仙石浩明の日記

その他

2006年5月18日

休暇でサンフランシスコへ行きます

明日から休暇です。 ここ 10年ほど、年2回のペースで、休暇をとって海外に行っています。 この 10年間の間に(株)ケイ・ラボラトリー (当時の社名) の設立があったり、 その他もろもろ超忙しい時期もあったのですが、 この年2回の休暇だけは欠かさず続けられています。 周囲の方々の理解があればこそと、感謝しております (_O_)。

今回はサンフランシスコに行きます。 ちょうど 6年前、ケイ・ラボラトリー設立直前に、 JavaOne に行くためにサンフランシスコへ行ったので、 それ以来のサンフランシスコです。 当時書いた日経Linux の連載の注釈から引用:

おまけに,この原稿の締め切り直前に海外出張の予定が入っています。 これは飛行機の中で書けっていうことでしょうか。 幸い,ビジネス・クラスなので, (その気になれば)原稿の1本や2本,余裕で書けることでしょう... と思っていたら飛行機がやたらに揺れて, 原稿を書いていると酔いそうになったので, 早々にノートPCの電源を切って寝てしまいました。

今回は休暇なので JavaOne のことは全く念頭になかったのですが、 ナニゲなくJavaOne のページを 見ると、今年は 5/16 ~ 5/19 なのですね。 明日 5/19 出発すると、到着するのは (日付変更線を越えるので前日になるから) 5/19 の朝になり、JavaOne を見に行けてしまうようです (もちろん行きませんが ^^;)。

Filed under: その他 — hiroaki_sengoku @ 08:32
2006年5月14日

「迷惑メール」を「有害メール」と呼ぶべきか?

「頼んでもいないのに送られてくる厄介で迷惑なメール」を、 なぜ「スパム」や「有害メール」でなく、 「迷惑メール」と呼ぶのか、 今のスパムは「迷惑」という域を越えているのではないか、 という趣旨の問題提起を、 (株)サードウェア社長の久保様が 「オープンソースでいこう」で 書かれました。 コメントを書いていたら長くなりそうだったので、 トラックバックの形で書かせて頂きます。

スパムというのは、もとはといえば NetNews の迷惑な記事に対して使われた用語です。 このあたりの話は、 日経Linuxに連載した拙文でも解説しております。 歴史上初めて大問題となったスパムも引用しておりますので、 参考にしていただければ幸いです。

で、迷惑メールのことをスパムと呼ぶ人が現れ始めてきたころから、 私は「スパムってのは NetNews の記事についての用語であって、 メールについてスパムと呼ぶのは誤用だ」という主張も込めて、 「迷惑メール」と呼ぶようにしていました。 その後、迷惑メールという呼び方が広まったので 変な用語が広まらなくてよかった、と感じたのを覚えています。

なので、私は「スパム」と呼ぶより「迷惑メール」と呼ぶほうが適切と 思っております。 「頼んでもいないのに送られてくる厄介で迷惑なメール」は、 UBE とか UCE とか呼ばれていますし、 「フィッシング(詐欺)メール」については、 そのまま「詐欺メール」と呼ぶのが適切だと思います。 また、「メールボックスを埋めつくすほど届く」メールは、 メール爆弾と呼ばれていますね。

久保様曰く:

「迷惑」という語感が気になっているわけなんですが、 このことについて仙石様はじめ皆様はどう感じておられるのでしょうか。 我慢してやりすごせばいい、というニュアンスではなく、 極力工夫して積極的に排除すべき対象、 ということを強く主張すべきだと思うので、 見直すべき時期なんじゃないかということなんです。

私としては、「迷惑」という言葉に、久保様がおっしゃるように、

「迷惑」だったら我慢してやりすごしておけばいい、というイメージがあります。 電車の中でわめく人に対する対応みたいな感じですね。

というイメージがあるからこそ、 「迷惑メール」という呼び方が適切だと思っています。 迷惑か否かは、あくまで受け手の主観、というイメージですね。 「有害メール」という名前を仮につけたとすると、 「誰が有害と判断し規制するのか」という問題が出てきてしまうと思います。

ご存知の通りインターネット全体の管理者はいません。 あるメールが迷惑か否かは、 そのメールを受け取る(あるいは送信する)各サイトの 組織の判断にゆだねられるべきであって、 第三者がとやかく言うべき問題ではないと思うのです。 気軽に「有害」と言ってしまうと、 暗黙のうちに「有害認定し規制する」権威を認めることになりかねない、 という危うさを感じます。 条例で定められている「有害図書」の場合と比較してみるといいかもしれません。

もちろん、ネットは現実社会の一部ですから、 ネットの外で犯罪であれば、ネットの中でも犯罪です。 だから法律に照らし合わせて「詐欺」に該当するなら 「詐欺メール」と呼ぶべきですし、 その他の犯罪に該当する場合も同様でしょう。 ただし、犯罪か否かを判断する際に拡大解釈は許されませんから、 犯罪と認定するだけの十分な法的根拠が必ず必要だと思います。 「有害図書」の場合は、 「青少年の人格形成に有害である可能性がある」という趣旨の定義が 各都道府県の条例で定められていますね。

Filed under: その他 — hiroaki_sengoku @ 08:01
2006年5月9日

出版社のWebページへ寄稿する理由とは?

出版社のWebページへ寄稿する理由って何だろう?
出版社のWebサイトには、著名人が執筆したコラムが多数掲載されている。

出版社にとっては、 サイトを充実させることによって 来訪者が増えるというメリットがあるのは分かる。 雑誌と違って流通コストがかからないから、 紙面の制限もないわけで、 こうしたコラムは多ければ多いほど好ましいに違いない。

しかし、執筆する側のメリットがよく分からない。 誰でも低コストで自分が書いた文章をネットへ発信できるし、 内容さえマトモであれば、 それがどこにあろうとあまり関係ないように思われる。 まして著名人が書くコラムであれば、 どこに置いたとしても すぐ広まるし、 大勢の人に読んでもらえるだろう。

逆に、出版社のWebサイトに置いたとしても、 内容がなく、著者が無名の人であれば滅多に読まれないだろう。 そのサイトの登録会員にメール等で告知することによって 一時的に読者を増やすことができたとしても、 あくまで一時的であって、 内容が読むに値しなければすぐ忘れ去られるだろう。

つまりWebの場合は、重要なのは内容であって場所ではない。

一方、紙媒体には Webとは異なる読者層へ届けることができるというメリットがあるわけで、 紙媒体への寄稿には書く側にも十分な理由があると思う。 私自身、何年か前に雑誌の連載記事を書いたことがあるが、 原稿料はオマケと思えるくらいの大きなメリットがあったと思っている。

したがって、執筆する側にとっては、 Webと紙媒体は根本的に異なるものだと思う。 にもかかわらず、Webサイトへの寄稿の場合も、 雑誌等への寄稿と同様の扱いらしい。 つまり、文章量に応じた原稿料のみで、 ページビューに応じた支払いとかの制度は無い、 という説明を、某出版社の編集者のかたから受けた。

それならなぜ、Webサイトに寄稿する人がいるのだろう?
単に、私が書く駄文には価値がないから原稿料だけで我慢しろ、 ということ? (^^;)
実は私が知らされてないだけで、 Webページならではの報酬体系がある?
まあ、それならそれでかまわない ;-( ので、 原稿料以外のメリットとして、 どんなものがあるのか教えていただけると幸いである。

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Filed under: その他 — hiroaki_sengoku @ 19:57
2006年5月7日

ブログの読み手のためのタイトルと、書き手のためのタイトル

同時に考えよう (3)」で 「相手の気持ちになって考える」とはどういうことなのかを考えたのであるが、 そもそもこのタイトル自体が、 読み手のことを何も考えていないタイトルだったと反省することしきりである。

「同時に考えよう (3)」というタイトルは、 無意識の思考についての一連の考察のうちの一つという意味合いで使った。 後から読み直したときに、 関連する日記を見つけやすいように、 という書き手としての私の都合である。

この「GCD日記」は、 考えをまとめるための メモとしての位置づけで あるので、 書き手の都合を考えてもいいのかもしれないが、 100% メモであるなら公開したりせずにメモ帳に書けばいいわけであるし、 実際、そういう (非公開) メモを書いている。

そして、 「仙石浩明CTO の日記」のほうは、 考えをある程度まとめた上で公開に重きを置いた日記であるのだから、 読み手の都合だけを考えてタイトルを決めねばなるまい。

読み手のことを考えたタイトルとはどういうタイトルだろうか? 毎日ブログを読む人というと、 沢山のブログを斜め読みする、という人が大半であろう。 一つの日記を時間をかけて読んでもらえるとは限らないし、 まして何日分にもわたるシリーズ物を順番に熟読してもらえるのは、 よっぽどの愛読者だけだろう。

もちろん、そういう愛読者は大切であるし、 そうやって真剣に読んで頂けるのであれば大変ありがたいことであるが、 大多数の読者にそういう態度を期待するのは間違いであろう。 そうなると、タイトルだけである程度内容が判断できることが好ましい。 そのトピックに興味のない人には読み飛ばしてもらう一方で、 愛読者になる可能性のある「見込み客」の目は、 たとえ斜め読みしていたとしても捕らえられるような キャッチーなタイトルでなければならない。

そういう適切なタイトルを考えることは、 本文を書くより難しく時間もかかりそうな気がするが、 まずはできるレベルから始めてみようと思う。

Filed under: その他 — hiroaki_sengoku @ 14:03
2006年5月3日

昭和記念公園

五月連休ということで、今日は妻と一緒に昭和記念公園へ行ってきました。 自宅から近いということもあり、よく行く公園です。 自宅から南武線で立川駅まで行き、青梅線に乗り換えて一駅、 西立川駅で降りると、すぐ昭和記念公園の西立川口です。

ところが今日は青梅線に乗った段階でいつもと違う... いつになく混みあっています。 これはもしかしてみんな昭和記念公園? 悪い予感は的中し、 昭和記念公園の西立川口の前には人人人... おまけに入場券の券売機の前には長蛇の列が... ;-(

私も妻も大阪育ちなので、とても「いらち」です。 とてもじゃないけどこんな長蛇の列に並んで待つなんてことは不可能です。 残念ですが公園に入るのはあきらめることにしました。

ところが、今日は来る途中のスーパーで買った弁当を持ってきていました。 すぐ食べないと悪くなってしまいます。 どこかに食べるところはないかと、 公園の外周に沿って立川の方へ歩き始めました。 すると、自転車専用の入口がありました。 自転車で来た人はここから公園へ入れるようです。

ということは、もしかして入場券の券売機もある?

はやる心を抑えて入口のところまで行ってみると、 確かに券売機があって、別に自転車専用というわけでも無さそうです。 無事、入場券二枚を get ! しました。 西立川口に戻って、長蛇の列を尻目に公園に入ることができました!

昭和記念公園 ポピー花畑

アイスランドポピー満開の花畑の向こうに、 人で埋め尽された「みんなの原っぱ」が見えます。 11ヘクタールもある原っぱが、こんなに人だらけになるとは...

Filed under: その他 — hiroaki_sengoku @ 22:19
2006年4月25日

負け組の塔 vs 勝ち組の塔

一月の事件以来、すっかり影をひそめた 「勝ち組の塔」というキーワード。
六本木を遠くから眺めると、二本の塔が聳え立っている。

一方を「勝ち組の塔」
他方を「負け組の塔」

と呼んでみるのはどうだろうか。

Filed under: その他 — hiroaki_sengoku @ 11:59
2006年4月24日

ブログの縁

二日前にトラックバックを打った縁で、 やねうらお様とお会いしました。
ご足労頂きありがとうございました。> やねうらお様

同席した弊社社員は、

唐突な来社だったので、 本にサインしてもらう準備できてませんでした...orz

と嘆いております。(^^;)

この GCD日記は始めてからまだ一ヶ月ほどしかたっていませんが、 ブログの縁というのもあるんですね~。

Filed under: その他 — hiroaki_sengoku @ 19:56
2006年3月28日

ジェイムズ・P・ホーガン

昨日、「ガニメデの優しい巨人」の一節を引用したので、 帰宅してから思わず昔読んだ本を取り出して読み出してしまった。

「わたしは、偶然の一致というのを信じない」

という言葉を 44ページ目に発見。20年以上前に読んだ本なのだが、 当時何度も繰り返し読んだので、 いまでも細部の言い回しなどがどんどん思い起こされる。 原著で読んだこともあるのだが、 日本語訳をほとんどそらで語れるほどだったので、 英語で読んでもスラスラ読めた。ちなみに上記セリフは、原著では

“I don't believe in coincidences,”

となっている。英語だと言い回しのバリエーションがないのだろうか、 誰の発言でも全く同じセンテンスになってしまう。 ジェイムズ・P・ホーガンといえば、真っ先に思い出すのが次の一節:

太陽の連続的な高度低下に伴った大気による短波長の顕著な散乱は、六百五十ナノメートル以下の選択的伝達をもたらし、家畜化した羊類を飼う素朴な牧夫たちの心に非合理的な陶酔感の傾向を生み出す

原著では、

Pronounced atmospheric scattering of shorter wavelengths, resulting in selective transmission below 650 nanometers with progressively reducing solar elevation, produces a tendency toward irrational euphoria among primitive herders of domesticated ovines.
Filed under: その他 — hiroaki_sengoku @ 07:02
2006年3月9日

テスト

まずは、テストから...

This is a test article, sorry.

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Filed under: その他 — hiroaki_sengoku @ 17:32
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