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	<title>仙石浩明の日記 &#187; 自己啓発</title>
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	<description>CTO兼プログラマ兼システム管理者の視点から</description>
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		<item>
		<title>生涯 「こだわらないエンジニア」 宣言</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2011/11/884/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2011/11/884/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Nov 2011 06:59:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[仙石浩明CTO の日記]]></category>
		<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

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		<description><![CDATA[2011年11月28日の KLab(株) 株主総会 (上場前の株主名簿に基づく最後の総会) 終了後、 私は取締役CTO を退任いたしました。 今から遡ること 11年前 2000年8月1日の (株)ケイ・ラボラトリー (当 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
2011年11月28日の KLab(株)
株主総会
(上場前の株主名簿に基づく最後の総会)
終了後、
私は<a href="http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?cat=tdnet&amp;sid=936284">取締役CTO を退任いたしました</a>。
今から遡ること 11年前 2000年8月1日の
(株)ケイ・ラボラトリー (当時の KLab の社名) 創業以来、
会社経営については全く無知であった私が何とかここまでやってこれたのは、
ひとえに皆々様方のご指導ご鞭撻のおかげであったと深く感謝いたします。
誠にありがとうございます。
引き続き KLab(株) 技術顧問として留まりますので、
今後ともよろしくお願いいたします。
なお、
後任として安井真伸が CTO に就任しました。
</p>
<p>
11年前、
日立製作所の研究所勤務の一研究員だった私が、
なぜケイ・ラボラトリーの立ち上げに参加したかといえば、
未知のモノに関わるチャンスがあれば、
あまり後先考えずに飛び付いてみる性格だったというのが大きかったと思います。
</p>
<blockquote>
中途半端に好きな状態で居るのではなく、
興味を持ったのなら、全力で取り組んでみる。
自分の能力がどれくらいのものかと、把握できるまでやってみる。
そして向いてない、止めると決めたらそれ以上は手を出さない。
それを繰り返すことで、本当に自分が好きなもの、
人並み以上の価値を生み出せるものを見つけ出し、
それを仕事にしていったのが仙石氏のキャリアなのだ。 
<div align="right"><a href="http://www.gcd.org/blog/2010/12/692/">“自分に向いたこと” を見つけ、自分にしか生み出せない価値を持て</a></div>
</blockquote>
<p>
日立では一人の部下も持っていなかった私が、
マネジメントの何たるかを全く理解しないままに、
当時規模は小さかったとはいえ、
エンジニア集団のトップとして責任を負う立場に立ったというのは、
チャレンジというよりは無謀であったかもしれません。
</p>
<p>
失敗も多かったのですが、
まがりなりにも 11年も続けられたということは、
「経営者」
が向いていたということなのでしょう。
それまで私は自分のことを 100% 技術者 (ちょっとだけ研究者) だと思っていたのに、
マネジメントもそれなりに向いていたというのは発見でした。
「ベンチャー立ち上げ」
というチャンスに後先考えずに飛び付いて本当に良かったと思います。
</p>
<p>
もちろん、
私がしでかした数多くの失敗で、
多くの方々にご迷惑をおかけしました。
私の未熟さゆえに厄災に遭われた方々
(が本ブログの読者である可能性は低いのですが)
にはこの場をお借りしてお詫び申し上げます。
</p>
<p>
右も左も分からない手探り状態で CTO の仕事を始めて以来、
一貫して自分に課していたことがあります。
それは、
「部下に仕事を任せること」。
ケイ・ラボラトリーの黎明期は、
やるべきことが多すぎて、
それこそ猫の手も借りたい状態だったので、
「仕事を任せること」
を自分に課したというよりは、
手が回らないから結果的に任せた格好になっていただけなのですが、
経営陣の末席を汚しているうちに経営とは何であるか私なりに学ぶ機会もあり、
黎明期を脱した後も、
たとえ自分がやりたい仕事であっても、
部下でもできる仕事であれば敢えて手を出さず、
任せるようにしてきました。
</p>
<p>
部下を育てなければ会社がまわらないわけで、
「仕事を任せることが重要」
なんてことは誰でも知ってるし、
誰でも実践していることだと思いますが、
自分がやりたい仕事まで手放す、
ということになるとどうでしょうか?
</p>
<p>
2006年に、
こんなことを書いています:
</p>
<blockquote>
積極的に<a href="http://www.gcd.org/blog/2006/05/68/">今の仕事を捨てる</a>べきでしょう。
部下 (or 後輩) が成長してきて、
自分の代わりがつとまるようになったら、
全てその部下に任せてしまい、
新しいことにチャレンジするわけです。
そうすれば部下も育つし、
自分を変えることができます。
運がよければ新たな成長フェーズに入れるかもしれません。 
<div align="right"><a href="http://www.gcd.org/blog/2006/08/376/">成長する秘訣は、今の仕事を捨てて自分を変えること</a></div>
</blockquote>
<p>
私は、
チャンスに巡り合ったときに躊躇なく飛び付けるように、
あるいは新しいチャンスに巡り合う確率を上げるために、
取組んでいた仕事がある程度まわるようになったら、
その仕事にはこだわらず、
むしろその仕事を手放して別のことに取組むようにしてきました。
</p>
<p>
手放した仕事の中で一番大きかったのは、
大学院と日立で計 11年間も続いていた研究者としての仕事だったわけですが、
もし、
ベンチャー立ち上げに参加するチャンスに巡り合ったとき、
研究者としての仕事にこだわってチャンスに飛び付くのを躊躇していたら、
CTO をやってみることもなかったかもしれません。
当時は研究こそ自分の
「やりたい仕事」
だと思っていたのですが、
それを敢えて手放したことで CTO としての仕事に巡り合えたのだと思います。
</p>
<p>
その CTO の仕事も 2008年の時点で丸 8年になり、
かつての部下が二人も役員に登り詰めるに至って、
そろそろ私が KLab で果たせる役割も終わりが近づいてきたと意識し始めました。
社内で、
ことあるごとに
「CTO を辞めるつもり」
と (誰も本気にしてくれませんでしたが) 言っていましたし、
社外でも公言していました:
</p>
<blockquote>
KLab を設立してから、どんどん仕事を捨てて自分を変えている 
(ピーターの法則に陥らないように)。
部下が成長したらすべて任せてしまう。
すべての仕事を部下に振り終えたら、私は CTO をやめる予定。
早く育成しないと。 
<div align="right"><a href="http://www.gcd.org/blog/2009/10/402/">パネルディスカッション ～CTO のから騒ぎ for the future～ に登壇しました</a></div>
</blockquote>
<p>
株式の上場が現実味を帯びてきた頃、
ボトルネックの一つが人事制度でした。
人事は私にとって全く未知のモノでしたから迷わず飛び付きました。
労働基準法を一から勉強したり、
人事マネージャ候補を 20人以上面接したり、
弁護士や社労士の先生方と連係したりと、
初めてのことばかりで失敗もあったのですが得難い経験をしました。
特に人事担当者を採用するための面接は、
技術者の面接とはまるで異質で、
大変勉強になりました。
とはいえ、
私は (予想通り) あまり人事向きではなかったので、
一年程度で人事の仕事は手放して後任に引き継ぎました。
</p>
<p>
そして無事上場を果たしたいま、
KLab の業績は<a href="http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?template=ir_material&amp;sid=12067&amp;code=3656">絶好調</a>です。
過去 11年間の KLab の歴史の中で最も好調な今だからこそ、
11年続いたこの仕事を捨てて自分を変える最適のタイミングだと判断しました。
未練がないと言えば嘘になりますが、
新しいチャンスに巡り合うために敢えて取締役を退任することを願い出た次第です。
私のワガママを快く受け入れてくださった、
真田社長をはじめとする取締役の方々に感謝いたします。
</p>
<p>
今後は、
籍こそ KLab に残すものの、
非常勤ですので時間は最大限自由に使うことができます。
まずは様々な人とお話しして、
どこかにチャンスが落ちていないか ;-) 探すつもりです。
私から連絡するかも知れませんが、
もしご関心があればご連絡頂ければ幸いです。
私は今まで何百人 (数えたことがないので正確な数は不明) 
もの人を面接してきましたが、
面接を受けたのは (新卒時を含めて) 数回程度しかないので、
他社がどんな面接をしているのか大変興味があります ;-)。
</p>
<p>
私は、
23歳からの 11年間を研究者として、
次の 11年間を経営者として全力で取組んできました。
私はまだ 45歳、
さらにもう 11年間くらいは何か別のことに全力で取組むことができるはずです。
</p>
<blockquote>
ついでにいうと、
コンピュータに巡り合ったのが 12歳の時なので、
コンピュータを専ら趣味でいじってた期間も 11年間です。
そしてこの 33年間、
コンピュータに対する関心だけは変らず一貫しているので、
根底ではエンジニアが一番向いているということなのでしょう。
</blockquote>
<p>
私がいままでやってきたことにこだわるつもりはありません。
11年前、
それまで研究者だった私が、
研究にこだわらずに無謀にもベンチャーの立ち上げに参加したからこそ、
今の私があるわけで、
これからも、
そして生涯、
こだわらずに未知への挑戦を続けていきたいと思います。
</p>]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>“自分に向いたこと” を見つけ、自分にしか生み出せない価値を持て</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2010/12/692/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2010/12/692/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 15 Dec 2010 06:19:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[仙石浩明CTO の日記]]></category>
		<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.gcd.org/blog/?p=692</guid>
		<description><![CDATA[今年 8月に、 株式会社ドリームキャリアさんのインタビューを受けました。 ドリームキャリアさんは、 理系学生のための就職情報サイト 「理系ナビ」 を運営している会社です。 いま、 一部の大学で配布中の小冊子 「理系ナビ  [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
今年 8月に、
<a href="http://www.dreamcareer.co.jp/">株式会社ドリームキャリア</a>さんのインタビューを受けました。
ドリームキャリアさんは、
理系学生のための就職情報サイト
「<a href="http://www.rikeinavi.com/">理系ナビ</a>」
を運営している会社です。
いま、
一部の大学で配布中の小冊子
「<a href="http://www.rikeinavi.com/12/magazine/10winter/index.html">理系ナビ 10冬号</a>」
の巻頭の
「トップインタビュー」
に<a href="http://www.rikeinavi.com//magazine/10winter/sengoku.pdf">掲載されました</a>。
2012年卒 (に限りませんが) 
の学生さんの就職活動の参考になれば幸いです。
</p>
<p>
ドリームキャリアさんの許可を得て、
記事全文を転載します:
</p>
<div align="center">
<p>
- o -
</p>
</div>

<h2>“自分に向いたこと” を見つけ、<br />
自分にしか生み出せない価値を持て</h2>
<p>
KLab株式会社 取締役 CTO 仙石 浩明
</p>
<p>
会員数 500万人を超えるソーシャルアプリ
「恋してキャバ嬢」
を開発・運営するなど、
ソーシャル、クラウドをキーワードに事業展開を図る KLab株式会社。
その最高技術責任者 (CTO) である仙石浩明氏は、
専門誌でサーバ構築に関する連載を持ったことがあるなど、
業界でも名の知れた人物だ。
自身も IT業界でキャリアを積み、
KLab の取締役として数多くの新卒・中途採用の面接を重ね、
そして入社してきた相当数のエンジニアの仕事ぶりを見つめてきた仙石氏に、
就職先を選ぶ際に気を付けるべきポイントについて話を聞いた。
</p>

<h3>考える前にやってみる。<br />
そして見つけた自分に向いた仕事</h3>

<p>
「世の中には、
仕事を楽しんでいない人が多いように感じますね。
どんな仕事をしても良いのですが、
楽しんでほしい。
楽しめないような職業は選んでほしくないのです。
楽しめなければ成長できるはずがない」
</p>
<p>
これから就職活動を迎える学生に、
このようなメッセージを送るのは KLab株式会社最高技術責任者 (CTO) の仙石浩明氏。
「朝、コンピューターに向かったら熱中してしまい、
気が付いたら夜だった」
というほどのめり込めることを仕事にする仙石氏は、
コンピューターとは中学時代に出会ったという。
</p>
<p>
ただ、コンピューターばかりにのめり込んでいたわけではない。
高校の時は数学好きで特殊相対性理論にも興味を持った。
哲学にもはまり、
大学で哲学を専攻しようかと真剣に悩んだこともあったが、
最終的には哲学よりも好きだった情報工学を学ぶことに決め、
京都大学工学部に進んだ。
</p>
<p>
そのまま大学院に進み、
就職活動を迎えた仙石氏は、
日立製作所への入社を選ぶ。
当時、
情報系の研究をするなら NTT の研究所が一番人気。
仙石氏は NEC のインターンシップにも参加していたが、
あまのじゃくな気質を発揮して
「それ以外から選ぼう」
という判断をしたそうだ。
</p>
<p>
日立に入社した後は、
遺伝的アルゴリズムやネットワーク基盤技術の研究を進める。
だが入社してから、
会社での仕事以上に熱中したのはテニス。
定時であがって、
日没までテニスを続けるような日々だった。
</p>
<p>
ただ、
そのテニスは半年間しか続けなかった。
「私の場合、
『向いているんだろうか』
と考える前にやってみます。
やってみて向いてないと思えば止めてしまう。
コンピューターの道だけを選んで成功したと人には思われているようですが、
物理、数学、哲学、テニスと試してみて、
止めたものも数限りなくあるのです」
と仙石氏は自身がテニスを止めた理由を説明する。
</p>
<p>
中途半端に好きな状態で居るのではなく、
興味を持ったのなら、
全力で取り組んでみる。
自分の能力がどれくらいのものかと、
把握できるまでやってみる。
そして向いてない、
止めると決めたらそれ以上は手を出さない。
それを繰り返すことで、
本当に自分が好きなもの、
人並み以上の価値を生み出せるものを見つけ出し、
それを仕事にしていったのが仙石氏のキャリアなのだ。
</p>

<h3>ほかの人にもできる仕事は最小限に<br />
自分しかやれない仕事にフォーカス</h3>
<p>
元々、
定年まで働くつもりはなかったというが、
大手企業で働くうちに仙石氏は会社に違和感を覚えるようになる。
上司から指示される仕事は、
ほかの人にでもできるような仕事。
「ほかの人ができることをやっていても差が付かない」
と考えた仙石氏は、
必要最小限で済ませるようになり、
上司から指示されていない自分にしかできない研究に取り組んでいった。
</p>
<p>
しかし、
そうした働き方が評価されるわけではなく、
仙石氏の給与は年功序列でほかの社員と横一線。
会社から与えられる仕事は、
相変わらず代わり映えしなかった。
</p>
<p>
そんな時に、
仙石氏のところに１本の電話が掛かってくる。
外資系ヘッドハンティング会社の転職代理人からの転職を勧める電話だったが、
「転職という手段もあるのか」
とその時に初めて意識することになる。
</p>
<p>
そして転職代理人から薦められたモバイルコンテンツ開発会社に面接へ行ってみたところ、
「新しく研究開発の会社を立ち上げます」
という話を聞く。
当時の仙石氏はベンチャーに興味があったわけではなく、
携帯電話すら持っていないような状況だったが、
「面白いかもしれない。
やったことがないからやってみよう」
と転職を決意する。
</p>
<p>
そんな経緯で入社したのが KLab の前身となるケイ・ラボラトリー。
CTO に就任した仙石氏は、
世界初の携帯電話向け Javaアプリの開発、
携帯電話端末の技術仕様策定等、
モバイル技術開発会社として業界内で存在感を示す KLab を、
技術面でリードしていくことになる。
</p>

<h3>“自分にしかできないこと” を<br />
評価してくれる会社の見分け方</h3>

<p>
仙石氏は自身の経験を踏まえ、
エンジニアが就職先を選ぶのなら、
“自分にしかできないこと”
を評価してくれる会社にすべきだと訴える。
</p>
<p>
「会社は
『この仕事をやってほしい』
と考えて、
誰にでもできる仕事を任せるために人を採用している面もあります。
ですが、
そんな仕事ばかりでは人は成長できません」
</p>
<p>
自分に向いていること、
やっていて楽しいことを評価してくれる会社。
そんな会社かどうかを見抜くには、
「自分はこんなことを考えている」
と面接で伝えれば良いと仙石氏は助言する。
面接官が興味を持ってくれるのなら、
その会社には見込みがある。
だが、
興味すら示してくれないのなら、
社員一人一人の関心・適性に会社としての興味はないということ。
適材適所ではなく、
会社の都合で仕事が割り当てられると思った方が良いのだとか。
</p>
<p>
「私なんかは、
大学での研究について話を聞くのが好きですね。
教授に言われてやっている研究ではなく、
自分がやりたいと思って取り組んでいる研究。
その人が今までに熱中したことについて延々とでも話を聞くことで、
ほかの人と違うことをやることに価値を見出せる人かどうか、
簡単に分かります」
(仙石氏)
</p>

<h3>“自分に向いていること” を<br />
見つけるために設けたどぶろく制度</h3>

<p>
自分だけにしかできない仕事。
そのための時間を取ってもらうために KLab では
「どぶろく制度」
を設け、
標準労働時間の 10% までなら、
好きなように使えるようにしている。
ただ、
どぶろく制度の目的はそれだけではない。
仙石氏は片っ端から興味を持ったことにチャレンジして
“自分に向いていること”
を見つけたが、
すべての人がそれを見つけられているわけではない。
「今やっている仕事内容とは違うことに仕事時間を使うことで、
“自分に向いていること”
を見つけてほしい。
向いているかどうかを確かめるためには、
転がり込んできたチャンスにチャレンジすることが必要。
『時間がないから』
という理由で動かない人が多いので、
それを言い訳にさせないためにつくったのがどぶろく制度なのです」
と仙石氏は制度の狙いを明かす。
</p>
<p>
また、
KLab では
“自分に向いていること”
を突き詰めて
“自分にしかできないこと”
を身に付けているエンジニアを正当に評価するため、
ダイナミックな人事評価制度を導入している。
基本的に年に一度、
成果と能力に基づいて給与を改定するが、
新卒入社の社員には、
入社から 3年間は半年に一度見直しをかける。
能力のある社員なら、
給与テーブルのグレードを一足飛びで駆け上がっていくため、
入社して数年の間に数百万円の年収差が生まれることもざらにあるのだとか。
</p>

<h3>質問すること、チャレンジすることで<br />
伸びる 「考える力」</h3>

<p>
もちろん、
“自分に向いていること”
が見つかったからといって、
“自分にしかできないこと”
がすぐにできるようになるわけではない。
そのためには自分自身の成長が必要になる。
</p>
<p>
成長のためには、
「考える力」
が重要だと仙石氏は言う。
例えば、
多くのエンジニアはある程度仕事を覚えると、
あとは惰性で仕事をするようになる。
仕事で分からないところが出てきても、
検索エンジンを使って調べれば、
だいたいの答えが出てきてしまう。
チャレンジが無くなることで、
そのエンジニアの成長はそこで止まってしまうのだ。
</p>
<p>
そんな仕事スタイルのエンジニアこそ、
誰にでもできる仕事しかできなくなると仙石氏は批判。
「考える力」
とは抽象的な概念なので説明しづらいが、
知りたいことに憶さず質問して興味を持ったことを深掘りしていくこと、
そしてチャレンジすることを通して育つ力だと説明する。
</p>
<p>
ちなみに KLab では、
自分の興味・関心のあるテーマについて大勢のエンジニア相手に発表させる勉強会を開くことで、
エンジニアとしての成長を促している。
自分が深めたいと考えているテーマを自分の力で考えて発表させることで、
あるいはそれを聞いて質問する力を伸ばさせることで、
社員の成長を促しているのだとか。
</p>

<h3>格差が進む 20年後のために<br />
自分だけの価値を生めるように</h3>

<p>
しかし、
なぜそこまで
“自分に向いていること”
“自分にしかできないこと”
にこだわらなくてはいけないのだろうか。
仙石氏はその理由について次のように語る。
</p>
<p>
「これから就職する学生が迎える将来の社会について、
私はかなり悲観的な見方をしています。
格差社会と言われていますが、
今から 20年後には格差がもっと進むのではないでしょうか。
日本の会社は、
まだまだ昔ながらの年功序列に支えられています。
成果主義が広まっているとは言うものの、
仕事のできる人とできない人とで、
そんなに差は付いていません。
これから就職する学生の皆さんが 40〜50歳になっているころには、
それこそ年収が１ケタ違うのも当たり前にあり得るのではないでしょうか」
</p>
<p>
実際に 20年前と今とを比べると、
誰にでもできる単純作業のうち、
かなりの部分が技術の進歩によって一掃されてしまった。
現在、
誰にでもできる仕事でお金をもらっている人は、
20年後にどうなってしまうのか。
そう考えていくと、
他人には生み出せない自分だけの価値を持つことが必要なのだと仙石氏は話している。
</p>
<p>
20年後のあなたは
“自分に向いていること”
を見つけて、
“自分にしかできないこと”
を習得できているだろうか。
本当に成長したいのなら、
「当社が一番適した会社かどうかは分かりませんが、
技術者が会社に依存せず、
<a href="http://sengoku.blog.klab.org/2007/05/392/">自分の価値を築ける一番の会社にしよう</a>と、
少なくとも私は本気で考えています」
という仙石氏の居る KLab も、
就職先の選択肢に含めてみてはどうだろうか。
</p>]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.gcd.org/blog/2010/12/692/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>「無知の無知」への 3ステップ</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2010/04/576/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2010/04/576/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 02 Apr 2010 04:19:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[仙石浩明CTO の日記]]></category>
		<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.gcd.org/blog/?p=576</guid>
		<description><![CDATA[KLab(株)は、 2007年から新卒採用を行っています。 今年も例年通り、4月1日に入社式を行いました。 - o - みなさん、入社おめでとうございます。 社長のお話が終わり、みなさんは挨拶が終わって、 緊張もほぐれて [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
KLab(株)は、 2007年から新卒採用を行っています。<br />
今年も例年通り、4月1日に入社式を行いました。 
</p>
<div align="center">- o -</div>
<p>
みなさん、入社おめでとうございます。
社長のお話が終わり、みなさんは挨拶が終わって、
緊張もほぐれてきたのではないかと思います。 
ここからは各役員の挨拶なのですが、
なぜか私だけは挨拶だけでなく (長くならない範囲で ^^;) 
話もしろということになったらしいので、
話を捻り出してみます。
</p>
<p>
「考えることが大事」ということは社長のお話にもありましたし、
みなさんも既によく知っていることだと思います。
ただ、
知っていることと実際に実行できることとの間には越えがたい壁があることも事実で、
分かっちゃいるけどついつい考えなくなってしまう、
あるいは考えているつもりが、
いつのまにか深く考えることがなくなってしまうものなのでしょう。
そもそも自分がどのくらい考えているかなんて、
なかなか意識するのは難しいですよね。
</p>
<p>
入社時にはみんな等しく、
これからは「考える習慣」を身につけよう、
と決意を新たにしたはずなのに、
3年で大きな差がついてしまうのが現実です。
考える習慣を身につけた人がどんどん成長するのに対し、
考えることを習慣化し損なった人は停滞したままなので、
その後も差は広がる一方。
10年 20年もたつととんでもない差になってしまいます。
</p>
<p>
なぜこんなにも差がついてしまうのでしょうか？
ただやみくもに 「考えよう」 としても、
具体的に何をすればいいのかよく分かりませんよね？
なので逆に何をしてはいけないかについて今日はお話ししたいと思います。
今日からみっちり 2ヶ月間、
新人研修でいろいろなことを学んでいくみなさんにとって、
「何をしてはいけないか」
を押えておくことはきっと役に立つと思います。
</p>
<p>
私は仕事柄、
面接をする機会が多いのですが、
お会いする人の中には考える習慣が全くない人もいます。
ご本人にはそういう自覚が全く無く、
人並みには考えていると思っているようなのですが、
私から見ると正に 「人生オワタ」 状態で、
なぜそうなってしまったのだろうかと考えているうちに、
ついついその人の身の上を根掘り葉掘り聞いて人生相談モードへ入ってしまうので、
そういうことを繰り返すうちに、
だんだん原因が見えてきたように感じています。
</p>
<p>
考える習慣を持たない人に共通する問題点として
「無知の知」 ならぬ 「無知の無知」 があります。
自分が分かってないことを分かってない、
自分の浅慮では到底及ばない領域があることが全く想像できない、
いわば 「井の中の蛙」 状態ですね。
「無知の無知」 状態になってしまうと、
今の自分の考え方で満足してしまい、
今の自分の枠を越えて考えてみようという発想がでてきません。
当然、
考える習慣もなくなってしまうわけです。
なぜこうなってしまうのか？
次の 3つのステップを経て
「無知の無知」 状態に至るケースが多いように思います:
</p>
<ol>
<li>後で調べればいいや</li>
<li>何が分からないのか分からない</li>
<li>分かったつもり</li>
</ol>
<p>
「質問する前に考えろ」
「それくらい Google 検索などを使って調べろ」
「ググれカス」
などと言われるようになったのはいつのころからでしょうか？
確かに何でもかんでも 「教えて君」 では困りますが、
「すぐ質問すること」 ＝ 「悪いこと」
とする風潮はいかがなものかと思います。
こういう風潮が、
「聞くのは恥ずかしい」
「後で調べればいいや」
という意識を生んでいないでしょうか。
</p>
<blockquote>
ちなみに私は全く正反対で、
<a href="http://www.gcd.org/blog/2006/03/327/">「分からないと言える」 ＝ 「カッコイイ」</a>
と中学生の頃から思い込んでるので、
今でも堂々と 「分からない」 を連発しています。
もちろん、
「CTO がこんなことも知らないのか？」
と思われる (^^;) リスクも無いわけではないので、
TPO を考慮せざるを得ないこともあるのがちょっと残念です。
</blockquote>
<p>
確かに本当に後で調べるのならまだいいのですが大抵は忘れてしまいます。
仮に忘れずに後で調べて言葉の意味を知ったとしても時間は遡れません。
その場で意味を聞いていれば相手と有益な議論を展開できたのかもしれないのに、
その機会は永久に失われてしまうわけです。
</p>
<p>
そして何より怖いのは、
知らない言葉が出てきても何とも思わなくなってしまうことです。
ふつう、
相手の話の中に意味が取りにくい言葉があれば気持ち悪く感じ、
なんとかその気持ち悪さを解消しようと思うものだと思うのですが、
「後で調べればいいや」
と思ってるとだんだんこの 「気持ち悪さ」 が無くなってきます。
この 「不感症」 が最初のステップです。
</p>
<p>
そして一つの話の中に知らない言葉がいくつも出てきても、
何とも思わない状態になると次のステップが見えてきます。
知らない言葉が複数出てくれば、
当然話全体が分からなくなるし、
そもそも話自体に興味が持てなくなります。
こうなってしまうと、
「何が分からないか分からない」 状態に陥ります。
いわゆる 「質問したくても何を質問したらいいのか分からない」 状態ですね。
</p>
<p>
質問しようとしない人に、
「もっと質問しようよ」
と言うと返ってくる言葉が、この
「何を質問すればいいのか分からない」
です。
話を興味を持って聞くということが無くなってしまっているために、
相手が話していない部分を聞き出そうという意欲が失われてしまっています。
もちろん、
人の興味は十人十色ですから、
ある話題に興味が持てないというのは普通でしょう。
問題なのは、
どんな話であっても興味が持てないことにあります。
しかも本人的にはそれが普通な状態なので、
他人の話を興味を持って聞くということがどんな体験だったのか、
もう覚えていなかったりします。
この 「無関心・無気力」 が第2 のステップとなります。
</p>
<p>
この第2 のステップの怖いところは自覚症状があまり無いことにあります。
自分は 「無気力」 ではない、
と思う人が大半だとは思いますが、
どんな話を聞いても、
質問したいことが思い浮かばないようだと
「第2 のステップ」
がかなり進行中であるわけで要注意です。
なんとか気付いて危機感を持って欲しいですし、
私はことある毎に
「<a href="http://www.gcd.org/blog/2008/04/398/">質問しろ〜</a>」
と口を酸っぱくして言ってるのですが、
長年染み付いた習慣というのはなかなか克服できないものなのかも知れません。
</p>
<p>
第2 のステップは
「分からない」
ということ自体は自覚できているのでまだ救いがあるのですが、
この症状が進むと第3 のステップである
「分かったつもり」
に至ります。
「分からない」
という意識さえあれば何かのきっかけで
「分かろうとする意欲」
が芽生えるかもしれないのですが、
分かっていないこと自体が分からなくなると、
その可能性すら無くなってしまうので末期的です。
</p>
<p>
何を聞いても
「分かったつもり」
になってしまって、
表面的な理解だけで満足するようになってしまうと、
自分の考え方と相手の考え方が異なっていてもそれに気付かない、
ということが起り得ます。
つまり相手の話を自分の思考の枠内だけで理解してしまうわけです。
まさに
「無知の無知」
です。
</p>
<p>
と、
いうわけで今日からの研修では決して疑問点を残さないよう、
積極的に質問してください。
また、
「分かった」
と思っても本当に理解しているのか、
今一度自分を疑ってみてください。
</p>
<p>
例えば、
半年前に<a href="http://www.gcd.org/blog/2009/10/401/">内定式で渋滞の話をしました</a>。
忘れてしまった人は私のブログを参照してください。
社会人経験がまだ無いみなさんには、
あの話を完全に理解することはなかなか難しいのではないかと思いますが、
「分からない」
という感覚を持っていますか？
そして分からないとすればどこが分からないのか考え、
何を質問すれば自分の理解を深められるか是非考えてみてください。
</p>
<p>
まだまだ自分は
「分かっていない」
と自分を疑うことこそが、
考えを深めていくために必要なのだと思います。
KLab への入社が、
みなさんの人生において飛躍のきっかけとなることを期待します。
</p>]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.gcd.org/blog/2010/04/576/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>新卒の内定者とかけて、がらがらの道路ととく。その心は？</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2009/10/401/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2009/10/401/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 01 Oct 2009 02:46:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[仙石浩明CTO の日記]]></category>
		<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.gcd.org/blog/2009/10/401/</guid>
		<description><![CDATA[KLab(株)は、 2007年から新卒採用を行っています。 今年も例年通り、10月1日に内定式を行いました。 - o - みなさん、内定おめでとうございます。 社長のお話が終わり、 みなさんは自己紹介が終わって、 緊張も [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
KLab(株)は、
2007年から新卒採用を行っています。<br />
今年も例年通り、10月1日に内定式を行いました。
</p>
<div align="center">- o -</div>
<p>
みなさん、内定おめでとうございます。
社長のお話が終わり、
みなさんは自己紹介が終わって、
緊張もだいぶほぐれてきたのではないかと思います。
これからの私の話はどーでもいい話なので、
リラックスして聞いてもらえればと思います。
</p>
<p>
唐突ですが、渋滞が起きる原因って知っています？
</p>
<p>
みなさん、いきなり何を言い出すんだ、という顔をしていますね？
</p>
<p>
渋滞が起きる理由なんて、
そりゃ車が多いからに決まってるだろう、
という声が聞こえてきそうです。
確かに道路を流れる車がどんどん増えると、
交通量がある限界を越えると、
渋滞になるのはアタリマエのような感じがします。
</p>
<p>
でも、
大渋滞が起きているときと、
混んではいるけど流れているときの交通量と、
どのくらい違うと思いますか？
あ、もちろん工事や事故などで車線が減っている場合は、
そのぶん交通量は減りますから、対象外とします。
高速道路など流れを妨げるものが特にない道路で起きる、
いわゆる自然渋滞についてのみ考えます。
</p>
<p>
確かに大渋滞のときって車がたくさん詰まってるので、
交通量が非常に大きいような気がしますが、
みんなノロノロ運転だったり、
ひどい渋滞だと完全に流れが止まってしまっているときもあるわけで、
極端に言えばいくら車の台数が多くても、
スピードがゼロであれば、
ゼロに何台掛けてもゼロですから、
交通量としてもゼロです
(正確には、
交通量[台/時間] = 車数[台] * 車速[距離/時間] / 車間[距離])。
</p>
<p>
ぐだぐだ説明してしまっているからすでにおわかりだと思いますが、
実は普通に流れているときも、
ノロノロ渋滞も、
交通量の観点で言うとほとんど変わりません。
むしろ渋滞一歩手前の流れているときの方が流量は多いかもしれません。
</p>
<p>
さて私は何を言いたいのでしょうか？
</p>
<p>
道路というのは押し並べて車を流すことが目的であるわけです。
つまり交通量というのは道路の「成果」ですね。
流れている道路と、大渋滞の道路、
「成果」が変わらないのに大渋滞の道路は大変な苦痛を伴います。
</p>
<p>
同じ成果が得られるなら、
苦痛が無い方がいいに決まってます。
ところが先月の大型連休のように、
交通量が増えると決まって大渋滞が起きますし、
会社では受注量が増えるとデスマーチが起きたりしますし、
「忙しい忙しい」 が口癖の人は、
TODOリストが長くなればなるほど気が急いてしまって仕事が手につきません。
先手先手で仕事をまわしている人と、
後手後手にまわってしまっている人とでは、
やってる仕事の量自体は大差なくても、
天と地ほどの評価の差がついてしまったりします。
</p>
<p>
どうやったら渋滞を防げるのでしょうか？
交通量が増えてしまってから防ごうと思っても、
大量の車を前にしては、
なすすべありませんよね。
</p>
<p>
みなさんは今、がらがらの道路なのだと思います。
どうやったら渋滞を起こさずに成果を出し続ける人生を歩むことができるようになるのか、
これから入社までの半年間じっくり考えてみてはいかがでしょうか。
</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.gcd.org/blog/2009/10/401/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>3</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>なぜ、「購入 VS 賃貸」 という比較がナンセンスなのか？</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2008/04/154/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2008/04/154/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 06 Apr 2008 23:30:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.gcd.org/blog/2008/04/154/</guid>
		<description><![CDATA[分譲マンション (あるいは一戸建) を (ローンで) 購入するのと、 賃貸マンションを借りる (賃借) のと、どちらが得か？ という比較の話をよく聞く。 大抵は、ケース・バイ・ケースで片付けてしまうか、 「購入派 VS  [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
分譲マンション (あるいは一戸建) を (ローンで) 購入するのと、
賃貸マンションを借りる (賃借) のと、どちらが得か？
という比較の話をよく聞く。
大抵は、ケース・バイ・ケースで片付けてしまうか、
「購入派 VS 賃貸派」などと個人の価値観に帰着させてしまうことが
多いようである。
例えば、
「ローンも家賃も月々の支払いは似たようなものであるが、
購入の場合はローンを完済すれば資産になるのに対し、
借りる場合は家賃を永遠に払い続けなければならない。
一方、
購入の場合は地価が下がったり住環境の変化などのリスク要因もあるから、
購入が得とも限らない」等々...
</p>
<p>
本当に、ケース・バイ・ケースあるいは価値観の問題なのだろうか？
</p>
<p>
まず注意しておきたいのは、
「購入」と「賃借」は、対立概念ではないということ。
当たり前の話だが、
「購入」の反対は「売却」であり、
「賃借」の反対は「賃貸」である。
マンションを購入しても、
必ずしもそこに住まなければならないわけではない
(税制などを考えれば住む方が得であるケースも多いが)。
購入するにしても借りるにしても、
どこかに「住む」はずであるから、
共通部分である「住む」は除外して比較を行なうべきであろう。
</p>
<p>
どうやって「住む」を除外したらよいか？
</p>
<p>
マンションを購入して (他者に賃貸するのではなく) 自らそこに住む場合、
自分自身に対して「賃貸」したと考えればよい。
つまり「賃借人」である自分が、「大家」である自分に家賃を払ってそこに住む、
と考えるわけである。
このように考えれば、
「自宅としてマンションを買う」という行為は、
「マンションを買って (自分自身に) 賃貸」という行為 (つまり不動産投資) と、
「マンションを賃借して住む」という行為に分解できる。
</p>
<table>
<tr><td>買う</td><td>　⇒　</td><td>不動産投資 + (自分から)賃借して住む</td></tr>
<tr><td>借りる</td><td>　⇒　</td><td>(他人から)賃借して住む</td></tr>
</table>
<p>
このように考えれば、
「賃借して住む」の部分は両者に共通であるから除外して比較することができる。
</p>
<p>
つまり「買うか？ 借りるか？」という比較は、<br />
「不動産投資を行なうか？ 行なわないか？」という比較になる。
</p>
<blockquote>
4000万円の新築マンションを購入するとして、
頭金を800万円（購入価格の2割）、
残り3200万円を金利3％、
35年返済で借りるとした場合、
月々の返済額は12万3000円となる。
頭金800万円を加えた総返済額は約5970万円。
これに固定資産税、維持管理費等の支払いが約1700万円。
結局7670万円の支払いをして、マンションが自分の資産となるわけである。
<div align="right"><a href="http://allabout.co.jp/house/mansionbeginner/closeup/CU20010120A/">購入ＶＳ賃貸　どっちが得か？</a></div>
</blockquote>
<p>
ここで、
(自分自身に) 月額 12万3000円の家賃で賃貸すると考える。
もちろん家賃の額は任意に設定して構わないのであるが、
ここでは簡単化のため、
家賃をローンの月々の返済額と同額の 12万3000円に設定してみる。
</p>
<blockquote>
4/19追記: 任意に設定して構わないといっても、
賃借人としての自分が「払ってもよい」と思える額であることが大前提である。
どーせ自分自身に払うのだからいくら高くても懐は痛まない、
などと考えてはいけない。
月々のローン返済額と同程度の家賃を払うくらいなら購入したほうがお得
(つまり 12万3000円以上だと払いたくない)、
と考える人が多数派であるようなので、
設定する家賃は月額 12万3000円を上限とすべきだろう。
</blockquote>
<p>
すると、賃借人 (つまり自分) から払ってもらった家賃を、
そのままローンの支払いにあてることができて、
固定資産税と維持管理費等の支払いだけでマンションが自分の資産になるわけである。
つまり「大家」としての自分は、
頭金800万円と固定資産税と維持管理費等の1700万円の合計 2500万円だけで、
(35年後には) 4000万円のマンションを手にいれることができる。
</p>
<p>
おいしい話のように聞こえるだろうか？
</p>
<p>
もしこの話がおいしい話に聞こえるなら、
マンションは購入すべきという結論になるわけだが、
よく考えてみて欲しい。
まず、 35年後に 4000万円の価値をもっているかどうかは、
そのときのマンション相場次第である。
</p>
<blockquote>
ここで考慮しなければならないのは、
「果たして地価が今後どのように変動していくか」である。
地価が毎年上昇し続ければマンションの資産価値も上がり続けるので問題ないが、
今の景気を考えると地価の上昇はしばらく期待できず
「地価はもう上がらない」という意見が多い。
正直そのあたりが誰にも明言できないところに
「買うか？借りるか？」の議論がいつの時代もされ、
結局「どっちなの？」に終始してしまうのである。
<br />
ここで地価が変動しないと仮定すると、35年後の資産価値は2510万円となる。
<div align="right"><a href="http://allabout.co.jp/house/mansionbeginner/closeup/CU20010120A/">同ページから引用</a></div>
</blockquote>
<p>
地価が変動しないと仮定すると、この話は
「頭金800万円と固定資産税と維持管理費等の1700万円の合計 2500万円で、
(35年後には) 2510万円の資産価値を持つマンションが手にはいる」
という話に変質してしまう。
</p>
<p>
おいしいと思えた話に影が差してこないだろうか？
</p>
<p>
とはいえ、
2510万円の資産価値を持つマンションが (35年後とはいえ) 手に入るのだし、
もしかしたら地価が上昇してマンション相場が大幅に値上がりするかも知れない。
先行きが見えない株に投資するよりは、
大化けするかもしれない「不動産」に投資したい、
と判断する人もいるかもしれない。
</p>
<blockquote>
賃貸の場合は頭金800万円と税金等の1700万円も不要なので、
購入しなければ2500万円の現金資産が残り、
結局は地価が変動しなければどちらも同じなのである。
<div align="right"><a href="http://allabout.co.jp/house/mansionbeginner/closeup/CU20010120A/">同ページから引用</a></div>
</blockquote>
<p>
「結局は地価が変動しなければどちらも同じ」だから、
ケース・バイ・ケースあるいは価値観の問題ということなのだろうか？
</p>
<p>
実はそうはならない。
</p>
<p>
なぜなら、
「頭金800万円と固定資産税と維持管理費等の1700万円の合計 2500万円で、
(35年後には) 2510万円の資産価値を持つマンションが手にはいる」
という理解は間違っているからだ。
</p>
<p>
支払額が合計 2500万円と思った人は、
800万円を (例えば) 銀行に預けておけば、
(低金利の昨今とはいえ) 35年もたてばそれなりの利息がつくということを忘れている。
毎年払い続ける固定資産税と維持管理費等だって、
総額 1700万円も払うわけだから、
同じ金額を 35年間もかけて積み立てていけば
利息が加算されて 1700万円を大きく上回る額になる。
</p>
<p>
不動産投資を行なうか、行なわないか、という比較をするのであれば、
不動産投資を行なわない場合に
同じ元手 (総額 2500万円) を
他の投資先へ振り向けた時の収益を含めて考慮しなければ、
フェアな比較とは言えないだろう。
他への投資でどのくらいの利回りが期待できるかは投資先に依存するが、
ここでは簡単化のため、
(ローン金利と同率の) 3% の利回りが期待できると仮定してみる。
</p>
<p>
最初に 800万円を投資し、
1700万円を毎年均等に (つまり毎年 49万円ずつ) 追加投資して、
3% の利回りがあると仮定すると、
35年で 5214万円にもなる。
</p>
<p>
つまり、
</p>
<blockquote>
新築価格が 4000万円のマンションを 35年ローンで買ってもいいのは、<br />
ローン完済時に 5214万円以上で売却することが期待できる場合に限られる。<br />
<br />
あるいは、(2/3 追記)<br />
値上がりが期待できないのであれば、
自分自身に支払う家賃は月額 12万3000円ではなく、
月額 14万円ということになる。
なぜなら、家賃を 1万7000円増額することにより
年間 20万円を積み立てることができて、
値上がり期待分 1200万円を補填できるからである。<br />
つまり、<br />
「月々のローン返済額と同程度の家賃を払うくらいなら購入したほうがお得」
という考え方は、
ローン完済時に値上がりが期待できない
(築35年のマンションを新築価格以上の値段で売却できるだろうか？)
状況下では正しくない。<br />
一般的には、
値上がりどころか老朽化などの理由により
2510万円程度に値下がりしてしまうので、
「補填」すべき額は 2700万円にもなり、
「みなし」家賃は 15万8000円となる。
</blockquote>
<p>
「土地神話」が崩れた今、
マンションを買うという行為は、
「投資」以外のなにものでもない。
そして、
「個人の投資は必ず余裕資金ですべき」という鉄則は
なにも「株投資」の場合だけに当てはまるものではなく、
どんな投資についても当てはまる金言である。
</p>
<p>
結構な高金利で借金して得たお金で投資する人がいたらどう思うだろうか？
「借金して得たお金」というのは
「余裕資金」から最もかけ離れた資金と言えるだろう。
そんな投資はやめておけ、と誰しも思うのではなかろうか？
</p>
<p>
しかしながら多くの人が行なっている
「ローン組んでマンションを買う」という行為は、
「借金して得たお金で投資する」という行為となんら変わらないのである。
</p>

<span id="more-154"></span>
<p>
株に投資するなど夢にも思わないような堅実(?)な人が、
何の疑問も抱かずにローンを組んでマンション等を買ってしまうのが
不思議でならなかったのであるが、
</p>
<blockquote>
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532074924/gcd-22/ref=nosim">土地の経済学</a><br />
野口 悠紀雄 (著)
</blockquote>
<p>
を読んでいたら次のような記述があって合点した。
</p>
<blockquote>
企業は、いま一つのルートを通じて高地価から利益を得た。
それは、高い住宅を入手するため、
労働者が勤勉に働き、かつ、所得の多くを貯蓄したことである。
家計部門の高貯蓄は、マクロ的に見て、
投資主導型経済成長可能とした最大の要因であった。
<div align="right"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532074924/gcd-22/ref=nosim">土地の経済学</a> 51ページから引用</div>
</blockquote>
<p>
「いつかは夢のマイホーム」という宣伝文句は、
労働者を勤勉に働かせ、
かつその稼ぎを消費ではなく貯蓄に向かわせるためのプロバガンダであったのだ。
「夢のマイホーム」を買おうとしなければ、
余裕資金が手元に残り、
それだけ早く労働の「くびき」から逃れること
(つまり生活のために嫌々働くのではなく、自己実現のために働くこと) が
できただろうに。
</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.gcd.org/blog/2008/04/154/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>32</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2007/08/125/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2007/08/125/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 08 Aug 2007 22:41:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.gcd.org/blog/2007/08/125/</guid>
		<description><![CDATA[「人の「意識」は心の中心ではなく、脳の様々な活動のロガーに過ぎなかった！」で、 脳はなぜ「心」を作ったのか 「私」の謎を解く受動意識仮説 前野 隆司 著 を紹介したら、前野先生の最新作である次の本を頂いた: 脳の中の「私 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
「<a href="http://www.gcd.org/blog/2006/08/93/">人の「意識」は心の中心ではなく、脳の様々な活動のロガーに過ぎなかった！</a>」で、
</p>
<blockquote>
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480842659/gcd-22">脳はなぜ「心」を作ったのか</a><br />
「私」の謎を解く受動意識仮説<br />
前野 隆司 著
</blockquote>
<p>
を紹介したら、前野先生の最新作である次の本を頂いた:
</p>
<blockquote>
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4774131660/gcd-22">脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?</a><br />
ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史 (ハードカバー) <br />
前野 隆司 著
</blockquote>
<p>
頂いたから言うのではないが (^^;)、この本は素晴らしい。
</p>
<p>
なにが素晴らしいかというと、
</p>
<blockquote>
第5章 哲学者との対話
<dl>
<dt>1 現象学
<dd>斎藤慶典 (慶応義塾大学文学部哲学科教授)
<dt>2 生態学的心理学
<dd>河野哲也 (玉川大学文学部人間学部准教授)
</dl>
<div align="right">目次から引用</div>
</blockquote>
<p>
といった感じで、第一線で活躍中の哲学者との対談を行なっている点。
</p>
<p>
「心」とは何かを探求するのは哲学者、思想家、
そして宗教家の専売だったわけであるが、
科学技術、特にコンピュータの発展にともなって、
情報科学や認知心理学、脳科学の分野からのアプローチが可能になった。
従来のアプローチである哲学と、
新しいアプローチである情報科学とが、
どのような位置関係にあるのか、
対談という形で明らかにしようとする本書は、
とても分かりやすいし、納得感がある。
</p>
<p>
そもそも、
脳が純粋に物理的な存在 (つまり霊魂とかは含まれていない) であると信じる限り、
「心」もまた物理現象として説明できる日が来るだろうことは疑いようがない。
そして、
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%89%83%E5%88%80">オッカムの剃刀</a>を進化論に適用すれば、
「意識」が受動的なものであることは必然の帰結だろう。
つまり、ヒトのみが「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97">自由意志</a>」を (極めて集中的な) 突然変異によって獲得したという (不自然な) 仮説は切り捨てるべきで、
「エピソード記憶」の能力が進化して
「意識」がより強固な「自我意識」へと進化したと考えるべきだろう。
</p>
<p>
進化の連続性を考えれば、
「意識」は決してヒト特有の特別な能力ではなく、
充分に進化した脳を持っている動物 (例えば霊長類) ならば、
少なくともヒトの赤ん坊と同程度の意識はあるということになる。
もっとも、赤ん坊にどの程度の意識があるのか、よくわからない (^^;) し、
さらに言えば、
ヒト特有の確固たる自我の意識が生まれるのは、
もっと成長してからのような気がする。
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E5%BE%A9%E8%AA%AC">反復説</a> (個体発生は系統発生を繰り返す) を発生後にまで適用可能ならば、
ヒトと類縁の動物は、ヒトの子供と同程度の「自意識」を持っているのかも知れない。
</p>
<p>
ちなみに、ヒトの脳には一千億個ほどの脳細胞 (ニューロン) がある。
一千億個というと途方もない数のように思ったこともあったが、
いま私が使っているノート PC のハードディスクの容量が、
ちょうど一千億バイト (100GB) である ;-)。
もちろんただ単にデータを記憶しているだけのハードディスクと、
相互に信号を送受信できるニューロンとを単純に比較することはできないが、
ニューロンだって結線を変えようとすれば結構な時間がかかり、
おそらく大多数のニューロンはただ単に過去の記憶を保持しているだけだろうから、
「意識」という機能の「実装」が想像もつかないほど複雑であると考えるのは
無理がある。
</p>
<p>
だから少なくとも私にとって「受動意識仮説」は、
「霊魂が存在しない仮説」と同じくらい「確からしい」仮説なのであり、
前野先生が高らかに「受動意識仮説」の妥当性を主張し、
伝統的な宗教家の多くが信じている心身二元論を批判するのを読むと、
やや食傷気味になる。
</p>
<p>
同じような感覚は、ドーキンスの著作を読んでいても感じる。
もう宗教批判は充分だから、もっと発展的なことを考えようよ、
と言いたくなるのは私だけだろうか？
</p>
<blockquote>
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4314010037/gcd-22">利己的な遺伝子</a> <増補新装版> (単行本)<br />
リチャード・ドーキンス (著),<br />
日高 敏隆 (翻訳), 岸 由二 (翻訳), 羽田 節子 (翻訳), 垂水 雄二 (翻訳)
</blockquote>
<p>
というわけで、ややうんざりしながら
前野先生のチャーマーズ批判を読み進めていたのだが、
「第5章 哲学者との対話」に至って、
この本に対する私の評価は 180度転換した。
第1章～第4章は、
工学者である前野先生の言葉で語った他の思想の説明であり批判であるのに対し、
第5章は哲学者の言葉で語った哲学者の思想の説明である。
しかも聞き手は前野先生という工学者である。
</p>
<p>
実は私は大学生のころ、哲学に興味を持って、
いろんな哲学書を読んでみたことがある。
しかしそのほとんどが、哲学者に対する説明か、
あるいは一般人に向けたものであった。
前者は難しすぎて理解できないし、
かといって後者は表層すぎて本質には程遠かった。
そんなわけで一度は哲学を理解するのを断念したのであるが、
本書における、
情報科学からの哲学へのアプローチと、
哲学者と工学者との対話によって、
私自身の哲学に対する理解が大いに進んだように思う。
難攻不落に思えた哲学が、
情報科学という「武器」を用いることによって、
攻略可能であるように思えてきたのである。
</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>ロングテール戦略が格差社会を生む: 機会均等</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2006/12/112/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2006/12/112/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 25 Dec 2006 22:22:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.gcd.org/blog/2006/12/112/</guid>
		<description><![CDATA[仮説: ロングテール戦略が格差社会を生む の検証の三回目 (全七回を予定)。 機会均等 「機会均等」には三つの種類がある。 金持ちになるための機会 貧乏にならないための機会 貧困から脱出するための機会 一番目の「金持ちに [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
仮説: <q><a href="http://www.gcd.org/blog/2006/06/76/">ロングテール戦略が格差社会を生む</a></q>
の検証の三回目 (全七回を予定)。
</p>
<h2>機会均等</h2>
<p>
「機会均等」には三つの種類がある。
</p>
<ul>
<li>金持ちになるための機会</li>
<li>貧乏にならないための機会</li>
<li>貧困から脱出するための機会</li>
</ul>
<p>
一番目の「金持ちになるための機会」とは、
例えば「アメリカン ドリーム」のようなものである。
ほとんど全ての人は夢想することはあっても本気で目指そうとは思わない。
本気で目指さないのだから達成できなくても、それは当然だろう。
ほとんどの人が、そういった夢を達成できないからといって、
機会が均等でないことの理由にはならない。
</p>
<p>
二番目の「貧乏にならないための機会」とは、
「安定した生活」のようなものである。
機会なんかなくても、人並みの努力していれば人並みの生活を維持できると、
かつては信じられていた。
昨今の競争社会は、生活水準が悪くなったと感じる人が増えつつあることから、
努力しても報われない社会だと言う人がいる。
果たしてそうだろうか？
</p>
<p>
むしろ、「人並みの努力」で中流が維持できた時代が特異だったのではないか？
資本の本質は自己増殖である。
富は富を呼び、お金のないところからはどんどんお金が逃げていく。
もちろん富の再配分によって富の集中を緩和するにしても、
鎖国でもしない限りお金の流れは止められない。
ではなぜ '60年代から '80年代にかけて、
多くの人が中流でいられた
(<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%84%84%E7%B7%8F%E4%B8%AD%E6%B5%81">一億総中流</a>)
かといえば、
社会全体が成長したから。
何年も2桁成長が続く高度成長期だったからこその現象だろう。
</p>
<blockquote>
昔、「ドラえもん」の漫画に、「ボーナス1024倍」という話があった。
お金を銀行に預けておくと 10年で約二倍になるから、
100年預けておくと 1024倍になる。
ボーナスを銀行に預けてタイムマシンで 100年後におろしに行く、
という話である。
当時はなんとも思わなかったが、
今から考えると 10年で預金が倍になるなんてのは異常である。
もちろん、実質成長率はそこまで高くないにしても、
今から考えると常軌を逸脱した成長率だった。
しかも 100年後に同じ銀行が存続していることになんの疑いも持たなかった、
というのも今から思えばかなり新鮮な発想である。
</blockquote>
<p>
高度成長期のような例外的な時代でなければ、
「貧乏にならない」ことは容易ではない。
「人並みの努力」だけでなく、
「機会」を見つけ、それを生かすことが必要である。
</p>
<p>
三番目の「貧困から脱出するための機会」とは、
「健康で文化的な最低限度の生活」のようなものである。
NHK スペシャル 「ワーキングプア II」の
副題は「努力すれば抜け出せますか」であったが、
「最低限度の生活」は憲法で保証されている権利なのであるから、
努力して獲得すべき性質のものではない。
必要なのは機会均等ではなく、無条件の保証であろう。
</p>
<p>
というわけで、一番重要なのは二番目の機会均等、
「貧乏にならないための機会」の平等である。
「貧乏にならないため」というのが後ろ向きなので、
多くの人がその「機会」をあまり重視していないようだ。
世の中には、この「機会」はいくらでも転がっているのに
多くの人がその機会をつかもうとしない。
だから資本の論理に立ち向かうことなしに、
ずるずると押し流されてしまっている。
</p>
<p>
しかも、多くの人はその現実を直視したがらない。
自分達より下に「ワーキングプア」がいるから自分達は「下層」じゃないと
思い込みたがる。
そういう人たちに限って、
「ワーキングプアは自己責任だ」などという。
「自己責任」の元、ずるずると貧乏に落ちていっているのは自分達自身だというのに...
</p>
<blockquote>
政府の『国民生活に関する世論調査』の中で
「生活程度」についての意識調査の結果を見る限り、
バブル崩壊後も日本国民から一億総中流の意識は抜けていない。
「生活の程度は、世間一般から見て、どの程度と思うか？」という
質問に対する回答で、
「下」と答えた者の割合は、
1960年代から2004年に至るすべての年の調査において、1割以下である。
<div align="right"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%84%84%E7%B7%8F%E4%B8%AD%E6%B5%81">Wikipedia「一億総中流」</a>から引用</div>
</blockquote>
<p>
資本の論理に立ち向かう手段はただ一つ、
「資産を築く」ことである。
ここで言う資産とは、何も金融資産だけに限らない。
「将来の収入をもたらすもの」全てが資産であり、
「将来の支出をもたらすもの」全てが負債である。
そして、
資産の要件は「希少性」と「換金性/収益性」である。
最も効率的な資産である「能力」を例にとれば、
「普通の人にはできないことができる」というのが希少性であり、
「その能力に価値を感じてくれる人を見つける」ことができれば換金できる。
</p>
<p>
「人並みの能力」に希少性はない。
いつでも代わりの人を見つけられるからだ。
<a href="http://www.gcd.org/blog/2006/05/58/">代替可能な人材</a>
(replaceable resource) に支払われる賃金は、
下がることはあっても、上がることは稀である。
ベースアップなどというものは高度成長期のみに許された特異現象である。
</p>
<p>
では、他人より抜きん出た能力を身につける機会とは何か？
</p>
<p>
「20:80 の法則」
(<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/80-20%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87">パレートの法則</a>) というものがある。
「売上の8割は、全従業員のうちの2割で生み出している」などの経験則が知られるが、
じゃ、その 2割の従業員だけでドリームチームを作れば、
すごい会社が作れるかというと残念ながらそうは問屋がおろさない。
「2割の従業員」がふたたび「20:80」に分かれてしまうのである。
精鋭チームを作ったつもりが、
そのチームの中の多数 (8割) は売上にあまり貢献しなくなってしまう。
逆に、ダメな従業員だけを集めたダメダメチームを作っても、
その中の 2割ほどは頭角を現し、チームを率いるようになる。
</p>
<p>
つまり能力を向上させる最良の方法は、
自分が上位 20% に入ることを目指せるような集団に属することである。
まさに「寧ろ鶏口となるも牛後となるなかれ」。
上位20% に入ることがどうしても無理なら、
それはその集団が向いていないということである。
牛後に甘んじるよりは思い切って飛び出すべきだろう。
</p>
<p>
機会均等を押し進めようとするなら、
</p>
<ul>
<li>「再チャレンジ支援」より
「<a href="http://d.hatena.ne.jp/tt_clown/20061210/p1">ニート部門</a>」</li>
<li>「一斉授業」より「習熟度別指導」</li>
<li>「普通科高校」より「専門高校」</li>
<li>「男女共学」より「女子校」</li>
<li>大企業で中間管理職を目指すより、ベンチャーで経営幹部を目指せ</li>
<li>大企業の研究所で主管研究員を目指すより、ベンチャーで CTO を目指せ</li>
<li>雇われプログラマで人月を換金するより、
世界を変えるオープン ソース ソフトウェアを目指せ</li>
</ul>
<p>
「貧乏にならないための機会」はいたるところで見つけられる。
見つけようとする意志さえあれば。
</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>潜在意識が働いて、新しい洞察が得られる</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2006/08/98/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2006/08/98/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 24 Aug 2006 23:27:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.gcd.org/blog/2006/08/98/</guid>
		<description><![CDATA[いま読んでいる本: フェルマーの最終定理 (文庫) サイモン シン 著 の中につぎの一節を見つけた (323 ページ): 大事なのは、どれだけ考え抜けるかです。 考えをはっきりさせようと紙に書く人もいますが、 それは必ず [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
いま読んでいる本:
</p>
<blockquote>
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4102159711/gcd-22/ref=nosim">フェルマーの最終定理</a> (文庫)<br />
サイモン シン 著
</blockquote>
<p>
の中につぎの一節を見つけた (323 ページ):
</p>
<blockquote>
大事なのは、どれだけ考え抜けるかです。
考えをはっきりさせようと紙に書く人もいますが、
それは必ずしも必要ではありません。
とくに、袋小路に入り込んでしまったり、
未解決の問題にぶつかったりしたときには、
定石になったような考え方は何の役にも立たないのです。
新しいアイディアにたどりつくためには、
長時間とてつもない集中力で問題に向かわなければならない。
その問題以外のことを考えてはいけない。
ただそれだけを考えるのです。
それから集中を解く。
すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。
そのとき潜在意識が働いて、
新しい洞察が得られるのです。
</blockquote>
<p>
ついにフェルマーの最終定理を証明したワイルズの言葉であるが、
「潜在意識が働いて、新しい洞察が得られる」という部分に大変共感を覚えた。
「<a href="http://www.gcd.org/blog/2006/03/19/">どうやったら無意識の思考をより活性化させることができるか</a>」
考え続けてきた私としては、
我が意を得たりの感がある。
</p>
<p>
どうすれば無意識の思考をより働かせられるか、
ワイルズは「長時間とてつもない集中力で問題に向かわなければならない」と
表現した。
私は「<a href="http://www.gcd.org/blog/2006/03/19/">同時に考えよう (1)</a>」で書いたように、
「日頃から深く考え続けているような事に関しては、
ひらめく頻度が高いように感じる。
おそらく無意識で考え続けているのだろう」と思う。
意識した思考を長時間続けることが必要、
という点で共通しているのが興味深い。
</p>
<p>
なぜ、無意識の思考を働かせるには、
長時間の意識した思考が必要なのだろう？
</p>
<p>
なぜ、新しい洞察は、
意識した思考によってではなく、
無意識の思考によって得られるのだろう？
</p>
<p>
自身の脳の中で何が起っているのか、
そもそも無意識の思考とは何なのか？
それが分かれば、
もっと「頭を使う」ことができるかもしれないし、
また自らの能力の限界がどのあたりにあるのか知ることも可能だろう。
ホフスタッターが言うように、
おそらく自由意思は錯覚なのだろう。
<a href="http://www.gcd.org/blog/2006/08/93/">受動意識仮説</a>は
「不思議の環」をとてもうまく説明する。
</p>
<blockquote>
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4826900252/gcd-22/ref=nosim">ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環</a> (単行本) <br />
ダグラス・R・ホフスタッター 著
</blockquote>
<p>
とはいえ、
脳が自分自身の動作原理を理解する、
などということが本当に可能なのだろうか？<br />
自己言及の環となってパラドックスに陥ったりしないのだろうか？
</p>
<blockquote>
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4484921278/gcd-22/ref=nosim">マインズ・アイ―コンピュータ時代の「心」と「私」〈下〉</a> (単行本) <br />
ダグラス・R・ホフスタッター／ダニエル・C・デネット 編著
</blockquote>
<p>
の中の、クリストファー・チャーニアクの短編
「宇宙の謎とその解決」(第17章) に出てくる
「謎の昏睡」を、ふと思い出した。
</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>人の「意識」は心の中心ではなく、脳の様々な活動のロガーに過ぎなかった！</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2006/08/93/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2006/08/93/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 03 Aug 2006 00:33:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.gcd.org/blog/2006/08/93/</guid>
		<description><![CDATA[唐突に何かを「ひらめく」という経験は誰しもあるだろう。 「ひらめき」が天から降ってくる、というのは考えにくいので、 意識はしていないものの何らかの思考が脳の中で行なわれ、 その思考の結果が意識にのぼったとき、 「ひらめく [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
唐突に何かを「ひらめく」という経験は誰しもあるだろう。
「ひらめき」が天から降ってくる、というのは考えにくいので、
意識はしていないものの何らかの思考が脳の中で行なわれ、
その思考の結果が意識にのぼったとき、
「ひらめく」と考えるのが自然だろう。
</p>
<p>
この意識していない思考、すなわち「無意識の思考」を積極的に活用すれば、
同時に沢山のことを考えられる。
時間を効率的に使えるだけでなく、
自身の脳の中で何が起きているのか理解するきっかけになるのではないかと、
今まで考察を重ねてきた:
</p>
<ul>
<li><a href="http://www.gcd.org/blog/2006/03/19/">同時に考えよう (1)</a></li>
<li><a href="http://www.gcd.org/blog/2006/04/37/">同時に考えよう (2)</a></li>
<li><a href="http://www.gcd.org/blog/2006/04/46/">同時に考えよう (3)</a></li>
<li><a href="http://www.gcd.org/blog/2006/04/47/">同時に考えよう (4)</a></li>
<li><a href="http://www.gcd.org/blog/2006/05/59/">同時に考えよう (5)</a></li>
</ul>
<p>
意識の「下」に、意識を支える広大な「無意識」がある、
というイメージで考え、
その無意識をもっと活用したい、という思いからいろいろ考えてきたわけであるが、
<a href="http://www.maeno.mech.keio.ac.jp/Maeno/">前野隆司氏</a>のページを読んで、
文字通り天地が引っくり返ってしまった:
</p>
<p>
「<a href="http://www.maeno.mech.keio.ac.jp/Maeno/consciousness/">脳はなぜ『心』を作ったのか</a>」から引用:
</p>
<blockquote>
1つの面白い実験結果がある。
人が指を動かそうとするとき，
脳の中の，「動かそう」と意図する働きを担う部分と，
筋肉を動かそうと指令する運動神経が，
どんなタイミングで活動するかを計測したカリフォルニア大のリベット博士の実験だ。
結果は実に意外だった。
筋肉を動かすための運動神経の指令は，
心が「動かそう」と意図する脳活動よりも，0.5秒も先だというのだ。
常識的に考えると，まず人の心の「意識」が「動かそう」と決断し，
それにしたがって体が動くと予想されるのに，結果は何と逆なのだ。
</blockquote>
<p>
そうだったのか！ それで全て辻褄が合う！
</p>
<blockquote>
人の「意識」とは，
心の中心にあってすべてをコントロールしているものではなくて，
人の心の「無意識」の部分がやったことを，
錯覚のように，あとで把握するための装置に過ぎない。
</blockquote>
<p>
まさに、
地球が宇宙の中心で、太陽や星が周囲を回っていると思っていた人が、
地動説を聞かされたときの気分だった。
「無意識の思考」と「意識した思考」の二種類があるのではなく、
「無意識の思考」が全てだったとは。
</p>
<p>
「あとで把握するための装置」という説明は私にとって、
とても納得のいく考え方だ。
すなわち、無意識の思考は様々なことを「同時に考えている」が、
実際に何を考えていたか、ほとんど忘れてしまう。
ごくわずかな例外が、「意識にのぼった思考」、否、
「意識という記録装置」によって「すくいあげられた思考」ということなのだろう。
</p>
<p>
同様のことが「夢」にも見られる。
外部刺激が夢に影響を与えることがある。
例えば、目覚まし時計が鳴る音が、
夢の中で電話の呼び出し音として登場するなど。
しかし、因果律で考えれば、目覚まし時計が鳴ることが原因で、
夢の中で電話が鳴ることが結果であるはずだ。
なぜ、
</p>
<ol>
<li>夢の中で、何かをしているとき、</li>
<li>電話が鳴る音を聞き、</li>
<li>受話器を取り上げようと行動しているうちに、</li>
<li>目覚め、</li>
<li>目覚まし時計が鳴る音を聞く、</li>
</ol>
<p>
という順番になるのだろうか？
電話が鳴る前に何も夢を見ていないのならまだ理解できるが、
夢なりに脈絡があるシチュエーション (1) で電話が鳴る (2) のである。
</p>
<p>
どうして外部からの刺激 (2) が原因なのに、
それが結果となるような夢 (1) を「たまたま」見ることができるのか、
とても不思議だった。
私が考えた仮説は、
外部刺激を受けた一瞬のうちに、
夢の全て (1)～(3) (電話が鳴る前の全ての状況を含む) を見て、
そして目覚める、というものだった。
</p>
<p>
「夢」とは、
寝ている間の無意識の思考の一部を「すくいあげた」ものである、
と考えれば辻褄が合う。
寝ている間、無意識の思考は勝手にいろいろなことを考えるが、
そのほとんどは忘れてしまう。
唯一例外的に覚えているのは、「夢」として意識したエピソードなのであろう。
だから、時系列でいうと、
</p>
<ol>
<li>様々な無意識の思考が進行中...</li>
<li>目覚まし時計が鳴る</li>
<li>目覚まし時計の音の刺激を受けて、無意識の思考「電話が鳴る」が進行する</li>
<li>目覚める</li>
<li>「電話が鳴る」思考が、「夢」として意識される</li>
</ol>
<p>
「意識」は元々、「無意識の思考」の後に来るものなので、
因果律的には矛盾がない。
つまり、電話が鳴る音が先で、目覚めるのが後、と
意識する (正確に言えば、そういう記憶が残る) のは錯覚に過ぎない。
意識とは元々そういうものなのだ。
</p>
<p>
意識とは、脳というコンピュータにおけるロガー
(unix で言うところの syslog ;-) に過ぎないのだろう。
つまり、自由意思で何かをしようと決断し、何か行動を起こす、のではなく、
「決断して行動した」という「記憶」が残っている、ということなのだろう。
</p>
<p>
にわかには信じがたい (人によっては不快とさえ思うかも知れない) 説ではあるが、
「単純なものほど真実に近い」はずであり、
「意識」が「エピソード記憶」のためにある、
という説はとても単純であるように思われる。
ちょうど、「地動説」が (ガリレオの時代の人々にとっては)
信じがたい説であったが、
惑星の見かけの動きを単純に説明できたように。
</p>
<p>
さっそく前野隆司氏の著書:
</p>
<blockquote>
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480842659/gcd-22">脳はなぜ「心」を作ったのか</a><br />
「私」の謎を解く受動意識仮説<br />
前野 隆司 著
</blockquote>
<p>
を注文した。
将来のロボットは、本当に心を持つことができるようになるのだろうか？
</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.gcd.org/blog/2006/08/93/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>成長する秘訣は、今の仕事を捨てて自分を変えること</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2006/08/376/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2006/08/376/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 01 Aug 2006 23:31:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[仙石浩明CTO の日記]]></category>
		<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.gcd.org/blog/2006/08/376/</guid>
		<description><![CDATA[ピーターの法則って知ってますか？ ウィキペディアから引用すると: 能力主義の階層社会に於いて、人間は能力の極限まで出世する。 すると有能な平構成員も無能な中間管理職になる。 時が経つに連れて人間は悉く出世していく。 無能 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87">ピーターの法則</a>って知ってますか？
<a href="http://ja.wikipedia.org/">ウィキペディア</a>から引用すると:
</p>
<ol>
<li>能力主義の階層社会に於いて、人間は能力の極限まで出世する。
すると有能な平構成員も無能な中間管理職になる。</li>
<li>時が経つに連れて人間は悉く出世していく。
無能な平構成員はそのまま平構成員の地位に落ち着き、
有能な平構成員は無能な中間管理職の地位に落ち着く。
その結果、各階層は無能な人間で埋め尽くされる。</li>
<li>その組織の仕事は、まだ出世の余地のある、
無能に達していない人間によって遂行される。</li>
</ol>
<p>
確かに自分の能力を超える地位まで登ってしまうと、
能力が発揮できなくなってしまう、というのはありそうな話です。
地位が上がって無能扱いされるくらいなら、
同じ地位に留まって「有能」であり続けるほうがマシというものです。
特に、
成果主義が浸透しつつある昨今、
「無能に達する」ことは大変なリスクを伴います。
そんなリスキーな出世より、
特定の仕事を極めてスペシャリストになることを選ぶ、
という人のほうが多数派なのかもしれませんね。
</p>
<p>
しかしながら、
同じ仕事が同じ価値を持ち続けるかどうかは、
時と場合によります。
職人技が価値を生む分野であれば、
一つの「技」に一生をかける価値があるでしょう。
例えば、従来日本が得意としてきた「モノ作り」の分野ですね。
熟練工の「技」は、
機械には真似ができないという価値を持っていました。
</p>
<p>
では、我らが「ソフトウェア開発」はどうでしょうか？
「<a href="http://www.gcd.org/blog/2006/07/91/">ソフトウェア開発はモノ作りではない</a>」ので、
モノ作りのアナロジーで考えていると大きく価値判断を誤ります。
ソフトウェア開発においては、モノ作りと違って、
熟練自体は価値を生まないからです。
10年の経験を積んだプログラマが、
プログラミングを始めて 1ヶ月の新人に負かされる、などということが
起り得るのがソフトウェア開発でしょう。
</p>
<p>
一つの仕事に一生を賭けようとするなら、
自身の能力のうち普遍的な価値を持つのはどんな能力なのか？
他の人には真似ができない自分ならではの良さとは、どんなことなのか？
自問し続けることが重要だと思います。
</p>
<p>
一つの仕事に一生を賭けるのではなく、
仕事を変え、自分を変えていく、という道もあります。
単に仕事が変わる (例えば昇進する) だけでは、
ピーターの法則通り、いずれ無能に達してしまいますから、
この道を選ぶにあたっては自分を変えることが必須です。
</p>
<p>
つまり受け身の昇進ではなく、
積極的に<a href="http://www.gcd.org/blog/2006/05/68/">今の仕事を捨てる</a>べきでしょう。
部下 (or 後輩) が成長してきて、
自分の代わりがつとまるようになったら、
全てその部下に任せてしまい、
新しいことにチャレンジするわけです。
そうすれば部下も育つし、
自分を変えることができます。
運がよければ新たな成長フェーズに入れるかもしれません。
</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.gcd.org/blog/2006/08/376/feed/</wfw:commentRss>
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		</item>
		<item>
		<title>ロングテール戦略が格差社会を生む: 必要は発明の母</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2006/07/84/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2006/07/84/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 05 Jul 2006 21:29:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.gcd.org/blog/2006/07/84/</guid>
		<description><![CDATA[仮説: ロングテール戦略が格差社会を生む の検証の二回目 (全七回を予定)。 必要は発明の母 格差が広がりつつあることの根拠として、 親の資金力が子供にかけられる教育費に影響を与え、 子供の知能に影響する、という点があげ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
仮説: <q><a href="http://www.gcd.org/blog/2006/06/76/">ロングテール戦略が格差社会を生む</a></q>
の検証の二回目 (全七回を予定)。
</p>
<h2>必要は発明の母</h2>
<p>
格差が広がりつつあることの根拠として、
親の資金力が子供にかけられる教育費に影響を与え、
子供の知能に影響する、という点があげられることがあるが、
果たしてそうだろうか？
確かに、お金に糸目をつけなければ
いくらでも(授業料が)高い教育を受けさせることができる。
いくらデキの悪い子でも、
教えたぶんくらいは学力が上がるだろう。
しかしながら学力と知能は違う。
知能とは考える力であり、
いい学校にいけば身につけられる、
というものでもない。
</p>
<h3>学びて思わざれば則ち罔し</h3>
<p>
教わるだけで考えなければダメ、とは
論語以来くり返し言われ続けてきていることであるが、
考える訓練を学校で行なっているかと言えば、
なかなか心もとないものがある。
少なくとも私の経験だと、
考える習慣というのは学校とは関係のないところで身につけたような気がする。
</p>
<p>
どういうときに考える習慣が身についたかと言えば、
それは何か不足しているときである。
何か不便なことがある、
あるいは何かやりたいことがあるのだけどできない。
様々な制約をどうやって乗り越えようかと思案しているときに、
ついつい深く考え込む。
</p>
<p>
私が子供の頃というと高度成長期が終わった頃なので、
世の中にモノは溢れていた。
だから「不足」というとおこがましいのであるが、
当時は大量生産の時代なので、
少数のニーズは切り捨てられていた。
また、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%84%84%E7%B7%8F%E7%99%BD%E7%97%B4%E5%8C%96">一億総白痴化</a>の道具と言われたテレビも、
視聴率至上主義で少数のニーズには見向きもしていなかった。
つまり、
モノが溢れていると言っても画一的な製品ばかりだったし、
テレビなどのマスメディアが提供するサービスも画一的だった。
子供心にも、テレビはつまらない番組ばかりという印象を持った。
</p>
<p>
だから、好奇心旺盛な子供にとって工夫の余地はいたるところにあった。
買うより作った方が早い、そういう時代だったし、
小学生が電子工作に夢中になるのも珍しいことではなかった。
小学生でもいろいろ考えれば、
大人が驚くような成果を誇示することが可能だった。
</p>
<h3>「知」に対する渇望</h3>
<p>
「<a href="http://www.gcd.org/blog/2006/07/83/">プログラマを目指すのに適した時代、適していない時代</a>」で書いたように、
私がプログラミングを学ぼうとした時代は制約や不足だらけだった。
そもそも入門書が無い。
少なくとも街の本屋にはコンピュータ関係の本は皆無だったし、
大阪梅田の
<a href="http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/osaka/01.htm">紀伊國屋書店</a>や
<a href="http://www.asahiya.com/shop/westjapan/osaka-shi/honten/index.asp">旭屋書店</a>でさえ、
コンピュータ関連書籍のコーナと言えば、せいぜい本棚一つくらいのものだった。
そんな希有な本棚を見つけ出せたとしても、
現在みたいに手取り足取り教えてくれる入門書なんてあるわけがなく、
大学の専門課程の学生向けの専門書を、
わずかな手がかりをもとに当時中学生だった私が読み解いていくのである。
まさに「読書百遍、意自ら通ず」の世界である。
</p>
<p>
そんな私が、初めて
<a href="http://www.yaesu-book.co.jp/">八重洲ブックセンター</a>を
訪れたときの感慨を理解して頂けるだろうか？
大げさに聞こえるだろうが、まさに砂漠で一杯の水を見つけたような気分だった。
一日中ここですごしたいと思ったものだ。
</p>
<p>
そうやってあちこちを探しまわって
なんとか入手した 6502 のデータシートに記載されていた
ニーモニック表を手がかりに、
まるで暗号解読をするように一命令づつその動作を想像し、
ついにはハンドアセンブルできるようになった時の達成感、
そしてハンドアセンブルして作ったバイナリコードを
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/PET2001">PET 2001</a>
に打ち込んで実行し、
BASIC とはケタ違いのスピード ──まさに一瞬だった── を
目の当たりにしたときの感動は、
今でもありありと思い出すことができる。
</p>
<p>
「知」に対する渇望があるからこそ、
人は学び考えるのだろうと思う。
渇望するより先に与えられてしまったとしたら、
果たしてそれを学び考えようとするだろうか？
少なくとも若かった頃の私にそれができたかというと、
はなはだ自信がない。
いつでも学べると思うと、
「<a href="http://www.gcd.org/blog/2006/06/81/">時間ができたら勉強したい</a>」と
後回しにしてしまいそうな気がするのである。
</p>
<h3>不足(ニーズ)あるところに商機あり</h3>
<p>
多品種少量生産の時代になって久しい。
どんなニッチなニーズでも、
それを満たす製品ないしサービスがたちどころに開発されて提供される。
しかも IT技術によって全国津々浦々、どこにいてもその恩恵を受けられる。
やっとの思いで上京して八重洲ブックセンターに行く必要はないのである。
かゆいところに手が届くサービスが湯水のように提供されているのに、
どうして不足を感じることができるだろうか。
まして「渇望」とは無縁であろう。
世の中これだけ便利になってしまうと、
どうやって工夫すればいいのだろう？
テレビが成し得なかった「一億総白痴化」を IT技術が達成してしまうのだろうか。
</p>
<p>
いや、そんなことはない、
インターネットの時代では、
消費者は単に消費するだけでなく、
自ら情報を発信していく、
生産者的かつプロフェッショナルな消費者
つまりプロシューマだ、
という人がいるかも知れない。
それはその通りだろう。
一部の消費者は「消費者」の枠に留まらず、
どんどん活躍の場を広げていくことだろう。
しかし、
そういった活躍をするのにも知能は必要である。
身近なところで考える訓練を積むことなく、
いきなりインターネットの世界に晒されては、
情報発信以前に、
あっと言う間に魑魅魍魎の餌食になるだろう。
</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>ロングテール戦略が格差社会を生む: 究極の搾取</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2006/06/78/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2006/06/78/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 12 Jun 2006 22:47:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.gcd.org/blog/2006/06/78/</guid>
		<description><![CDATA[仮説: ロングテール戦略が格差社会を生む の検証の一回目 (全七回を予定)。 究極の搾取 剰余価値が生まれて以来、 持つ者が持たざる者を 搾取する、 という構図は変わらない。 産業革命の時代、資産とは生産諸手段だった。  [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
仮説: <q><a href="http://www.gcd.org/blog/2006/06/76/">ロングテール戦略が格差社会を生む</a></q>
の検証の一回目 (全七回を予定)。
</p>
<h2>究極の搾取</h2>
<p>
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B0%E4%BD%99%E4%BE%A1%E5%80%A4">剰余価値</a>が生まれて以来、
持つ者が持たざる者を
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%90%BE%E5%8F%96">搾取</a>する、
という構図は変わらない。
</p>
<p>
産業革命の時代、資産とは生産諸手段だった。
</p>
<p>
情報革命の今日、資産とは知能である。
</p>
<p>
頭のよい者が儲け、頭がよくない者は自覚のないままに搾取されている。
搾取と言っても、一人一人の額は微々たるものだから、気付かないのだろう。
たまに、「ボロ儲け」した奴はけしからん、と一部の金持ちが槍玉にあげられるが、
本当の金持ちは目立たないようにしているものだ。
一人一人に対する搾取は極めて少額でも、
情報技術の力によって集めれば莫大な額になる。
</p>
<p>
かつて「搾取」が持っていた暗いイメージはもはやない。
産業革命時代の搾取と違って、
今日の搾取には悲惨さは微塵もない。
かつての搾取はその悲惨さによって下層階級を固定していたが、
今日の搾取にはその力はない。
したがって産業革命時代と異なり、
今日は搾取それ自体が格差社会を生んでいるわけではない。
</p>
<p>
その一方で、富を集積する力は従来と変わらず圧倒的である。
しかも、産業革命時代の機械と比べると、
今日のコンピュータおよびネットワークは、
費用対効果が極めて高い。
</p>
<p>
圧倒的な効率で富を集積する力を持ち、
しかも負の側面をほとんど持たない。<br />
まさに究極の搾取と呼ぶにふさわしいだろう。
</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.gcd.org/blog/2006/06/78/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ロングテール戦略が格差社会を生む</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2006/06/76/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2006/06/76/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 07 Jun 2006 23:44:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.gcd.org/blog/2006/06/76/</guid>
		<description><![CDATA[仮説: 「ロングテール戦略が格差社会を生む」を検証していこうと思う。「格差社会」というテーマが最近ホットであるようだが、別の視点から「格差」を論ずることができるような気がしている。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
ふと思いついた仮説:
<q><strong>ロングテール戦略が格差社会を生む</strong></q>
を検証していこうと思う。
</p>
<p>
「<a href="http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20060605/goal">凡人が万馬券ばかり買って競馬場を去る社会</a>」
「<a href="http://naoya.g.hatena.ne.jp/naoya/20060604/1149372392">格差</a>」
「<a href="http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50520355.html">過ぎたる機会は及ばざるがごとしか</a>」など、<br />
「<a href="http://www.aso-taro.jp/lecture/kama/2006_4.html">格差社会</a>」というテーマが最近ホットであるようだ。
これらのブログを読んでいて違和感を感じた。<br />
別の視点から「格差」を論ずることができるような気がしている。
</p>
<p>
論拠は次の 7 つ。
</p>
<ol>
<li><a href="http://www.gcd.org/blog/2006/06/78/">究極の搾取</a></li>
<li><a href="http://www.gcd.org/blog/2006/07/84/">必要は発明の母</a></li>
<li><a href="http://www.gcd.org/blog/2006/12/112/">機会均等</a></li>
<li>最も貴重な資産</li>
<li>習慣</li>
<li>ラットレース</li>
<li>仮想下層社会</li>
</ol>
<p>
これだけで私が何が言いたいか分かってしまった人もいるかもしれないが (^^;)、
今後一つずつ掘り下げてみる予定。
ご意見を頂ければ、より突っ込んだ議論ができるかもしれない。
</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.gcd.org/blog/2006/06/76/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>面接FAQ: 「人の役に立つことをしたい」と言う技術者の卵たち</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2006/05/360/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2006/05/360/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 07 May 2006 00:27:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[仙石浩明CTO の日記]]></category>
		<category><![CDATA[技術と経営]]></category>
		<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.gcd.org/blog/2006/05/360/</guid>
		<description><![CDATA[これまで 「弊社の面接で(私に)よく聞かれること、 面接官自身が語る面接攻略法」を、 「面接 FAQ」シリーズで書いてきたのですが、 タイトルでは内容が分かりにくかったのではないかと反省する今日このごろなので、 今回から [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
これまで
「弊社の面接で(私に)よく聞かれること、
面接官自身が語る面接攻略法」を、
「面接 FAQ」シリーズで書いてきたのですが、
タイトルでは内容が分かりにくかったのではないかと反省する今日このごろなので、
今回から より内容を表わすタイトルに変えてみます
(2007/7/12追記: 以前のページのタイトルも修正しました)。
</p>
<p>
内容自体は、「面接 FAQ」シリーズの続き物ですので、
以下のページも参照して頂けると幸いです。
</p>
<blockquote>
(1) <a href="http://www.gcd.org/blog/2006/04/344/">高い技術力って例えばどんなことですか？</a><br>
(2) <a href="http://www.gcd.org/blog/2006/04/348/">何か質問はありませんか？</a><br>
(3) <a href="http://www.gcd.org/blog/2006/04/350/">前職でいくらもらっていましたか？</a><br>
(4) <a href="http://www.gcd.org/blog/2006/04/352/">仮に、何をしてもいい、と言われたら、何をしますか？</a><br>
</blockquote>
<p>
続く 5 回目となる今回は前回の続きで、
「何をしたいか」と質問したときの、
応募者 (つまり面接を受けに来た人) の答についてです。
</p>
<p>
一生の時間のうちのかなりの時間を仕事に費やすのですから、
一生かけて取り組みたいと思うようなことをすべきだと私は思います。
嫌々仕事をしたって、好きでやってる人に勝てるはずはありません。
転職 (新卒の学生さんにとっては就職) を成功させる第一歩は、
自分が本当は何をやりたいか自覚することから始まるのだと思います。
だからこそ、私は面接で「何をしたいか」をしつこいくらい聞くのですが...
</p>
<p>
私にとっては意外なことに、
「人の役に立つことをしたい」 と<br>
答える人が少なからずいます。
</p>
<p>
もちろん、「人の役に立つこと」という目的は崇高なものです。
NHK の番組「プロジェクトX」を引き合いに出すまでもなく、
人のために自らを投げうって技術革新に取り組む技術者たちの姿は
人の心を打つことでしょう。
</p>
<p>
でもそれって、平たく言えば、
技術者でない人 (視聴者) に技術者の人生が分かったような気にさせるための、
技術者でない人 (番組制作者) が考えたストーリーに他ならないわけです。
つまり、技術者の(技術者を描いた)、非技術者による、非技術者のための番組なわけで、
これから技術者としてスキルアップしていこうとする人が、
そんなマスコミの「嘘」を信じちゃいけません。
</p>
<p>
<a href="http://www.13hw.com/interest/interest05_05.html">13歳のハローワーク 公式サイト</a> では、
「人の役に立つのが好き」な人に勧める職業として、
<ul>
<li>政治家, 公務員 などの行政職</li>
<li>弁護士, 裁判官 などの司法職</li>
<li>保育士, 小中学校教師 などの教育職</li>
<li>警察官, レスキュー隊員 などの安全に関する職種</li>
<li>ソーシャルワーカー, ホームヘルパー などの福祉関係の職種</li>
</ul>
<p>
があげられています。
「人の役に立つ」のを第一の目標とするなら、
まず技術を身につけて、その技術で人の役に立つ、なんて
回りくどいことをせずに、
もっとストレートにこういった職業を目指すべきでしょう。
技術を身につける、なんてサブ・ゴール (sub goal) を設定していては、
ゴールを目指す前に人生終わっちゃいます。
</p>
<p>
「技術」をあくまで目的を達成するための一手段としてとらえるのなら、
自分で技術を習得するなんて遠回りをするより、
技術者を雇うなりアウトソースするなりして技術面は他の人に任せ、
自分は自分の目標に邁進すべきなのです。
「技術」と「人の役に立つこと」両方を追い求めるには人生は短すぎます。
</p>
<p>
技術者としての人生を歩もうとするなら、
まず自分がどれだけ技術が好きか、
とことん自分の気持ちを確認してみるべきだ、
と私は思います。
</p>
<div align="center">- o -</div>
<p>
連休初日に、
「<a href="http://www.gcd.org/blog/2006/04/352/">今日から五月連休ですね。会社によっては 9 連休のところもあるとか。あなたは何をしますか？</a>」という問いかけをしました。
連休最終日の今日、連休を振り返ってみていかがでしょうか？
好きなことができましたか？
</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.gcd.org/blog/2006/05/360/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>同時に考えよう (5)</title>
		<link>http://www.gcd.org/blog/2006/05/59/</link>
		<comments>http://www.gcd.org/blog/2006/05/59/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 04 May 2006 11:14:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hiroaki_sengoku</dc:creator>
				<category><![CDATA[技術者の成長]]></category>
		<category><![CDATA[自己啓発]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.gcd.org/blog/2006/05/59/</guid>
		<description><![CDATA[アナロジーで考えると理解しやすいのはなぜだろう？ 新しい事柄を、すでに理解している事柄に対応付けると、 分かったような気になりやすいので注意が必要であるが、 どこまで類似していて、 どこが違うかはっきり意識しながら考える [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
アナロジーで考えると理解しやすいのはなぜだろう？
</p>
<p>
新しい事柄を、すでに理解している事柄に対応付けると、
分かったような気になりやすいので注意が必要であるが、
どこまで類似していて、
どこが違うかはっきり意識しながら考えるのであれば、
アナロジーは素早くモノゴトの本質を見極める方法として有効である。
</p>
<p>
すでに完全に理解している事柄というのは、
頭の中にその事柄に対応する「回路」が出来上がっていて、
無意識の思考で高速に考えることができる。
一方、初めて見聞きする新しい事柄は、
当然のことながら頭の中にはなにも準備ができていないから、
無意識の思考で考えるのは難しく、
意識した思考で考えることになる。つまり非常に遅い。
</p>
<p>
ここで、もし新しい事柄の一部でも、
無意識の思考で考えることができるのなら、
つまりすでに理解している事柄と似ている点があるのなら、
その部分は無意識の思考に任せることができて、
理解を加速することができるのではないか。
おそらく、これがアナロジーで考えるということなのだろうと思う。
</p>
<p>
このように考えていると、
マービン・ミンスキーのフレーム理論が思い起こされる。
つまり知識の枠組みができている事柄についての理解が速い、
ということと似ているが、
単なる知識の整理にとどまらず、
無意識の「自動化された」思考によって、
新しい事柄への理解が加速されるのではないか。
</p>
<p>
その一方で、過剰な類推をしてしまう、
つまり無意識への「丸投げ」をしてしまうのが、
「分かったつもり」であって、
頭の中の回路がどこまで正しいのか、
つまり「どこまで類似していて、どこが違うか」を検証する必要がある、
ということなのだろう。
</p>
<p>
その検証を、意識して行ってもよいのだが、
検証を無意識の思考で行うことができれば、
さらに強力だろう。
これは、比喩のやりすぎや、論理の誤謬を「直感で」感じられる人は、
検証を実際に無意識の思考で行っているのだろうと思う。
</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.gcd.org/blog/2006/05/59/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>

