仙石浩明の日記

自己啓発

2006年4月29日

面接FAQ: 仮に、何をしてもいい、と言われたら、何をしますか?

弊社の面接で(私に)よく聞かれること、 面接官自身が語る面接攻略法。 今までお話ししてきたことをいったんまとめてみます。

(1) 高い技術力って例えばどんなことですか?
志望動機が「技術を学びたい」なのに、 肝心のその技術がどういうものかイメージできていない、 言い換えれば自分が何をしたいのか実は分かっていない、 これはかなり問題ですよね?
(2) 何か質問はありませんか?
面接を受けに来て、なにも質問しようとしない人がいます。 分かっていないのに分かったつもりになってしまう、 これは技術者にとって致命的なことです。 どこまでも自分が分かっていないことを自覚し、 探求し続ける習慣が無ければ、スキルアップは覚束ないでしょう。
(3) 前職でいくらもらっていましたか?
前職給に基づいて給与を決めるため、というわけでは決してなく、 KLab の給与体系にスムーズに移行できるか判断するためです。

今回の質問は、

生活するために働かねばならない、ということが仮になかったとしたら、
仮に、一週間何をしてもいい、と言われたら、何をしますか?

なぜこんな質問をするかと言えば、自分は本当は何をしたいのか 考えてもらいたいからです。

自分が何をしたいか? そんなことは分かっているに決まっているじゃないか、 お金に困らないなら好きなことをするさ、と多くの人は言うでしょう。

じゃ、好きなことって何ですか?

仕事しなくてもいいのなら、あれもしたい、これもしたい、...

その中で一番やりたいのは何ですか?

一日中、寝続けたい。
浴びるほど酒を飲みたい。
何も考えずにぼーっとしていたい。
...

まあ好きにやっててください。(^^;)
もちろん気分転換は必要なので、 時にはハメを外すことも必要でしょう。 でも、何かをやっているからこその気分転換ですよね。 年がら年中、気分転換し続けるわけにはいきませんよね。

だから~、普段は嫌な仕事をやってて、 おまけに残業続きで忙しくて忙しくて、 たまに休日があっても疲れているから何もする気が起きず、 あ~ 仕事しなくてもいいなら好きなことができるのに~

いえ、だからその「好きなこと」ってなんでしょう?
というのが質問なのですが... (-_-;)

一生の時間のうちのかなりの時間を仕事に費やすのですから、 一生かけて取り組みたいと思うようなことをすべきだと思うのです。 好きなことをやっててお金がもらえれば苦労はしない、と多くの人は言うでしょう。 でも、本当に一生かけてもやりたいほど好きなことってありますか?

もしあるなら、その「好きなこと」をやってても生活できない と判断するのはなぜでしょう? 一生かける覚悟があるなら、大抵のことは成し遂げられるでしょう。 嫌々仕事をしたって、好きでやってる人に勝てるはずはありません。 鶏口となるも牛後となるなかれ、 好きなことをしよう

もしそれほど「好きなこと」がないのなら、なぜ探さないのでしょう?
一生かけて嫌々仕事をするのでしょうか。何のために?
生活のため、というのは自分自身への いいわけ なのでは?

- o -

今日から五月連休ですね。 会社によっては 9 連休のところもあるとか。
あなたは何をしますか?

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Filed under: 自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 09:41
2006年4月23日

自分を変えよう

他人の考え方を変えさせるのは難しい。 人は誰しも自分の考えたいように考えるわけで、 正論を述べたって相手を説得できるとは限らない。 たった一人の考え方を変えさせるのさえ困難なのだから、 まして組織の方向性を変えるなんて至難の業。

だから、組織を変えようとするのではなく、 他人を変えようとするのではなく、 まず自分を変えよう。 どんなに非の打ち所が無い人でも 反省すべき点の一つや二つあるわけで、 ふつうの人ならいくらでも反省すべき点はあるだろう。

まして周囲に不満を持っている人なら その分、反省すべき点も多いはず。 まさに人のふり見て我がふり直せ。 自分の都合のよいように、自分の考えたいように、 考えていないか省みよう。

他人の考え方を変えさせるのはそれからでも遅くない。 そもそも考え方を変えて欲しいと思うのは何のため?

Filed under: 自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 20:30
2006年4月21日

同時に考えよう (4)

パケットの気持ちになって考える

むろん、パケット(といっても小包のことではなくて、IP パケットとかのことである) に 気持ちがあるわけではないが、 パケットからみたネットワークを無意識の思考で考えてみる、 という意味。

パケットの振る舞いを、意識した思考で考えていては、 あらゆる状況下での振る舞いを考えようとすると時間がかかりすぎる。 頭の中にネットワークのエミュレータを構築し、 無意識の思考でパケットをやりとりしてみればどうだろうか。

プログラムの気持ちになって考える

プログラムの視点、 ないしプログラムを実行する CPU の視点を、 無意識の思考で考えてみる。 プログラムを一ステップずつ意識した思考で追っていては、 いつになってもバグの原因に思い当たらないが、 頭の中にプログラムを思い描き、 無意識の思考で実行してみればバグの原因が「ひらめく」かもしれない。

将棋の駒の気持ちになって考える

寺尾創さまのコメントにある、 「直感で何通りか次々に解候補が無意識に浮かんでくる」というのは、 頭の中に将棋盤と駒があって、 無意識の思考で超高速に駒を動かしてあらゆる指し手を探索している、 ということなのか。 これが意識した思考だと、 あらゆる指し手を探索するには非現実的な時間がかかってしまうだろう。

Filed under: 自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 18:37
2006年4月20日

同時に考えよう (3)

相手の気持ちになって考える

相手のバックグランドを知る。 どういう生い立ちか、どういう環境で育ったか、何を学んだか。 バックグラウンドが分かれば、 物事をどうとらえ、どう考えるかが見えてくる。 あたかも自分の頭の中に、 相手の人格のエミュレータが動いているかのように。

意識した思考で、 相手の考えを一ステップづつシミュレートしていては遅すぎる。 あくまで相手の気持ちになりきることが重要。 無意識の思考で、相手の人格のエミュレーションができるようになれば、 無意識における相手の思考と、 意識した自分の思考をインタラクションさせることができるようになる。

無意識における相手の思考と、 現実の相手の思考との差をフィードバックさせて、 エミュレーションの精度を高めることができる。

Filed under: 自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 15:20
2006年4月18日

ポジティブシンキングでいこう

誰しも言うことで、なにもここで書かなくたって 誰しも百も承知だと思うが、 あまりに重要すぎるのであえて書く。

病は気から、ネガティブに考えれば必ず悪くなる。 悪くなる可能性のあることは必ず悪くなる。 ならば無理やりにでもポジティブに考えよう。 どうしてもポジティブに考えられなかったら、 まずは冷静に考えられるようになるまで考えるのをやめてしまえ。 家に帰って寝てしまえ。

冷静になって考えれば、どんな苦境に立った時だって、 大して不幸なわけじゃない。 どんなに困難な問題にぶちあたったって、 解決策が見つからなくたって、 解決策を見つけようとすれば経験値が上がる。 ポジティブに考えれば、必ずうまくいく。 失敗は成功の母、必ず次につながる。

むしろうまくいっているときほど慎重であれ。 成功は失敗の母、成功体験にとらわれれば、 いつか必ず失敗する。 勝って兜の緒を締めよ、落とし穴はいたるところにある。

Filed under: 自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 19:02
2006年4月11日

同時に考えよう (2)

同時に考えよう」で無意識の思考について私自身の経験について述べたのであるが、驚いたことにそういう仮説が実際にあって、実験も行われているらしい。

Don't think too much, It's allright」(医学都市伝説)で紹介されている論文によると、

多くの判断要素のある事柄の選択については、無意識的思考が勝るという作業仮説から研究を行った。仮説は「集中なき熟考」と名付けられ、それを元に消費選択についての四つの実験が行われた。これらは実験室だけでなく、街角の商店でも行われ、複雑な判断要素のある商品購入の際には、意識を集中させた熟考によって、かえって悪い結果を得られることが確かめられた」。

だそうだ。この仮説が「都市伝説」なのかどうかよくわからない (^^;) が、

著者たちはこれらの結果から、どこに住み、どんな仕事をするかというような、多くの判断基準が錯綜する事柄について選択をする場合、それらの条件をいったん胸に納め、それに集中することなく「無意識下」で暖めておくことが、もっともよい決断結果が得る道だと主張している。

という主張は、私の感覚ととてもよくマッチする。判断基準から選択を行う思考の場合だけでなく、初めて見る数学の問題を解くとか、さらには全く新しいアイディアを思いつく、などといったような創造的な思考をも無意識下に行える、と私としては主張したいところであるが、実験で「創造的な思考を行えたか」検証するのは難しそうだ。

Filed under: 自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 06:44
2006年3月31日

中途半端のススメ

仕事をやりかけのまま中断する。 たくさんの仕事がやりかけのまま溜まっていることになる。

やりかけのまま中断しているものは、いつでも再開できるように、

書きかけのメールなら、
メーラで開きっぱなしでいつでも送信できるように
書きかけの文書なら、
いつでも続きが書けるようにアプリケーションで開きっぱなしに
開発途中のプログラムなら、
いつでもデバッグできるようにデバッグ環境を立ち上げっぱなしに
アイディアを練るときは、
いつでも思いついたことをメモできるように書きかけのメモを身近に
チャットしようとして返事がないときは、
チャットウィンドウを開きっぱなしにしておく
WWW で調べものをするときは、
とりあえず検索して関係のありそうなページを開くだけ開いておく

効用1: 隙間時間を有効に活用できる

一つの仕事を一気に完了させようとしなければ、 とりあえず始めるだけ始めるということでよしとするなら、 隙間時間でも始めることはできる。 あるいは、やりかけの仕事を少しだけ進めることなら、 隙間時間でも活用できる。 また、待ちが多い仕事は多重化することによって、 同時に進行させることができる。

効用2: 心理面

一つの仕事を、ゼロから始めるのは敷居が高い。 やりかけている仕事の続き、ということだと敷居が低い。 一つの仕事を完了させようとすると、 細かいところまで神経を配る必要があって大変。 細部は後で考えればいいやと割り切れば気が楽。 逆に、ほとんど完成していて細部の仕上げだけの仕事は どんどん片付けられるので気分的に楽。

効用3: 同時に考えよう

無意識の思考の活用。 仕事をやりかけのまま寝かせておくと、 いい考えを思いつくことが多々ある。 書きかけの文章を寝かせておくと、 適切な言い回しを思いつくことが多々ある。

4/3追記: 同じような趣旨の日記を見つけた。
 結城浩の日記
 複数の仕事をすることについて
 勉強日記の書き方

Filed under: 自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 07:16
2006年3月29日

分からない時は、『分からない』と言おう (3)

「分からない」と言えることが重要だと私が感じるようになったのは、 実は中学・高校時代に遡ります。 中学の時も、高校の時も、それぞれ同級生に、 とても優秀な友人がいました。 そしてどちらに対しても、とても敵わないと思ったものでした。

例えば、何かの説明を彼にしようとして、 頭の中で説明の筋道を考えた上で彼に話しはじめると、 まだ 10 のうち 1 ほども説明していないのに、 「分かった」と言われてしまったことがしばしばでした。 まだ説明は序の口にも到達していないような状況だったので、 話はこれから面白くなるのにと思いつつ、 佳境の部分を端折って説明しようとしたら、 先回りして 「要するに○○ということだろう!」 と要点だけ言われてしまいました。

異常に早く「分かった」と言う彼でしたが、 「分からない」も連発していました。 当時の私には、 彼ほど優秀な人がなぜ「分からない」と言うのかとても謎でした。 私にとっては、 「なるほどなるほど」と相槌を打ちたくなるような話 (別の友人が話した話題だったり、 数学の証明だったり、 コンピュータの仕組みの説明だったり、 SF の設定だったりしましたが) に対しても、 彼は「分からない」と言うのです。

なにぶん 20年以上も前のことなので詳細は覚えていないのですが、 どこが分からないのか問い詰めていったら、 実は私も分かっていなかったことが判明して、 「なるほど!」と腑に落ちたことだけは覚えています。

いかに簡単に、 分かったつもりになってしまうか痛感した瞬間でした。

分かったつもりになっているだけなのか、 ちゃんと分かっているのか、 なかなか判別できるようにはなれなかったのですが、 彼と同じ内容について見聞きした後、 彼が分からない、 というかどうか聞くのが楽しみになりました。

自分は分かったと思っても、 彼が分からない、と言った時は、 慌てて自己の思考過程を振り返り、 どこに論理の飛躍があるのか一生懸命考えたものです。 どう考えても自明なことのように思われるのに、 彼が「分からない」と言った時は、 それはそれは彼が立派に見えたものです。

そんなわけで私は、 「分からない」と言える人を尊敬してしまうようになったので、 「『分からない』と言うことが恥ずかしい」 と思っている人に対して違和感を覚えるのです。

Filed under: 自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 09:36
2006年3月28日

分からない時は、『分からない』と言おう (2)

tech ML に、 「分からない時は、『分からない』と言おう」 キャンペーン を書いたら、 E コマース案件を担当している T さんが書き込んできました。

あえて「分からない」が言えないシーン、 心理状態を想像してみると、 直接コミュニケーションをとっている中で、 「ちょっと調べれば分かりそうなことを聞いてしまうことが恥ずかしい、 (話の腰を折るのが悪い)」 というような心理的なブレーキが作用しているような気がします。 でも分かってないまま話を続けさせるのって相手に失礼ですよね (^^;

まあ、そういう心理なのでしょうね。 「自分で調べてから」 というのは正しい態度のようにも思われますが、 多くの場合は調べる前に忘れちゃったりするわけで、 あまりよろしくありません。

そういう意味では 「分からない」 を言いやすい環境作り、 「分からない」 と言われやすいキャラ作りも一考の価値あるかな、 とも思いました。

さすが T さん、 「分からない」 と言えない人のことだけでなく、 その相手のことまで考えています。 何事もいろいろな角度から見ることが必要ですからね。

だけど、 私が言いたいのは 「分からない」ことをどうやって意識させるか、 なので相手のことを考えてしまうと主題が発散してしまいます。 困ったな (^^;)。

つまり、 「分からない」 を言いやすい環境でないと 「分からない」 と言えないでは、 ダメなんです。 「分からない」 と言うのが一番ためらわれる状況でも、 「恥ずかしい」 という気持ちを押え込んで声を出す訓練を積み上げていって欲しいと思っています。

例えば、講演会等で、質疑応答の時間になった時、 誰も質問しなくって、 大きな会場が静まり返る、 という状況はよくありますよね? その静寂を打ち破って質問できるでしょうか? ほとんどの人は、 たとえ質問したいことがあっても、 なかなか声を出せないんじゃないでしょうか?

私が個人的に尊敬している人って、 ほとんど例外なくそういう場でも臆することなく質問できる人なんですよね。 「分からない」 と言える勇気を持つことと、 スキルアップできること、 との間には強い相関があるように思えてなりません。

大人数が参加する講演会場とかで質問するのは、 まあ後々の課題として、 せめて社内の勉強会や tech ML とかでは、 どんどん 「分からない」 と言えるようになってもらいたいです。

Filed under: 自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 10:56
2006年3月23日

同時に考えよう (1)

意識した思考はとても遅い。 どのくらい遅いかというと、 言葉に出して思考の筋道を話すことができるくらいだから、 推論の 1ステップに数秒かかったりする。 しかも、脳の短期記憶は 7+α しか覚えられないと言われるから、 中間結果を覚えておく容量もとても小さい。 だから、紙に書き出したり、カードを使って考えたりする。 書いたりカードを並べ替えたりしなければならないので、 さらにスピードが遅くなる。

では、なぜ人は、 コンピュータ顔負けのスピードで思考できるかといえば、 無意識に膨大な推論を行えるからだろう。 よく「ひらめき」とか表現されるが、 要は無意識に行った推論の結果が意識にのぼるから、ひらめく。

同時に一つのことしか考えられない、というが これは意識した思考のこと。 意識は (多重人格者でもなければ ^^;) 一つしかないし、 一つの意識では、7+α の短期記憶しかないから 一つのことしか考えられない。

無意識の思考にはこのような制限はない。 いくつでも同時に思考を走らせ、 結果が得られたらそれを意識にのぼらせればよい。

私が初めて、同時に複数の思考が行われたのを意識したのは、 大学入試のときだった。 早稲田大学の数学の試験だったと記憶しているが、 設問を順に解いていったが、 ある設問を考えていく途中で、行き詰ってしまった。 あまり一つの設問に時間をかけすぎるのは得策でないので、 その設問は後回しにすることにして、次の設問に移った。

次の設問を解き終え、 さらにその次の設問を解いている時だっただろうか (なにぶん 20年以上昔の話なので詳細は覚えていない)、 突然、さきほど行き詰った設問の解き方が頭の中にひらめいた。 そのときは別の設問に集中していて、 少なくとも意識からは完全にその設問のことは忘れ去っていたにも かかわらず、である。

そのときの「ひらめき」の体験があまりに鮮明だったために、 今でも覚えているし、 どうやったら無意識の思考をより活性化させることができるか、 考えるようになった。 意識しなくても思考が続くように、 しかも有意な結果が導かれるようにしなければならないのだから、 そんなに容易ではないが、 日頃から深く考え続けているような事に関しては、 ひらめく頻度が高いように感じる。 おそらく無意識で考え続けているのだろう。

アイディアを次から次へとひらめく人は、 無意識の思考が多数同時に進行しているのだと思う。

Filed under: 自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 13:05
2006年3月20日

ルールを変えよう

コバヤシマル テストという戦術シミュレーションがある。 Startrek 映画版 2作目の冒頭で登場する、 艦隊士官候補生のための試験であるが、 (敵の火力が圧倒的であるために) 勝つ方法がない。 そして、勝つことができたのは唯一、カークだけで、 勝てるようにシミュレーションプログラムを細工した、という話。

テストには解があることが多いが、 現実問題だと解があることのほうが稀で、 問題の中だけで考えていては解決不可能なことが多い。 もちろん問題を正面からとらえて解決策を考えることも重要であるが、 一歩視点を引いてみて、問題の枠組み自体を変更できないか、 考えてみることも重要。

問題の解決に集中しすぎると、 問題そのものについて考える余裕がなくなってしまう。 いま取り組んでいる問題は、 どのようなルールにしたがっているのか思いをめぐらせてみると、 そのルールを変えるにはどうしたらいいかが見えてくるかもしれない。

Filed under: 自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 13:26
2006年3月15日

メモを取ろう

人は誰しもすぐ忘れるもの。 なにかやりたいことがあっても、すぐ忘れる。 せっかく空き時間があっても、そのときはやりたいことを忘れている。 そのくせ、やりたいことはあるんだけど、時間がない、などと言う。

ほんの一行、いや一単語だけでもメモに書いておけば、 たいていの場合、そのとき何を考えていたか、思い出せる。 その一単語を、空き時間ができたときに膨らませていけば、 チリも積もればなんとやらで、一つの成果となる。

この blog も、そんなメモのつもりで書いていきます。 で、空き時間をつかって内容を膨らませていき、 近日オープン予定の blog ページで公開する予定。

4/5追記: 仙石浩明CTO の日記をオープンしました。

Filed under: 自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 19:43
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