒業してしばらくはベンチャーに縁がない生活(論文書き)。 ある日突然転職することになり、2000 年に転職。 気の向いたことにどんどんのめり込む性格。 技術者が経営をやるのってどういうこと? という質問はまた後ほど。 KLab を設立してから、 どんどん仕事を捨てて自分を変えている (ピーターの法則に陥らないように)。 部下が成長したらすべて任せてしまう。 すべての仕事を部下に振り終えたら、私は CTO をやめる予定。 早く育成しないと。

CTO と聞くと、 「技術者でありながら経営にも関わるとはどういうこと?」 と疑問に思われるかたも多いかと思うのですが、 私の場合はあまり難しく考えていないのです。 以前インタビューを受けたときにも話したことがあるんですが:

(やってみたいと思ったことがあったら) 片っ端からやってみればいいじゃないですか。 だって、世の中には、好きなものか嫌いなものかしかないですからね。 好きなことからやって行けばいいじゃないですか。 好きなことが幾つかあるとかじゃなくて、私の場合、 好きなことがあったらやってみるんですよ。 やってやって、あるとき飽きちゃうみたいな感じなんです。

たまたま目の前に、 「起業に参加するチャンス」があって、 面白そうだから乗ってみた、 というだけのことなのです。 やってみて向いてないと思えば、 思った時点で止めてしまいます。 例えば実際、 論理回路や遺伝的アルゴリズムの論文を書くこととか、 (前職で)定時直後に退社して日が暮れるまでテニスする生活とか、 (大学の時に)数学者目指して勉強をするとか、 (浪人中に)哲学への道を目指そうとしたこととか、 中途半端なまま止めちゃったことも沢山あります。

パネルディスカッションでは、 Ruby 開発者として有名な まつもとゆきひろ さんも、 質問しました:

まつもと 技術者としての上がりとしての CTO ってどうですか?

仙石 CTO が上がりとは思っていない。

まつもと キャリアパスの途中としての CTO は。

仙石 キャリアパスって全然意識していない。 興味のあることをトコトンやって、飽きたらやめる。 今は私が定義した CTO の道をドンドンやるって感じ。 他の人は違うと思うが。

私の受け答えがぞんざいな言葉になってますが、 もちろん小心な私がこんな物言いをするわけはなく、 単に議事録上での表現ですから、 まつもとさんに対して何て口のきき方だ、 などとは思わないように願います。;-)

私にとっての CTO は 「上がり」 どころか 「キャリアパスの途中」 でもなく、 手当たり次第にやってみたことの一つに過ぎないのですが、 幸か不幸か(?) CTO は 9年間も続いていて、 私の今までの人生で二番目に長い記録です。 一番長いのはもちろんコンピュータに対する興味で、 こればっかりは中学生の時以来、 30年以上も変わらず続いています。 よく飽きないものだと思うのですが、 これが 「向いている」 ということなのだろうと思います。

というわけで、 いろいろ手当たり次第にやって、 向いてないことはさっさとあきらめて、 結果として向いてることだけが残る、 という人生を私は歩んできました。 将来のキャリアパスを描いて目的意識を持って努力する、 いわゆる「真っ当な」生き方とは正反対の生き方なので、 他の人に勧めてよいのか微妙ですね。

さて、 CTO って聞くとみなさんはどんなイメージを持つでしょうか。 十人 CTO がいれば十通りの答が返ってきそうですね。 私自身、(株)ケイ・ラボラトリー (当時, 現 KLab) の創業に加わった当初は、 CTO が何をする人なのか具体的なイメージはまるで持っていませんでした。

 仙石さんは何をされているんですか?

仙石 ボケなくちゃいけませんか? 何もしてません(笑)。
会社を興したときは何から何までやってました。 プロマネ兼プログラマ兼システム管理者。 社内でヘルプデスクをやる羽目になったり。 年を経て人が増え、部下に自分がやってた仕事をどんどん任せた。 次から次へと部下が成長していくので、 私がやっていたことを部下ができるようになる。 あるとき、 「自分がデータセンターに行かなくても何とかなるな」と思い、 仕事をどんどん捨てていった。

これこそが CTO の役割なのかな、と思った。 会社の中でやるべきこと、 やったほうがいいことを新たに作って、 明確にした上で部下に押しつける。 そんな感じでやってきた。 自分が今仕事をしているのはよろしくないことだ。 一生懸命部下に押しつけるのが仕事だ。

もうひとつ言わせてもらっていいですか? CTO っていうのは、 「技術者にとっての社長」という役割を果たすべきではないのかな。 技術者はビジネスに対して本音の所では興味が持てない。 なので、社長に本当に心の底から共感できるかというと、微妙。 そういう社員も多いんだろうな、 そういうときにビジネスのことばかり言ってないで技術の話もすれば、 共感できるんじゃないか。

話長いよ、と思われるんじゃないかと恐れて端折ってお話ししたため、 ちょっと分かりにくかったかも知れません。 特に 「何もしないことが CTO の仕事」 という言い方は誤解を招きかねない言い方なので、 ちょっと心配しつつの発言だったのですが、 幸い twitter では好意的な反応ばかりでした (_O_)。

ちなみに私は今まで twitter を使ったことがなかったのですが、 このパネルディスカッションで twitter の威力を思い知り、 改心して twitter のアカウントを作りました。 よかったらフォローしてください。

このときパネラーの藤本さん (グリー) が twitter で 「仙石さんのあとひとことは3 minutes」 って書いていた (話長くてスミマセン) のですが、 その時 twitter を使っていなかった私は気付かなかったのでした。

当然ですが企業は利益を出さなければ存続できませんから、 24時間儲ける仕掛けのことばかり考えているビジネスの戦略家が社長をやるべきです。 ところが技術者にとってビジネスというのは、 その重要性はもちろん分かってはいるんですが今一つ興味が持てない、 というのが本音ではないでしょうか。 かくいう私も、 9年間 CTO をやっていながら、 儲ける仕掛けのことを考えるよりは、 コンピュータのことを考えていたいタチです。

そういう 「ビジネスより技術が好き」 という技術者にとっては、 目を輝かせて会社の将来を語る社長に対して心の底から共感できるかというと、 なかなか難しいところもあるのではないでしょうか。 社内が 「ビジネスを創り出していこう」 という活気で満ち溢れれば溢れるほど、 疎外感を感じてしまう技術者が出てきてしまう気がします。

技術者ってのはおしなべて真面目ですから、 社内の雰囲気に共感できない自分に対して嫌悪感を抱いてしまう。 あるいはビジネスに興味を持つ自分を無理矢理にでも演じてしまう。 でも、何が好きかなんてのは根源的なものなので、 興味が持てないことを無理に好きになろうとしても土台無理じゃないかと思うのです。 そんな技術者に対して、 「ビジネスに関心が持てないのは悪いことじゃない」 というメッセージを送るのが、 CTO の役目なんじゃないかと私は思っています。

仙石 私の持論は 「餅は餅屋」。 技術とビジネスを考える人がいてもいいけど、 24時間技術のことだけを考える人がいて、 24時間ビジネスのことを考える人がいればいい。 会社なんだから、 役割分担しつつ進めていくのがいい会社だと思う。 技術者はビジネスのことは考えなくていいから、 みんなをアッと言わせることをやろうよ、と。

ちなみに、 社長が技術者であれば技術者が疎外感を感じることはないでしょうし、 実際そういった理由で社長が技術者である会社を選ぶ人も多いのだと思いますが、 会社は儲けなければ存続できません。 高い技術が儲けにつながるとは必ずしも言いきれない昨今、 社長が技術のことばかり考えていて大丈夫なのでしょうか?

「餅は餅屋」 の話を受けて、 役割分担するなら、 お互いをリスペクト (尊敬) することが重要だよね、 という話を藤本さんが投げ掛けました。 私も全く同感です:

藤本 お互い(技術者と非技術者)どうやってリスペクトするのか。

仙石 自分ができないことをできる人を尊敬すればいい。ウチの会社はそうなっている。

藤本 エンジニアリングを追求していきたい人とはどういうコミュニケーションを?

仙石 週 1 の定例ミーティングで、私は会計の話をしている。技術者であっても、いろいろなことに興味を持ってほしい。できなくてもいいから。他の人が何をしているかは分かってほしいし、分からなければリスペクトできない。私も会計の素人だが、会計の話を延々としている。

KLab(株) は 8月が期末で、 ここ何週か決算の話を定例ミーティングですることが多かったので 「会計の話」 になったわけですが、 技術職以外の職種についてもきちんと知って、 お互いをリスペクトできるようになって欲しいと思っています。

さて、 「技術者の成長にとって一番役に立つ会社」 を目指している私としては、 どこかで技術者の成長の話をしたいと思っていたのですが、 会場からの最後の質問で 「自分の部下や新卒 1 年生に、 今後こういう風になるからちゃんとやっておけというのがあれば」 という問いかけがあった (いい質問ですね!) ので、 話しました:

仙石 技術者という職種はすごく難しいと思う。 誘惑がたくさんある。次から次へと新しい技術が出てくる。 「ちょっと」 Ruby を勉強しておこうか、って思うじゃないですか。 いろんな言語が出てきて、 何から何まで「ちょっと」勉強してみるというのがあまりにも多すぎるのでは。 「Hello, world.」 を表示させるだけのように、 表層だけ学んで時間を浪費することが多すぎる。 考えることが大事というのはまったく同感。 どんな時代でも、考える力がすべて。 どこまで深く考えられるか。知識を求めることに貪欲になりすぎるな。

知識だけ詰め込んだ 「偽ベテラン」 に陥らないようにして欲しいと思います。

といった感じで、 パネルディスカッションは終わったのですが、 すでに時間を大幅に超過しているにもかかわらず、 森さんから 「最後に、CTO からの熱いメッセージを手短にお願いします」 と言われたので、

会社に対する不満がウェブで山ほど出てくるが、 嫌々する仕事は成長に役立たない。 嘘でもいいから「この仕事をやっててよかったな」と思ってほしい。 どんな仕事でも好きでやってほしい。 今の仕事を楽しむところから成長は出てくる。難しいですけどね。

実は最近読んだ本 「脳に悪い7つの習慣」 に、

脳は気持ちや生活習慣で、その働きがよくも悪くもなる。
この事実を知らないばかりに、脳力を後退させるのはもったいない。

脳に悪い習慣とは、
(1)「興味がない」と物事を避けることが多い
(2)「嫌だ」「疲れた」とグチを言う
(3)言われたことをコツコツやる
(4)常に効率を考えている
(5)やりたくないのに我慢して勉強する
(6)スポーツや絵などの趣味がない
(7)めったに人をほめない
の7つ。

と書いてあって、 なるほどな~と思いながら読んだので、 仕事を楽しんで欲しいという話をしたのでした。 私自身はなにごとも楽しんで取り組むタチなので今一つ実感できないのですが、 なにごとも嫌々やってると身につかないだろうなぁと思います。

Filed under: 元CTO の日記,技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 11:47
2009年9月2日

自分が何が出来るかじゃないんですよ。何がやりたいかだと思うんです。

以前、(株)ウェブキャリアの川井社長(当時)に取材していただいて、 お話しした内容が 「Webエンジニア武勇伝」として掲載されていたのですが、 現在その「武勇伝」のページが一時的に閉鎖されているのと、 幸い川井様から転載の許可をいただけたので、ここに全文を掲載します:

川井
本日は、Webエンジニアの武勇伝ということでお願いいたします。 趣旨については、メールでも触れましたが、 弊社の行っているエンジニアのキャリア支援事業の一環として、 「エンジニアのためのロールモデル」を提示したいと思っておりまして、 トップエンジニアの方々のインタビューを通じて、 そのヒントを提供できればと思っております。
仙石
なるほど。こちらこそよろしくお願いします。
川井
仙石さんのようなすごい方になると、 若いエンジニアからすると雲の上の存在でもあるので、 親近感を与えるためにも子供の頃のお話などもお聞きしています。
仙石
どういうところが「雲の上の存在」と感じるんですかね?
川井
ポジションもありますし、 ネット上でお名前がいっぱい出ているというのが大きいんじゃないでしょうか。
仙石
ポジションといってもたかがベンチャーですし、 どうということはないと思いますよ。 名前が出ているのも昔から長いことやっているだけですから。 まあ、そう思う人が多いっていうのも私なりには分かっているんですけども、 ある程度、技術が好きな人であればほとんどの人が、 私と同程度のことはできるんじゃないかなって気がします。
もしも、自分にはそんなことができないって思うんであれば、 できないと思うことこそが出来ない理由なのかなって思います。 自分で自分をけなしてもしょうがないんですけど、 私がやってきたことなんて誰にでもできることなんじゃないかなっていうのが 正直な感覚なんですよ。 ある意味、やる気があればできる世界じゃないでしょうか。
川井
なるほど。 ブログで拝見した「向き不向き」という話もありますし、 のちほどその辺りも詳しくお聞きしたいと思います。 それでは、まずはコンピュータとの出会いからお聞きしたいと思います。 コンピュータとの出会いは中学1年くらいだとおっしゃっていましたけど、 学校でという感じですか?
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Filed under: 元CTO の日記,技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 08:02
2008年4月23日

学生のうちに身につけて欲しい、たった一つの能力

母校の教壇に立ちました。

20年前に学んだ教室 (私が情報工学科で学んだのは 1987年~1990年) で、 20歳年下の後輩に対して行なった、 私にとって初めての授業体験でした。 勉強会やセミナーで講師をしたり、 学会で発表したりは何度もあるのですが、 授業というのは、 また趣きが異なりますね。 2コマ (約三時間) 自由に話してよい、 ということだったので、 そんなに長時間は話がもたないんじゃないかなぁ、 と少々不安を感じながら臨んだのですが、 幸い多くの質問を頂けて、 気づいたら 30分ほど時間を超過していました。

聞き手の学生さん達は現在 4回生で、 そのほとんどは大学院に進学予定ということだったので、 「学生のうちに身につけて欲しい、たった一つの能力」 というテーマでお話しました。 もちろん、「たった一つ」だけだと 3時間も話を引っ張れないので (^^;)、 私が卒業してから現在までの 16年間の社会人生活で学んだことの中で、 一番重要と思うことを三つ挙げてお話したのですが、 三つもあると覚えてられないでしょうから、 ということで「たった一つ」を強調したのでした。 それは、

質問すること

です。

産業界(特に IT 業界) が大学教育に求めること、 というと「コミュニケーション能力」なんかが 筆頭に挙がってしまうことも多い今日このごろですが、 「みんなと仲良くできる」だけでいいのは小学生までで、 社会で活躍していく上で本当に必要な能力といえば、 間違いなく「考える力」でしょう。

で、どうやって考える力を伸ばしていくかですが、 教科書を読んだり問題集を解くだけで身につくわけもなく、 いろんな人の考えを見聞きしながら自分なりに考えてみて、 次第に考える力が身についていくものだと思います。 だから、 出会った人それぞれから、 どれだけその人の「考え方」を吸収できるかが、 一生の間にどれだけ考える力を身につけられるかを左右することになるでしょう。

もちろん、より多くの人に出会うように努めれば、 より多くの人の考え方を参考にできるわけで、 だからこそ「コミュニケーション能力」が重要と主張する人もいるのでしょうが、 スゴイ人に出会えても、 その人から学べなければ折角の機会も生かせません。 優れた人からどれだけ多くのものを引き出せるか、 すなわち臆せずどんどん質問できるかこそが、 考える力を伸ばす最大の原動力になるのだと思います (もちろん質問する能力も一種のコミュニケーション能力ですが、 「コミュニケーション能力が重要」と言ってしまうと範囲が広すぎて、 焦点がぼやけてしまいます)。

例えば、講演会等で、質疑応答の時間になった時、誰も質問しなくって、 大きな会場が静まり返る、という状況はよくありますよね? その静寂を打ち破って質問できるでしょうか? ほとんどの人は、たとえ質問したいことがあっても、 なかなか声を出せないんじゃないでしょうか?
私が個人的に尊敬している人って、 ほとんど例外なくそういう場でも臆することなく質問できる人なんですよね。 「分からない」と言える勇気を持つことと、スキルアップできること、 との間には強い相関があるように思えてなりません。

というわけで、 今日の私との「出会い」を最大限生かすべく、 講演を途中で遮っても構わないので、 (空気を読まずに) 遠慮無く質問してください、 と話してから本題へ移りました。 まあ、私との出会いが 大した足しにならなかったとしても、 恥ずかしがらずに質問する練習だけでも 2コマの授業時間を費やす価値は充分にあると思います。 「出会い」は今後もたくさんあるでしょうから。

ちなみに、「重要と思うこと三つ」の残り二つは、

技術者の地位を向上させるには、 技術者以外の視点にも立ってみて、 技術者自身が視野を広げていかなければならない

と、

これから社会に出ていく学生さん達が最優先で取組むべきことは、 会社と対等に渡り合える実力を身につけるために、 いま何をすべきか考えることでしょう。 そんな実力を身につけることは自分には永遠にムリと思う人がいるかもしれませんが、 ムリと思えば思うほど実現は遠退きます。

です。

授業で使ったスライドを PDF 化したもの と、
FlashPaper で Flash 化したもの ↓ を公開します。

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Filed under: 元CTO の日記,技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 06:56
2008年4月1日

本日4月1日、KLabエージェント株式会社を設立しました

本日4月1日、KLab株式会社の 100% 子会社として、
KLabエージェント株式会社を設立いたしました。

DSAS開発者の部屋を見て、 「いっしょにDSASをつくりたい」と言ってくださるかたは、 おかげさまで徐々にですが増えつつあります。 技術が心の底から好きで、 自身のスキルを最大限伸ばすにはどんな会社がいいのか真剣に考え、 そして KLab が考える 「技術者の成長にとって一番役に立つ会社」に共感して頂けるかたには、 ぜひ仲間になって頂きたいですし、 そういった方々に応募していただけるのは大変ありがたいことです。

ところが!

DSAS開発者の部屋を見て、 DSAS開発者と一緒に働きたいと希望していながら、 何を血迷ったか (失礼)、 転職斡旋会社に KLab への転職を依頼するかたが、 少なからずいらっしゃいます。

一般論でいえば、 転職斡旋会社 (正式名称で言えば、職業紹介会社) に求職者が登録するのは、 どの会社が自分に適しているか探しきれないから、ですよね? 世の中には星の数ほど会社があり、 個人の力では自分に適した会社を探しきれないからこそ、 職業紹介会社の存在意義があるわけです。

すでに転職したい会社が決まっているなら、 その会社に直接応募したほうが話が早いですし、 「転職エージェントは、誰の『エージェント』なのか?」ということを考えれば、 実は「話が早い」どころではないことが分かるはずだと思うのです。 したがって、 転職したい会社が決まっているのに転職エージェントを利用するというのは、 百害あって一利無し (暴言) であるはずなのですが、 私ごときには推し量ることができない、 海よりも深い理由が応募者にはきっとあるのでしょう。

そこで、一計を案じました。 KLab に直接応募するのをためらっている人のために、 KLab への転職を斡旋する会社を作ろう。 名付けて「KLabエージェント株式会社」。 もちろん、職業安定法が定める有料職業紹介事業者 (求人企業から斡旋料を頂くので、求職者は無料) ですから、 KLab 以外の求人企業への職業紹介も行ないますが、 一番の強みはもちろん KLab への転職斡旋が最速であること。 なんたってオフィスが KLab 内にありますから、 採用面接のスケジュール調整から待遇等の条件交渉まで一気通貫、 応募者にとって最も有利な KLab への転職をお約束します。

登録は、 担当者宛に直接メールで 今すぐ! お申し込み下さい。

KLabエージェント株式会社
代表取締役 CEO & CTO
& 職業紹介責任者
仙石浩明
Filed under: 技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 18:00
2007年12月19日

ひたすらコンピュータに没頭した学生時代

あすなろ blog の CTO キャリアライフインタビューを受けました。 私は普段、 昔話はできるだけしないように気をつけていた (だって「老害!」って思われちゃいますからね) のですが、 このインタビューでは冒頭いきなり

そもそもコンピュータに興味を持ったきっかけから教えていただけますか

と聞かれてしまい、 封印していた過去が一気に吹き出してしまいました。 なんせ 30年近い昔のことですから、 最近コンピュータを始めた人にとっては 何の興味も持てないんじゃないかとちょっと心配です (インターネット元年であり Windows ブレイクの年でもある 1995年も、 私の感覚だと「つい最近」の出来事だったりします ^^;)。

そして今日は、 「Commodore 64」の生みの親、J・トラミエル氏インタビュー という記事を見つけてしまいました。

Commodore !

Commodore PET 2001 !

Commodore VIC-1001 !

なにもかも懐かしい ! 昔の記憶がどんどんよみがえってきます。

パーソナルコンピュータの歴史に最も大きな影響を与えた人物について語るとき、 人はよく、Steve Jobs氏、Steve Wozniak氏、Bill Gates氏、Paul Allen氏、 Gordon Moore氏、Andy Grove氏などの名前を挙げる。
だが、確実に彼らと同じグループに属する人がもう1人いる。 Commodoreの創業者で、後にAtariの最高経営責任者(CEO)を務めた Jack Tramiel氏だ。 「Commodore PET」や「Commodore VIC-20」、 さらに、パーソナルコンピュータ史上最も販売台数が多いとされる 「Commodore 64」(C64)を世に送り出した人物として、 Tramiel氏は、他の誰よりも強い影響力を持っていたのかもしれない。

私に最も大きな影響を与えたのは、 Apple でもなく、MS Basic でもなく、8080 CPU でもなく、 PC-8001 でもなく、Commodore でした。 CTO インタビューでは、 「なぜかはじめからコンピュータが好きだった」と答えたのですが、 中学校での PET 2001 との出会いがなければ今の私は無かったかも知れません。

中学3年生になって、だんだんBasicでゲームを作るほかに、 もっと下のレベルでプログラミングができるということがわかってきて、 機械語と呼ばれていた言語に興味を持つようになりました。

インタビューの時は忘れていたのですが、 私が機械語 (マシン語。メモリ上で即実行可能なバイナリのことです) を学ぶきっかけになったのは、 当時コモドールジャパンが発行していた小冊子「VIC!」でした。 この小冊子のコラムに、 機械語の簡単な紹介があって、 EA (16進コード) も機械語の命令の一つ、といったことが書かれていたのでした。 0xEA は 6502 CPU では NOP 命令なのですが、 そのコラムは、 「NOP は何もしない、という命令ですが、 読者の皆さんは何もしないのではなく、 VIC をきっかけにコンピュータを学んでいって欲しい」といった主旨の言葉で しめくくられていました。

このコラムがきっかけとなって、 なんとかして EA 以外の命令も知りたいと思うようになりました。 今と違ってインターネットも検索エンジンもありませんから、 当時中学生だった私が 6502 の命令セットを見つけ出すことは難しく、 それだけに一層「切望感」がつのったのでした。

私が初めてコンピュータに触れたのは、中学一年生の終わり頃である。 「マイコン部」なるものがあって、 3台のCommodore PET 2001を 20人以上の部員で使っていた。 しかも「部活動」は週一回 50分ほどだったと記憶しているので、 PET 2001 に触れるのは、二週間に一度、25分だけ、 しかも二人で一台を使う形だった。 最初のうちは BASIC を使って簡単なゲームなどを書いていたが、 6502 のインストラクションセットをどこからか見つけてきて (どこで見つけたのだろう? 当時はその手の資料を中学生が見つけることは、かなり難しかったはず)、 ハンドアセンブルしたコードを BASIC の poke 文でメモリに書いて 実行させて遊んだりした。

いまさらですが、 現代は便利な世の中ですねぇ... the 6502 microprocessor resource なんてページが簡単に見つかるのですから... こんなページを中学生時代の私が見たら、 「宝の山」を発見した感激で卒倒したことでしょう。 当時の私が苦労の末ついに見つけたのは、 65CE02 Microprocessor の 10, 11 ページの表だったのではないかと思います。

Filed under: 技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 21:00
2007年8月7日

面接FAQ: Tech総研「転職体験談」の取材を受けました

前回、 思い出したように「面接FAQ」を再開したのにはワケがあります。 Tech総研さんの「転職体験談」の取材を受けることになりまして、 それが、 あらためて私の面接のやりかたを振り返るきっかけになったのでした。 「転職体験談」というのは、 「転職を果たしたエンジニアと面接官が当時を再現」する連載企画で、 「応募者と面接官それぞれの言葉の真意や、 面接でチェックされるポイントをレポート」しようというものだそうです。

取材中は好き勝手なことを言いまくったので、 どのようなページにまとまるかと内心ドキドキしていたのですが (^^;)、 無難にまとまったようでホッとしています。 さすがはプロですね。

携帯電話関連を中心に独自技術で業界を走るKLabへ

携帯電話関連のさまざまな独自技術で知られるKLab(クラブ)は、 エンジニアに対する考え方が他社とは一味違う。 現時点での技術力や知識、担当した仕事の売り上げよりも、 「技術が好き」から発する、挑戦や技術上の本質に対する継続的改善を尊ぶ。 また、技術力のみで昇格できる社内制度も設けている。
(取材・文/須田忠博 総研スタッフ/高橋マサシ)作成日:07.07.30

応募したエンジニア: 富田陽介さん(当時25歳)
企業の面接担当者: 取締役CTO 仙石浩明氏
募集職種: 技術力次第でCTOを目指せる研究開発職

Part1 転職の動機
Part2 技術志向性の強さ
Part3 現時点での関心

このような連載企画は、 応募者にとっては、 面接を受ける前にどんなことに注意すればいいかが分かるわけで、 とても参考になるのだろうと思いますが、 実は求人側の企業にとっても 面接のやり方を第三者の目で見てもらえる機会であるわけで、 とても有意義であると感じました。

求職側は、いろいろな会社の面接を受ければ、 どんな面接があるのか実地に知ることができますが、 求人側は、他社がどんな面接をしているかあまり知る機会はないですし、 まして自分達の面接が第三者の目から見るとどう映るのか、 教えてもらう機会は皆無ですから...

もちろん取材なので、忌憚のない意見を言ってもらえるわけではないのですが、 取材していただいた Tech総研の高橋マサシ様曰く:

現在の業務内容も転職の動機も重視せず、 「いかに技術が好きか」で人を見る面接。 この連載をほぼ50回続けていますが、 初めてのケースでした。 このことを仙石氏に話すと、 「えっ、他社はどんな面接なんですか?」と逆に驚いた様子。 数々の応募者ではなく、あなたが、いちばん技術が好きなんですよね。

やたらに「こんな面接は初めて見た」と強調されるので、 逆にこちらが驚いてしまいました。 面接して採用した技術者が入社後どのくらい伸びるかは、 その人がどのくらい技術が好きかにかかっているわけで、 なら「どれだけ技術が好きか」をとことん聞くべきだと思うのですが、 他社の面接はそうじゃないのですかねぇ...?

なお、 「携帯電話関連を中心に独自技術で業界を走るKLabへ」ページ末尾にある:

このレポートに関連する求人情報です
チェックしてみよう!
KLab株式会社
現在の募集職種はこちら
詳細をみる

をクリックすると、 「この企業は現在リクナビNEXT上で募集を行っていません」などと 表示されます (^^;) が、 私のブログを読んで下さってるかたなら、 リクナビNEXT (あるいはその他の求人媒体) で募集を行なっていないからといって、 応募できないわけではない、ということは よくご理解いただけてますよね?

一応、念のために申し上げておきますと、 KLab (に限らず大多数のベンチャーも同様だと思いますが) では、 常に直接応募を受付けております。 媒体やエージェント経由でないと応募を受付けないなどということは 一切ありませんし、 どこ経由で応募したかということは選考には一切影響しません。 さらに言えば「私は KLab へ入ってこれがやりたいんだ!」と 言ってくださるかたならば、 現在の募集職種にかかわらず採用を検討します。 やりたいことが明確になっていることこそが、 技術者の成長にとって一番重要なことだと思うからです。

技術を学ぼうとするなら、その時点での実力はサテオキ、 「伝わる状態」にかけては自分が一番だと自信を持って言い張れる (つまり、その技術を学びたいという情熱にかけては誰にも負けないと言いきれる) 状態からスタートしなければならないのです
Filed under: 技術と経営,技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 07:04
2007年7月10日

面接FAQ: 素人にも分かるように説明してください

久しぶりに「面接 FAQ」シリーズの続きを書いてみます (前回書いたのは一年以上前なのでずいぶん間が空いてしまいました)。 私の面接というと最終面接であることが多いのですが、 履歴書の備考欄に「役員との面談希望!」と書いてある場合など、 一次面接から私が面接することもあります。 (最終の) 役員面接というと、 多くの人が通りいっぺんの面接だと思うらしく、 役員面接で技術的な突っ込みを受けて、 応募者が戸惑うケースが多々ありました。

私の面接で、 比較的頻度が高い私の質問パターンを紹介し、 応募者がどう答えることができていたら採用になっていたか、 振り返ってみようというのがこの「面接 FAQ」シリーズの主旨です。 FAQ すなわち、 面接で(私に)よく聞かれること、 面接官自身が語る面接攻略法。

「面接 FAQ」は続き物ですので、 以下のページも参照して頂けると幸いです。

(1) 高い技術力って例えばどんなことですか?
(2) 何か質問はありませんか?
(3) 前職でいくらもらっていましたか?
(4) 仮に、何をしてもいい、と言われたら、何をしますか?
(5) 「人の役に立つことをしたい」と言う技術者の卵たち

面接というと、 「採用してやる」といった態度をとる面接官がいます。 つまり、 会社が求める資質を応募者が持っているかどうかを判断するのが、 面接官の役目だと思っている人ですね。 様々なチェックポイントを次から次へと確認し、 一つでも条件を満たさなければそこで不採用と判断します。 チェックポイント以外でどんなに優れた点を持っていようとお構い無しです。

その面接官にとっては、 採用した人にやってもらう仕事が明確に決まっているから、 その仕事をする能力があるかどうかが一番の関心ごとなんでしょうけど、 もしかしたら面接官よりよっぽど優れた長所を持っているかも知れないのに、 それを見ようともせずに不採用を決めてしまうのは、 モッタイナイ話ですよね?

私は根が貧乏性なので、そんなモッタイナイことは決してできません。 応募者が優れた点を持っているのなら、 たとえそれが KLab の事業と関係なくても、 応募して頂いたのは何かの縁ですから、 是非一緒に働きたいと思ってしまうわけです。 特定の分野に優れた能力を発揮できる人に入社してもらえるなら、 その分野の事業を始めてしまってもいいとさえ思っています。

なので、どんな分野であれ、 応募者が一番得意なことについて、 根掘り葉掘り質問させてもらうことになります。 私が多少なりとも知っている分野なら、 (面接で聞くのは不適切と思われるような) 異常に細かい点、 例えば実装上の細かい工夫とかまで聞いてしまいます。

そんな細かいことまでいちいち聞いていたら、 面接時間が何時間あっても足らないんじゃないか、 と驚かれるかたもいらっしゃるのですが、 私の面接では応募者の職務経歴を一通り聞くなんてことはせず、 応募者が一番自慢したいことだけを徹底的に聞くのがメインなので、 時間が許す限り掘り下げてお聞きするわけです。

しかしながら、 もちろん私が知らない分野もたくさんありますし、 コンピュータの分野であっても私がニガテな分野もあります。 私が何も知らないような分野だと、どんどん掘り下げて質問する、 というのは無理がありますから、そんなときは開き直って、

素人にも分かるように説明してください

って聞いちゃいます。 こう聞かれたら、なんだこんなことも知らないのか、 などと呆れずに丁寧に説明して頂けると幸いです。

応募者が、ずぶの素人である面接官に丁寧に説明したところで、 所詮は素人なんだから、 応募者がその分野についてどのくらい優れているか面接官に伝わるはず無い、 って思う人はいないでしょうか?

確かに、その分野のことについては何も知らないのですから、 その分野における応募者のレベルがどのくらいなのか (例えば、国内で十指に入るのか、あるいは平均くらいなのか、とか) は分かりません。 しかし説明の仕方だけでも応募者の能力はかなりのことが分かると 私は考えています。

「素人にも分かるように説明してください」と求められたとき、 専門用語を、平易な言葉で置き換えようと四苦八苦する人がいます。 勢い余って、さほど「専門的」でない言葉すら無理矢理言い換えようとして、 却って分かりにくくなったりすることもあります。

確かに専門用語だらけの説明は素人にとって分かりにくいし、 専門家の話が分かりにくいのは専門用語の濫用にある、と 考える人が多いのも事実でしょう。 専門用語だらけのマニュアルが非難されることもありますしね。

しかし、専門用語だけの問題でしょうか? 専門用語の全てを解説した用語辞典を引きまくれば専門書が読めるかというと、 そんなことは決してありませんよね?

専門用語の意味さえ分かれれば、どんな専門分野でも理解できるでしょうか? こう聞けば誰でも、そんなはずはないといいますよね? つまり、 専門用語の置き換えるだけでは、 決して「素人にも分かるように」はならないのです。

どんな専門分野でもそうだと思いますが、 その分野特有の考え方、大げさに言えば思想のようなものがあります。 その分野の専門家なら皆が共有している「思想」なので、 あらためて考えてみたりはしませんが、 同じ「思想」を共有している専門家同士だから、 スムーズな意思疏通が可能になります。

逆に言えば、背景思想を共有していない門外漢には、 専門家同士の会話は「宇宙語」に聞こえてしまいます。 たとえ使っている単語自体は平易な言葉ばかりで、 専門用語が一切含まれていなかったとしても、 背景思想を共有していない素人には、 やはり「宇宙語」に聞こえてしまうのです。

「素人にも分かるように説明してください」と求められたとき、 話題にのぼった事項の説明は一時棚上げして、 まず背景思想から説明する人、 こういう人は間違いなく頭がいい人だと思います。 相手と自分が共有している「思想」は何か、 相手が共有していない「思想」は何か、 そして相手の「思想」に何を追加すれば理解してもらえるようになるのか、 そういったことを考えながら話せる人は、 きっと優秀な人なのだと思います。

いろんな人に、いろんな分野について説明してもらったことがありますが、 実に楽しそうに説明してくださるかたもいらっしゃいます。 私が分からない点を質問すると、 よくぞ聞いてくれたと嬉々として答えてくださるので、 とても話が盛り上がります。 そういう人は、 (面接中の感想としては気が早いんですが) KLab に入社して一緒に働けるようになるのが、 とても待ち遠しく感じられます。

Filed under: 技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 06:58
2007年5月16日

技術者の成長に役立つ会社とは?(2)

技術者の成長に役立つ会社とは?(1) をとても多くの方々に読んで頂けました。 頂いたコメントや、 はてなブックマークに頂いたコメントを見ると、 賛同/批判 両方の立場から様々なご意見がありますね。 拙文が多くの方々の考えるきっかけになったのだとすれば、 書いた甲斐があるというものです。 特に学生さんにとっては、これから自身の人生を切り拓いていくのですから、 いま自分の将来について考えることは、 必ず後の人生にとってプラスになることでしょう。

以下に述べるのは、私が考える「技術者の成長に役立つ会社」の条件です。 他の人は異なった考えを持つかもしれませんし、 私自身も常に考え続けているので、 「役立つ会社」の条件が変ってくることがあるかも知れません。 しかし、 「技術者の成長にとって一番役に立つ会社を目指したい」というその思い自体は、 私が技術の責任者であり続ける限り、変らず持ち続けたいと思っています。

成長を邪魔しない会社

エラソーに「技術者の成長に役立つ会社」の条件と言っておきながら、 最初の条件が「邪魔しない」かよ、 えらく後ろ向きな条件だな、 という非難の声が聞こえてきそう (^^;) ですが、

上司は思いつきでものを言う(新書)
橋本 治 (著)

にも書かれているように、

会社は上司のピラミッドを骨格として、現場という大地の上に立っている。 「上から下へ」という命令系統で出来上がっていて、 「下から上へ」の声を反映しにくい。 部下からの建設的な提言は、 拒絶されるか、拒絶はされなくても、 上司の「思いつき回路」を作動させてしまう。

ということは、極めてありがちなのではないかと思います。 つまり、上司は体面を保つ必要がありますから、 部下に接するとき、 部下の良いところを誉めるだけではなく、 つい「粗探し」をして一言追加したくなるものだと思います。

だって、部下のことを 100% 肯定するだけでは、 上司の存在価値が危うくなりますからね~。 なにか部下の至らない点を無理矢理にでも見つけ出して、 教訓めいたことを言って上司の威厳を保ちたくなるものでしょう。

もちろん、部下の狭量な考えを正すために、 いろんな意見を言ってやることが必要なケースもあるでしょう。 「思いつきで」言うことが全て悪いと言うつもりもありません。 しかし、 部下の短所を矯正することばかりに熱中していては、 部下が技術者として成長することを妨げることになりかねません。 例えば、

キミは技術は優れているんだが、 もうちょっと仲間とうまく仕事をやっていくよう努力してもらえんかね? キミも社会人なんだから学生気分は早く捨てて、 チームワークを重視して仕事してもらわんと困るよ。

なんて言ってないでしょうか? 技術が (おそらく上司よりも) 優れている部下に対し、 その得意な技術をもっと伸ばすことよりも、 その部下がニガテとしていること、 例えばコミュニケーション能力を 「人並みに」身につけることを優先するよう要求してしまうわけです。

「感情的コミュニケーション」は、 若いうち (例えば 30歳前半まで) は手を出さないようにして欲しい コミュニケーション能力である。 特に研究者や技術者を目指そうとする若い人たちには、 周りの人がどう思うかなんかは気にせず、 (「空気嫁!」などの罵倒は無視して) 我が道を進んで欲しい。

コミュニケーション能力なんて、 歳をとって頭が固くなってからでも充分身につけることができます。 そもそも技術者にとって「人並み」のコミュニケーション能力なんて、 どれほどの価値があるというのでしょう? 技術者としての成長を考えるなら、 若いときにしか学べない「技術の本質」を身につけることこそ、 優先すべきではないでしょうか。

以上は、積極的に「成長を邪魔する」ケースですが、 以下のように、消極的に「成長を邪魔する」ケースも、 ありがちなのではないかと思います。

すなわち、 技術者の成長を第一に考えるのなら、 それぞれの技術者が自身の能力をフルに発揮して、 得意なことをとことん伸ばすことができるような 活躍の場を与えるべきだと思うのですが、 現実の会社だとそういう「適材適所」は、 なかなか難しいケースが多いかも知れません。 適切な活躍の場を与えないというのは、 成長を邪魔しようと意図しているわけではないにせよ、 結果として邪魔しています。

例えば、 新入社員がある特定の分野において素晴らしい能力を持っていたとしても、 その分野の業務に先任者がいたらどうでしょうか? その先任者を異動させてまで、 新人にその分野の業務を任せる、 という会社は多くはないでしょう。 むしろ、 新人が何が得意か検討して配属先を決めるというよりは、 人が足らない部署への配属を優先する会社の方が 多数派であるような気がします。

さらに言えば、 配属後も新人には雑用ばかりをやらせ、 能力を発揮できる仕事を任せない、 なんてこともあるのではないでしょうか。 上司と同様、 先輩にもメンツというのがありますから、 たとえ後輩の方が能力が高かったとしても、 それを素直に認めて立場を逆転させる (つまり先輩が新人の指示に従う) よりも、 新人の至らない点を無理矢理にでも見つけ出すことに熱中し、 雑用を押し付けることに終始してしまうものなのかも知れません。

会社ってのは、 部下や後輩の技術者の成長を邪魔してしまえ、とささやく誘惑に満ちています。 私自身、そういう誘惑に負けそうになることが全く無いと言えば嘘になります。 部下や後輩の技術者の成長を邪魔していないか、 常に自省し続けることこそ、 「技術者の成長に役立つ会社」の第一の条件と言えるのではないでしょうか。

技術者を「技術そのもの」で評価する会社

技術者が邪魔されずに成長できたとしても、 その成長を「技術そのもの」できちんと評価してあげられなければ、 片手落ちです。 技術的に成長したら成長したぶんだけ、 きちんと評価されて給料が上がる、 こうしてはじめて、 技術的に成長しようという意欲が継続するのだと思います。

こういう話をすると、 なぜ技術的に成長したからといって給料を上げる必要があるのか、 と思う人がいるかも知れません。 会社は技術者養成機関ではありませんから、 能力ではなく成果に対して報酬を支払いたい、 と思う人が出てくるのは当然でしょう。 では、「技術者の成果」とは何でしょうか?

「技術者の成果」とは何でしょう?
技術者が作ったものから得られる売上でしょうか? もちろん、それだけではないですよね? 「青色LED」のように最終的に莫大な利益を生み出したものは、 とても分かりやすい「成果」ですが、 サーバシステムの運用などのような縁の下の力持ちの仕事だって立派な成果ですし、 さらに、自分自身では何も生み出さなくても、 社内の技術者を育てることや、 社内の技術をブログなどで発表して会社の知名度を上げることなども、 立派な成果と言えるでしょう。

技術者という人材を「人財」すなわち会社の資産と考えるのであれば、 技術者の成長とは、「人財」の価値の増加、 すなわち会社の資産の増加を意味します。 売上は単にそのとき限りのフローに過ぎませんが、 技術者の成長はストックとなるわけです。 会計数字には現われにくいので見落とされがちなのですが、 技術者自身の成長こそ、 本来は最も評価されるべき「成果」と言えるのではないでしょうか。

しかしながら、 技術者の成長を「技術そのもの」で正当に評価することは、 容易ではありません。 「技術そのもの」で評価しようとすれば、 その技術分野の概要を理解している程度では全くダメで、 いざとなったら部下の仕事を代行できるくらいの技術力が、 評価する側に求められます。

もちろん、 いろんな得意分野を持つ部下たち全員において、 その仕事を完全に代行できることを上司に求めるのは無理な話でしょう。 部下全員の技術力のスーパーセットの技術力を上司の条件にしていては、 上司のなり手がいなくなってしまいます。

かといって、 半期ないし一年における部下の技術面での成長が、 どのくらい優れたものといえるのか評価できなければ、 つまり毎回「よくできました」「もっとがんばりましょう」などの 概要評価ばかりでは、 部下のモチベーションが下がってしまうことでしょう。 まして、技術面で部下の能力を評価するのを放棄して、 部下の関わったプロジェクトの売上高をそのまま部下の評価としていては、 技術的に成長しようというモチベーションを持続させることは不可能でしょう。

給料の一部が売上 (ないし利益等) に連動する、 ということはあってもいいとは思いますが、 技術力に連動する部分もあるべきで、 技術的に大きく成長したときはきちんと給料に反映させ、 あまり成長できなかったときは何が足らないのか、 きちんと指摘してあげるべきだと思うのです。

それには、 部下それぞれの得意分野について、 パフォーマンスの観点では部下に劣ることがあったとしても、 少なくとも技術内容の理解の観点では勝るとも劣らないことが 重要ではないでしょうか。

もちろん、これとて容易なことではありません。 部下が極めて優秀な場合、 その技術的背景をマトモに理解するには大変な労力が必要となるかも知れません。 つい、技術で評価するのを放棄して、 技術とは関係ない点を持ち出したくなるものだと思います。 しかし、 いくら大変でも、いくら時間がかかっても、 部下の技術を一生懸命理解しようとすることが重要だし、 理解しようと努力し続けてはじめて、 「技術力ではないところで部下を評価してしまえ」という誘惑に 打ち克つことができるのではないでしょうか。

得意分野を見つける余裕がある会社

現在の仕事が自身の得意分野に一致していて、 かつその仕事が好きであれば、 技術者にとってそれは理想的な仕事と言えるでしょう。

一生の時間のうちのかなりの時間を仕事に費やすのですから、 一生かけて取り組みたいと思うようなことをすべきだと思うのです。 好きなことをやっててお金がもらえれば苦労はしない、 と多くの人は言うでしょう。 でも、本当に一生かけてもやりたいほど好きなことってありますか?
面接 FAQ (4) から引用

しかし、 「やりたいこと」そのものズバリを、 最初に就職したときから仕事として やり続けてきた、 という人は少数派でしょう。 (私を含めて) 多くの人は、 いろんなことをやっているうちに、 「これだ」という仕事に出会い、 それにのめり込んでいくものなのではないかと思います。

あるいは、 今の仕事が一番自分に向いていると思っていたとしても、 なにかのきっかけで他の分野のことをやってみたら、 その分野のほうが魅力的であると感じ、 どんどん引き込まれてやっているうちに、 そっちのほうが自分に向いていることに気づく、 なんてこともあるかも知れません。

だから、 本業以外にも、 業務と関係ないことでも、いろいろ挑戦して欲しいと思っています。 ふとしたきっかけで始めたことが、 もしかすると自身の隠れた才能が開花することに 繋がるかも知れないのですから。

本業以外に熱中できる新分野を見つけた部下に対し、 「新分野を頑張るのはいいけど本業も忘れずにね」という忠告はするけど、 その新分野への取組みも大いに応援する、 KLab(株)はそんな会社でありたいと思っています。 勤務時間の 10% は本業以外のことを好き勝手にやっていい、 もし見込みが出てきて周囲から認められるレベルになったら、 それを本業にしてしまってもいい、 という「どぶろく制度」を作ったのも、 熱中できることを見つけるチャンスを逃して欲しくない、という思いからです。

本業の完璧な遂行もいいのですが、 自身の能力を最も発揮できる分野は一体何なのか考える余裕は持って欲しいですし、 技術者それぞれが最も自分に向いている仕事に出会えるように手助けすることこそが、 技術者のための技術会社の存在意義なのではないかと思います。

Filed under: 元CTO の日記,技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 07:34
2007年5月1日

システム管理者の ひろのぶさん、ご結婚おめでとうございます

ひろのぶさん、けいこさん、ご結婚おめでとうございます。

ご両家、ご親族の皆様、本日はまことにおめでとうございます。

どうぞ、おかけになって下さい。

私はひろのぶさんの勤務先であるKLab株式会社で 技術の責任者を勤めている仙石と申します。

ひろのぶさんは、 KLab株式会社で技術者として働いているわけですが、 技術者と言っても当然いろいろな職種があるわけで、 ひろのぶさんはシステム管理者と呼ばれる役割を担っています。

普通の方々にとっては、 「システム管理者」というのは馴染みのない言葉かも知れません。 「管理者」というと管理職のことを思い浮かべるかたも多いかもしれませんが、 管理する対象は人間ではなくてコンピュータのシステムということになります。 平たく言えば、たくさんのコンピュータがきちんと動くよう見張る仕事です。

縁の下の力持ち的な仕事で、ある意味とても地味な仕事といってもよいでしょう。 コンピュータが正常に動いている限り、システム管理者とは空気のような存在で、 ともすると存在を忘れられがちになります。

そしてシステム管理者に注目が集まるのは、 コンピュータにトラブルが起きたときです。 何やってんだ、早よ直せ!そういう罵倒がシステム管理者に向けられます。 仕事がうまくいってコンピュータがきちんと動いているときは空気のように忘れられ、 失敗してコンピュータにトラブルが起きたときは非難の矢面にさらされる、 なんとも損な役回りであります。

だから、システム管理者を目指そうとする人は、 世間一般で言うと、そんなに多くはない。 さらに、技術を磨いてより高いレベルのシステム管理者を目指そうという人は、 よほどの変わり者といってもいいかもしれません。

でも、逆に言うと、レベルの高いシステム管理者というのはとても貴重な存在、 ということになります。 私の感覚で言うと、一人前のシステム管理者は、おそらく全国に 1000人もいない。 何十万人もいるコンピュータ技術者の中で、たった 1000人です。 割合で言うと 1% よりもずっと少ない。 そういう稀有な人材の一人が、ひろのぶさんというわけです。

そういう貴重な人材だからこそ、 もっとシステム管理者の地位を向上させたい、 トラブルが起きたときだけでなく、システム管理者がいい仕事をしたとき —つまりコンピュータがいつもどおり動いているということなので、 あまり華々しさはないのですが— そういうときにも、 システム管理者がきちんと評価されるような、 そういった会社でありたいと思っています。

コンピュータが順調に動いているとき、 システム管理者は 一見、なにもしていないようにも見えてしまうのですが、 実際には、トラブルを未然に回避すべく、 いろんな創意工夫をシステムに盛り込もうとしています。 あるいはシステムに普段と違う様子がないか コンピュータの動作を常に気にかけています。 少しでも違った気配があったりすると、 とても心配して、気が気でなかったりします。

これはもう「愛情」と言ってしまってもいいかもしれません。

コンピュータのような無機物を「愛する」なんて言うと、 変人扱いされてしまいかねない今日このごろなのですが、 モノに対する愛を変なものと考える昨今の風潮は、 いかがなものかと思います。

古来から日本人は万物に霊が宿っていると考え、 様々なものを愛でてきました。 命あるものだけでなく、 そのあたりの石ころや、あるいや刀や兜など、 そういったものにも魂が宿っていると考え、 愛してきたのです。

そういうモノに対する愛が、 工芸品などの高い技術をはぐくんできたのだと思います。 現在、コンピュータに関する技術で日本は米国など諸外国に 大きく遅れをとっているわけですが、 その原因の一つは、 そういったモノに対する愛を忘れてしまったからなのかもしれません。 コンピュータだってソフトウェアだってもっと愛すべきだと思いますし、 そういう心が高い技術を生み出すのだと私は思います。

まとめますと、システム管理者の仕事というのは、 日ごろからコンピュータの具合に気を配り、 愛情を持って接し、 平穏な日常を最大の目標としつつ、 創意工夫を盛り込むことを忘れない、 そういう仕事です。

こうしてみると、システム管理ってのは、 円満な家庭を築くのと驚くほど共通点が多いのではないかと思います。

そういえば、 弊社においてもシステム管理者ってのは愛妻家が多いような気がします。

あ、もちろん、他の職種の人の家庭が円満ではない、と 言っているわけではないです、念のため。

優秀なシステム管理者であるひろのぶさんなら、 きっと素晴らしく円満かつ幸せな家庭を築いていける、、 そんな気がします。

というわけで、 なんとか無事、 お話が結婚のお話に結びついたところで、 お祝いの言葉とさせていただきます。

本日は誠におめでとうございます。

Filed under: 技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 08:48
2007年4月24日

技術者の成長に役立つ会社とは?(1)

ここ何ヵ月か、就職活動中の多くの学生さん達と話す機会を得ました。 いろんな方々と話しているうちに、 会社選びをしているはずの当の学生さん達の多くが、 いい会社の条件について確固たる基準を持っているわけではない、 という思いをますます強くしました。

「安定している会社」「福利厚生が充実している会社」「技術を教えてくれる会社」 などなど、 なんとなく「いい会社」のイメージを思い描いているだけで、 それが自身の人生にどう役に立つか、 筋道だった考えを持っているわけではないことに 改めて驚かされます。

安定している会社

「いい会社」のイメージとして、多くの学生さんがいだくものの筆頭は、 「安定している会社」「儲かってる会社」「勝ち組企業」でしょう。

先月 4/14 19:30 NHK で、 特報首都圏「就職戦線異状あり・格差社会の不安」と題する番組があった。 新卒の学生さん達が「勝ち組になる」ことを目指して 就職活動を行なっているのだという。
そりゃ、勝てるものなら勝ちたいと思うのは人の常なので、 これから社会に出ていこうとする学生さん達が、 将来勝ち組になれるような就職先を選ぼうとするのは至極当然のことだと思う。
ところが
学生さん達曰く、「勝ち組になるため、儲かっている会社に就職したい」。

ここんところ選挙などもあったからか、 「格差是正」を訴える声を聞くことが多かったのですが、 そもそも「格差」ってのは、 誰と誰との間の格差なんでしょうか? 「儲かっている会社に勤めている人」と、 そういう「いい会社」に雇ってもらえない人との間の格差なんでしょうか? 自身の実力は関係なくて、 「いい雇い主」に雇ってもらえるか否かが重要なんでしょうか? こういう発想には、まるで 「いい家柄」の出身かどうかを気にする階級主義者や 「血筋」を気にする人種差別主義者と似たニオイを感じてしまうのです。

「儲かってる会社」に勤めていて、高い給料をもらっていたとしても、 その能力は会社の中だけでしか通用しないものかも知れず、 逆に、儲かってない会社に勤めていたとしても、 自身の能力を磨くことを怠らなければ、 会社を飛び出して活躍できるようになるかも知れないってのは、 誰もが思っていることですよね? 昔は儲かっていたけど、 今では会社が傾いて、ついにはリストラされてしまった、 ってのもよく聞く話です。 「最後に頼れるのは己れの実力だけ」って 誰もがよく口にするわりには、 こと「格差」を考えるときに限っては、 「実力」より「どんな会社に勤めているか」のほうが先に出てくるのは なぜなんでしょうか?

「実力を磨きたいのは山々なれど、 実力を磨かせてくれるいい会社がない」とか、 「実力うんぬん以前に、 まず先立つモノ (給料) がないと」とか、 「実力はあるつもりだが、 それを正当に評価してくれる会社がない」とか、 そういった声が聞こえてきそうです。

確かに、ほとんどの会社は 実力を磨かせるより、コキ使うほうを優先するかも知れませんし、 実力をきちんと評価してくれない会社が圧倒的多数なのかも知れません。 しかしながら、世の中の 99.9% までそういう会社だったとしても、 実際に勤める会社は (当たり前ですが) たった一社でいいんです。 圧倒的多数の会社が社員の能力を伸ばすことに非協力的だったとしても、 そんなことはどーでもいいじゃないですか。 重要なのは自分が実際に就職する会社がどんな会社であるかであって、 世の中の会社の平均がどんな状況かではないのですから。

福利厚生が充実している会社

「安定している会社」を求める以上に不可解なのが、 「福利厚生の充実度」を気にする学生さん達です。 いったい会社に行って何をするつもりなんでしょうか?

自身の実力で会社に利益をもたらし、 その見返りに報酬を得る、というのなら筋が通っていますが、 それなら「福利厚生」みたいな中途半端なものを求めるまでもなく、 ストレートに自身の貢献に見合う「お金」を要求すればよい話です。 「お金」を求める自信も度胸もないからこそ、 「制度」としての「福利厚生」を求めるのでしょうが、 実力が足らないのを自覚しているのなら、 「福利厚生」を享受するなんて余裕をかましている場合じゃないでしょう?

これから社会に出ていく学生さん達が最優先で取組むべきことは、 会社と対等に渡り合える実力を身につけるために、 いま何をすべきか考えることでしょう。 そんな実力を身につけることは自分には永遠にムリと思う人がいるかもしれませんが、 ムリと思えば思うほど実現は遠退きます。 世の中にはいろんな会社があるのですから、 自身の能力を磨くのに適した会社は、 見つけようとしさえすれば、きっと見つかるはずです。

「20:80 の法則」 (パレートの法則) というものがある。 「売上の8割は、全従業員のうちの2割で生み出している」などの経験則が知られるが、 じゃ、その 2割の従業員だけでドリームチームを作れば、 すごい会社が作れるかというと残念ながらそうは問屋がおろさない。 「2割の従業員」がふたたび「20:80」に分かれてしまうのである。 精鋭チームを作ったつもりが、 そのチームの中の多数 (8割) は売上にあまり貢献しなくなってしまう。 逆に、ダメな従業員だけを集めたダメダメチームを作っても、 その中の 2割ほどは頭角を現し、チームを率いるようになる。
つまり能力を向上させる最良の方法は、自分が上位 20% に入ることを目指せるような集団に属することである。 まさに「寧ろ鶏口となるも牛後となるなかれ」。 上位20% に入ることがどうしても無理なら、 それはその集団が向いていないということである。 牛後に甘んじるよりは思い切って飛び出すべきだろう。

会社をイメージで選ぶのではなく、 どんな会社が自分にとって「いい会社」なのか、 考えることから始めるべきではないでしょうか。

技術を教えてくれる会社

「安定している会社」や「福利厚生」を求めるのに比べれば、 まだマシなのが「技術を教えてくれる会社」を求める学生さん達です。 少なくとも自分の能力を向上させようという意欲は持っているのですから。 しかしながら、 「受け身」の姿勢であるという点では、 大差ないのかも知れません。

「技術を教えてもらう」という態度では、 おそらく永久に上位 20% に入ることはできないでしょう。 「技術は伝えるものではなく伝わるもの」なのですから、 教える側に「充実した伝える方法」(例えば完備された指導マニュアル) を 求めている限り、 決して師匠に追い付くことはできません。 技術の習得に関して誰よりも貪欲であり続けなければ、 上位 20% を目指すどころか、 平均的な先輩たちを追い越すことすら覚束ないことでしょう。

つまり、技術を学ぼうとするなら、 その時点での実力はサテオキ、 「伝わる状態」にかけては自分が一番だと自信を持って言い張れる (つまり、その技術を学びたいという情熱にかけては誰にも負けないと言いきれる) 状態からスタートしなければならないのです。

「技術力のある会社に就職すれば、 そこそこの技術を身につけることができる」 そう考える人が多いのかも知れませんが、 これは二重の意味で間違っています。 すなわち、 「伝わる状態」ができていなければ学べないという意味で間違っているだけでなく、 仮に技術を身につけることができたとしても、 「そこそこの技術」では役に立たないという意味でも間違っています。

インターネットなどの普及によって技術に関する情報が巷に溢れる昨今、 「そこそこの技術」であれば、 会社に勤めなくてもいくらでも身につけることができます。 いやむしろ、 会社に勤めることよりも学ぶ意欲のほうがよほど重要でしょう。 技術力のある会社に就職したから技術が身につく、 なんて甘い考えでいる限り、 できることといえば「技術に慣れる」ことどまりでしょう。

長年やっていれば、誰でもそれなりの技術を習得できます。 極端なことを言うと、 どんなに能力がない人でもそのときの自分の状態にあった程度のことを 実践していけば、 その積み重ねの中でやがてはなんらかの技術を習得することができます。
しかし、このようなものは本来、技術の伝達とはいえません。 これを技術の習得というのも不適切で、 ただ単に技術に慣れただけというのが正確な言い方でしょう。
じつはこのように、 経験と慣れだけで技術を獲得してきた人は世の中にたくさんいます。 私はこういう人を「偽ベテラン」と呼んでいます
組織を強くする技術の伝え方 (畑村 洋太郎 著) から引用

「偽ベテラン」レベルの能力では、 「会社と対等に渡り合える」わけもなく、 そんな「使えない」能力を身につけるくらいなら、 別の分野を目指すべきだった、ということになってしまうかも知れません。

だから、高い技術力を持つから「いい会社」なのではなく、 その技術が自分自身が本当に身につけたいと心の底から思えるような 技術か否かのほうが重要だと思いますし、 技術の高さ低さよりは、 自身が技術を身につけていこうとする際に、 「役に立つ」会社か否かを見極めることのほうが重要だと思います。

では、どんな会社が技術者の成長に役立つ会社なのでしょうか?
続きは次回に...

Filed under: 元CTO の日記,技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 07:46
2007年3月13日

「人を動かす」感情的コミュニケーション能力と 「モノを動かす」論理的コミュニケーション能力

先日書いた日記 「コミュニケーション能力の育成を第一とする教育が格差社会を救う」を とても多くの方に読んで頂けた。 はてなブックマークに頂いたコメントを読むと、 多くの方に賛同して頂けたようで、ありがたいことである。

この日記の冒頭で言及した 「某大学情報系学部が主催した、企業と学生のマッチングイベント」 では、 多くの学生さん、先生方にお会いして名刺を配りまくったので、 そのうちの何割かのかたには、 この日記を読んで頂けたはずであり、 なんらかの反応を期待していた。

私はこの某大学情報学部の学生なのですが、 コミュニケーション能力の育成が最優先だったのかと驚きました。 1年生から研究室配属の事をいってるのですかね。 私からすると、コミュニケーション能力育成が最優先に行われている気はしません。
YasuyukiMiuraの日記「コミュニケーション能力」から引用

率直な話、このようなトラックバックを頂けて、 「この某大学情報学部」の教育も捨てたものではない (失礼) と、 ほっとしている。

そもそもコミュニケーションは意味が広い
コミュニケーションは会話などを対象にしていることが多いけれど、 文章だってコミュニケーションの一つなんです、広義で見れば。
同ページから引用

その通りだと思う。 Wikipedia「コミュニケーション能力」に倣って、 「コミュニケーション」を、 「論理的コミュニケーション」と「感情的コミュニケーション」に分けてみよう。

前者の「論理的コミュニケーション」は、 学生さんのうちに是非身につけておいてもらいたいコミュニケーション能力である。 トラックバック元の YasuyukiMiura さんも、 「技術力があってもそれが伝わらなければ意味がない」と書いているが、 自身の技術を高めるには、 論理的コミュニケーション能力が必須である。 技術が好きなもの同士、とことん議論すべきだろう。

その一方で、「感情的コミュニケーション」は、 若いうち (例えば 30歳前半まで) は手を出さないようにして欲しい コミュニケーション能力である。 特に研究者や技術者を目指そうとする若い人たちには、 周りの人がどう思うかなんかは気にせず、 (「空気嫁!」などの罵倒は無視して) 我が道を進んで欲しい。

バイトやサークルの方がコミュニケーション能力が必要な機会が 多いのではないかと思います。 私はバイトもしていないしサークルにも入っていないのでなんともいえませんが。
その後、コミュニケーションはエネルギーを多く使用するので、 若いうちはそのエネルギーを技術を身につけるために使用したほうがよい。 といった感じの話が続くのですが、そうでもないと思います。
同ページから引用

おっしゃる通り、(非技術系の)バイトやサークルは、 感情的コミュニケーション能力を身につけるには最適な場だと思う。 感情的コミュニケーションの何が問題かと言えば、 「エネルギーを多く使用する」ことにあるのではなくて、 「フツーの人が手を出さないようなマニアックなことに興味を持つ」 機会が減ったり、 マニアックなことにどんどんのめり込むモチベーションが途切れがちになるからだ。 「他の人と同じように考え、同じようなことに興味を持ち、同じような娯楽を楽しむ」 ことで、 感情的コミュニケーションは円滑に進むようになる。

もちろん、感情的コミュニケーション能力は社会生活を営む上で、 必要不可欠なものである。 だからこそ、情報系の学生さんを採用しようとする企業の多くも、 感情的コミュニケーション能力を重視した面接を行なっているのだと思う。 しかし、「論理」と「感情」が時に対立するように、 「論理的コミュニケーション能力」と 「感情的コミュニケーション能力」も、 時として相反する能力である。 どちらかを伸ばそうとすれば、 もう片方は犠牲となる。

例えば、デール・カーネギーの不朽の名著:

人を動かす 新装版 (単行本)
デール カーネギー (著)

では、「人を説得する十二原則」のなかの最初の二原則として、

  • 議論に勝つ唯一の方法として議論を避ける。
  • 相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。

を挙げている。 どちらも、技術的なディスカッションを行なう上では、 致命的な障壁となる。 相手の感情を思いやったりせずに テッテー的に完膚なきまで論理的に相手を打ちのめすことは若者だけの特権であるし、 ぜひそういう「真剣勝負」を積み重ねる武者修行の旅に出て欲しいのだ。

研究者や技術者は、 「人を動かす」以前に「モノを動かす」必要があるのである。 どんなに人を説得する能力に長けていても、 コンピュータを思う通りに動かせないプログラマは失格であるし、 どんなに人に感銘を与える建物をデザインできても、 その建物が地震で崩れるのであれば建築士は失格である。

自分ではモノを動かすことができないのに口ばかり達者な評論家の言うことには、 どうか影響されないで欲しい。 研究者・技術者に必要なのは、 まず第一に他の人よりうまくモノを動かす能力である。 そしてぜひ信じて欲しいのだが、 人を動かす能力は歳をとってからでも身につけることができる。 デール・カーネギーの著書にも、そういう事例はたくさん出てくるし、 私自身、 デール・カーネギーの著書など、感情的コミュニケーションに関する本を読み耽るようになったのは、 KLab(株)の創業に関わるようになった 34歳になってからのことである。

Filed under: 技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 17:12
2007年3月9日

コミュニケーション能力の育成を第一とする教育が格差社会を救う

某大学情報系学部が主催した、企業と学生のマッチングイベントに参加させて頂いた。 その学部では、 コミュニケーション能力の育成を最優先に考えているとのこと。 多くの企業は (情報系の) 新卒の学生さんに技術力よりは コミュニケーション能力を求めているというから、 そのニーズに答える形でこのような教育が行なわれるようになったのだろう。

だから責められるべきは大学側ではなく、企業側である。 なぜ情報系の卒業生に、 コンピュータ技術者としての素養ではなく、 コミュニケーション能力を第一に求めてしまうのだろう?

このイベントには、学生さん達による研究発表 (パネル展示) もあったのだが、 研究内容そのものよりも、 いかに分かりやすく説明するか、 さらにいえば、聞きに来た人にいかに満足してもらうか (ひらたく言えば、いかに「わかったつもり」にさせるか) に 重点を置いているという。 企業側参加者に配られたアンケート用紙は、 学生達の対応マナーの良し悪しや、 しゃべり方の巧拙の評価を問う項目ばかりが目立つものだった。 まるでファミレスやスーパーに置いてある「お客様アンケート」のようだったと 言ったら信じてもらえるだろうか?

もちろん私としては、 プレゼンの巧拙なんかには興味がなく、 まして「分かったつもり」状態を何よりも嫌い、 研究内容そのもの (特に発表者その人が研究活動を通して具体的に何を考えたか) に 興味があるわけで、 接客マナーの向上に腐心していた学生さん達には気の毒なのだが、 パネルに書いてあることそっちのけで質問しまくってしまった。

- o -

学生のうちにコミュニケーション能力を身につけていれば、 たしかに就職したときに会社に慣れるのも早いし、 与えられた仕事を要領よくこなすことができるだろう。 技術にのめり込んで人付き合いが下手なまま社会人になるより、 よっぽど明るい未来が待っていそうである。

そもそも技術や学問やその他、フツーの人が興味を持たないようなことに 熱中すること自体が不幸の始まりである。 ちかごろは「ヲタク」が表舞台に登場することも多くなったわけであるが、 富と名声を獲得した「ヲタク」は正に氷山の一角であって、 彼らの成功は累々と築かれた屍の上の砂上の楼閣であることを忘れてはならない。

他の人と違うことに興味を持てば、 当然フツーの人が楽しんでいる娯楽では満足できなくなる。 これはとても大きな不幸である。 新たらしモノ好き、今風の言葉で言えば アーリーアドプタ (early adopter) はとても損をする。 もう少し普及するのを待っていれば安く買えるのに、 どうしてわざわざ値段が高いときに新製品を買うのだろう? 一つ一つの支払額の増分は大したことがないかもしれないが、 塵も積もれば巨額になる。 パソコンの黎明期は、パソコン関連にウン百万円投資した、 などという話は普通に耳にしたが、 今ではパソコン関連に二十万円以上費やすことの方が難しい (しかも何十年も前のウン百万円と言えば今だとその十倍以上の価値がある)。

変わり者が損するのは、物を買うときだけではない。 そもそも社会全体に対するサービスが、 多数派のためのものである。 ロングテールを狙ったサービスなんてのは嘘っぱちで、 ほとんどのサービスは 20% 以下の少数派のことは切り捨てている。 テレビ放送に至っては、 全人口のせいぜい 50% くらいのニーズしか満たしていないはずだが、 どれだけのカネと貴重な電波資源がテレビ放送網の構築に費やされているか 考えてみたことがあるだろうか? 民主主義の原則は「最大多数の最大幸福」である。 多数派に属さない人が切り捨てられて損をするのは当然だろう。 テレビなんて低俗だから見る気がしない、 なんて平然と言っている人の気が知れない。 他の人と同じように振る舞わなければ損をするのである。

血気盛んな青年期を過ぎれば、新しいことには興味を持ちにくくなる。 若いうちにコミュニケーション能力を身につけて、 大勢の人と馴染めるようになっておけば、 フツーの人が手を出さないようなマニアックなことに 興味を持ってしまうリスクは避けられる。 他の人と同じように考え、同じようなことに興味を持ち、 同じような娯楽を楽しむことができれば、 どんなに幸せなことか。

もちろん弊害もある。 新しいことを始める人が現われなければ、当然進歩も止まる。 しかし、世の中こんなに便利になったのだから、 これ以上何を進歩させる必要があるというのだろう? どんなことにも弊害は付き物である。 最大幸福のためには犠牲にしなければならないこともある。

それに、とっぴなことを始める人がいなければ、 誰もがフツーに働いてフツーに労働時間に見合った報酬を受取るだけの社会になる。 労働時間では測りきれない価値を 唐突に生み出す人がいるから富が一部の人に集まって 格差が生まれるのであって、 だれもが平凡な生活をするに留まっていれば格差社会など生まれるはずがない。 みんなが同じように考え、同じように行動し、同じように幸福な画一的な社会、 それこそが格差が無いみんながハッピーな理想社会である。

みんなが同じことをしていては進化がないと言い張る人がいるかもしれないが、 そもそも「進化」とは何だろう? 人間の大脳皮質はなぜ他の動物に比べて極端に大きいのだろう? 科学技術を発展させるため? 決してそんなことはない。 大脳皮質の容量だけを考えれば、縄文時代も現代もさして差はないのである。

なぜ人間の大脳皮質はこんなに大きいのか? それはコミュニケーションのためである。 複雑・高度化した社会 (原始人の社会にも複雑な人間関係があったと考えられているし、 集団生活を営む哺乳類の多くには様々な複雑な行動様式が観察される) をコミュニケーション能力を駆使して要領よく立ち回り、 より多くの子孫を残せた個体のみが遺伝子を次世代に伝えることができる。 平たく言えば、集団の中で異性に「モテる」方向へ、進化圧が働くのである。 人間を人間たらしめる本質はコミュニケーション能力にある。

一口にコミュニケーション能力というが、 情報処理能力としてみると驚異的な能力である。 相手の顔色を素早く読んで、その場の空気に最適な話題を振り、 わずかな声色の変化から相手の思考を読み取る。 我々はほとんど意識すること無く、 相手のわずかな目の動きやしぐさを読み取って コミュニケーションを行なっているが、 「意識せずに行なえる」から大したこと無いと思っては大間違いである。 下らない話に終始する井戸端会議ですら、 現在のコンピュータでは足下にも及ばない超高度な情報処理の賜物なのである。

それが証拠に、 コミュニケーション能力の欠如が、 超人的な能力の開花につながることがある。 つまり本来ならコミュニケーションという高度な情報処理をこなすために あったはずの大脳皮質の一部が、 別の目的に使われてしまうために発症する知的障害の一形態である。

サヴァン症候群(savant(仏語で「賢人」の意) syndrome)とは、 知的障害を伴う自閉症のうち、ごく特定の分野に限って、 常人には及びもつかない能力を発揮する者を指す。 サヴァン症候群の共通点として、 知的障害と共に異常といえるほどの驚異的な記憶力・表現力を持つことが挙げられる。

天才の多くに、 コミュニケーションに関して大なり小なりの難があるのは偶然ではない。 コミュニケーションという超高度な情報処理能力の一部を放棄することによって 確保した「脳の空き容量」を使って、 常人には成し得ない偉業が達成されているのである。 そして忘れてはいけないのは、 天才の多くが不幸なまま一生を終えている点である。 死んだ後に全世界の尊敬を一身に受けたところで後の祭りである。

若いうちからコミュニケーション能力を磨き、 大多数の人が興味を持たないようなことには決して手を出さず、 フツーの人と同じことに考え、同じように振る舞うことこそ、 幸せな一生への最短経路であり、 大多数の人にこのような幸せな人生をおくらせるような教育を行なうことこそが、 格差のない平和な社会への唯一の道であろう。

- o -

大変遺憾なことではあるのだが、 私自身は中学生の時に当時まだ大変珍しかったパソコンに出会ってしまった。 パソコンにのめり込んでいったために、 自身のコミュニケーション能力を伸ばす努力を怠ったのは、 目新しいものに惹かれる若さゆえのあやまちだったと認めざるを得ない。 当時パソコンに興味を持った人は全人口の 0.01% にも満たなかったはずで、 その後マイナー路線を突っ走ってしまった。 通った中学校に、 たまたま「マイコン部」があった不幸な偶然に感謝したい。

(続く)

Filed under: 技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 07:37
2007年2月19日

キャリアにおける「鶏と卵」 ── 「卵」を後回しにして欲しくない

私は「やりたいことを仕事にすべき」と常日頃から主張しているのですが、 自分自身のことを振返ると、 必ずしも「やりたいこと」そのものズバリを 最初からやっていたわけではないことに気づきます。

「鶏がさきか、卵がさきかの議論になっちゃうんだけど」なんて枕詞があるが、 こと20代のキャリアにおいては 「まず目の前の仕事で最高の成果をだすことが"さき"で、 自分がやりたいと思う仕事をおっかけるのは"あと"」というのは 私の中では確信に近い。

確かに、何をやるにしても最初は素人であるはずで、 ずぶの素人が「この仕事をやりたい」と言ったところで、 任せてもらえることはレアケースでしょう。 仮に任せてもらえたとしても、 初めてやる仕事で成果を出せるとは限りません。

私は学校を卒業後、某大企業の研究所に就職し、 遺伝的アルゴリズムの研究に取組みました。 当時は (今も?) 大企業の研究所というのは人気職種で、 今から思えば「やりたいこと」というよりは 「人気の職種だから」やってみたいという思いの方が 強かったような気がします。

もちろん嫌々仕事 (研究) をしていたわけではないのですが、 仕事の合間を見つけては、 本業そっちのけで職場のイントラネット環境の整備に没頭してしまいました。 当時はまだ「イントラネット」という言葉すら生まれていない時代で、 何をするにもいちいち不便なネットワーク環境だったので、 いろいろ改善しようと思ったわけですが、 次第にネットワークの方が面白く感じるようになってしまいました。

入社当時に配属された部署というのは正直私があまり関心がある仕事ではなかったが、 当時はまだ"ひよっこ"という意識が強かったので、 とにかく結果をだすことに専念をした。
(中略)
どちらかというと目の前にある仕事をこなし、 そこで結果をだすのが精一杯で、 自分の関心が本当にどこにあるのかということを真剣に考える余裕も正直なく、 とにかくアサインされたプロジェクトで結果をだすことにがむしゃらになった。
同ページから引用

私の場合、配属された部署というのは関心がある仕事だったのですが、 もっと関心のある分野を見つけてしまったため、 本業 (目の前にある仕事) がおろそかになった、という感じでしょうか。 もしあのとき、 「アサインされた仕事で結果をだすことにがむしゃらになって」いたら、 本当に自分に向いていることを見つけ損なっていたのかも知れません。

確かに、他に熱中できることがなければ、 目の前の「本業」にがむしゃらになって取組むことも重要だとは思うのですが、 自分が本当は何に向いているのか、 いろいろ「かじってみる」余裕は持っていて欲しいと思うのです。

プロ野球選手を目指す子供に対して、 「野球を頑張るのはいいけど勉強も忘れずにね」というような忠告なら有用だと思う。 だけど、「プロ野球選手が本当の自分のゴールかどうかなんてわからないんだから、 まずは(アサインされた)目の前のテストで100点を取りなさい。 野球をするのはそれからだ」とは言わないでしょう?

本業以外に熱中できる新分野を見つけた部下に対し、 「新分野を頑張るのはいいけど本業も忘れずにね」という忠告はするけど、 その新分野への取組みも大いに応援する、 KLab(株)はそんな会社でありたいと思っています。 勤務時間の 10% は本業以外のことを好き勝手にやっていい、 もし見込みが出てきて周囲から認められるレベルになったら、 それを本業にしてしまってもいい、という「どぶろく制度」を作ったのも、 熱中できることを見つけるチャンスを逃して欲しくない、という思いからです。

キャリアは偶然によって作られるものだと私も思う。 なので、その偶然をどう活かすかというのは非常に大切になってくる。 でも「偶然のレベル」と「自分のレベル」は等価なので、 偶然を活かす良いスパイラルを生み出すためには、 まず自分のレベルを上げないと始まらない。 なので、今ある仕事の中で自分のレベルを上げることを第一に考えるべきです。

確かにその通りなのですが、 「偶然のレベル」を引き上げることは、 個人一人一人が自身のレベルを引き上げることによってだけでなく、 「偶然」を起りやすくする環境を会社が整えることによっても可能だと思いますし、 それこそが技術者のための技術会社の存在意義なのではないかと思います。

Filed under: 元CTO の日記,技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 09:46
2007年2月9日

組織を強くする技術の伝え方

ふと立ち寄った本屋で、たまたま手にした本:

プログラミングでメシが食えるか!?
―成功するプログラマーの技術と仕事術 (単行本)
小俣 光之 (著)

を読んでみて驚いた。 私がプログラミングについて漠然と考えていたことを、 とてもよく整理した形で説明している。 ふだん私はこの手のコンピュータ関連「読み物」をほとんど読まないのだが、 書いてあることにいちいち共感してしまって、 そのまま一気に読んでしまった。

プログラミングに関して、ここまで私と考えが似通っている本を 今まで読んだことがなかったので、 著者の小俣さんにメールを送ったところ程無く返信があり、 直接お会いして色々お話することができた

メールの中で小俣さん曰く、 「本書は批判的なコメントが多い中、共感いただけて本当にうれしいです」。 例えば Amazon のカスタマーレビューには、

内容が古すぎます, 2007/1/29
この本の前半はプログラミングスキルの説明をしているのですが、 いかんせん内容が古すぎます。
(中略)
それと本書では複数の開発言語を勉強することを 時間のムダであるかのように書かれていますが、これは大きな誤りです。 優れたプログラムを書くには多くのプログラミング言語を理解し、 その言語に合わせたプログラミングを行なわなければなりません。
タイトルに惹かれて本書を買いましたがその答えはどこにも書かれていませんでした。 まさか最後の章に書かれている「固有技術を磨く」が答えなんでしょうか? 1つの技術に固執すると、その技術が使われなくなったタイミングでメシが食えなくなります。
全体的にがっかりな内容です。

という批判が載っている。 まあ、誰しも自分が考えたいようにしか考えないものだし、 自身の考えが否定されるような本に対しては、 強く反発するのも仕方がないところだと思う。 私自身、私のブログに対し次のような批判的なコメントをもらったことがある。

3. Posted by 20代練習生    2006年07月07日 06:37
こういう記事は老害でしかないと思うんですが。
(中略)
昨今の情報が過剰な状況では、筋道立てて何かを学ぶなんて不可能です。 というか系統立てて学ぶなんて愚かなことです。
あらゆる分野でコミュニティが確立されていて、 何か疑問や問題点があってもそこへポストすれば即座に解決可能です。
こういう時代では、芯の通った骨太で系統的な知識よりも、 断片的で、それ自体では応用も利かないようなぽつぽつとした知識を 多くもっていることの方が価値があると思います。

「優れたプログラムを書くには多くのプログラミング言語を理解し、 その言語に合わせたプログラミングを行なわなければならない」とか、 「断片的な知識を多くもっている方が価値がある」などと思い込んでいる人に、 「その考え方は間違っている」なんて言ってもよりいっそう反発されるだけだし、 そもそも道を誤ったエンジニアを救うよりは、 将来伸びる素質を持ったエンジニアを育てる方が楽しいわけで、 間違った考え方を正してやる義理はないとは思う。

しかしながら、間違いを正してやることにより 伸びる可能性が出てくる人であれば話は別である。 また、その可能性が出てくる人というのが 自分の部下だったり一緒に仕事をする仲間だったりすればなおさらだろう。 というわけで、

組織を強くする技術の伝え方 (新書)
畑村 洋太郎 (著)

を読んだ。「技術は時代とともにダイナミックに変化するが、 その本質部分がきちんと伝わらないと、 大きな変化に対応ができない。 だからこそ『技術を伝える』ことについて徹底的に考え尽すことが必要」と 本書は説く。大変感銘を受けた。特に

技術というのは本来、「伝えるもの」ではなく「伝わるもの」なのです。
(中略)
伝える側が最も力を注ぐべきことは、 伝える側の立場で考えた「伝える方法」を充実させることではありません。 本当に大切なのは、 伝えられる相手の側の立場で考えた「伝わる状態」をいかにつくるかなのです。
第2章 伝えることの誤解 53ページから引用

は、「技術を伝える」ことの本質を見事に言い表しているように思う。 間違った考え方を正してやるには、 まず相手の頭の中に「伝わる状態」をつくらねばならない。

何かを若い人たちに伝えようとしたときに、 「内容が古すぎる」とか「老害」だとか反発する人はいつの時代にもいる。 もちろん古くなって伝えるに値しなくなるものもあるが、 たとえ日進月歩のコンピュータ/インターネットの世界であっても 不易普遍なものはある。 そういったものを「古い」という理由だけで学ぶに値しないと思い込んでいる輩は、 畑村氏が言うところの「偽ベテラン」ないし「偽ベテラン予備軍」なのであろう。

長年やっていれば、誰でもそれなりの技術を習得できます。 極端なことを言うと、 どんなに能力がない人でも そのときの自分の状態にあった程度のことを実践していけば、 その積み重ねの中でやがてはなんらかの技術を習得することができます。
しかし、このようなものは本来、技術の伝達とはいえません。 これを技術の習得というのも不適切で、 ただ単に技術に慣れただけというのが正確な言い方でしょう。
じつはこのように、 経験と慣れだけで技術を獲得してきた人は世の中にたくさんいます。 私はこういう人を「偽ベテラン」と呼んでいます
終章 技術の伝達と個人の成長 170ページから引用

どんどん移り変わる表層的な技術や、 応用は効かないが当座の役には立つ断片的な知識は、 検索一発で探し当てられる便利な世の中だからこそ、 「技術の伝達」の重要性はますます高まっているのだと思う。

Filed under: 技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 07:17
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