仙石浩明の日記

元CTO の日記

2018年3月8日

配当金領収証の上限は 100万円、複数枚でも簡易書留で送付できるらしい 〜 祝 KLab(株) 初配当 (特別配当 9円) 〜

株式の配当金って、 (特に手続きしなければ) 郵便為替 (正確に言うと、 株式会社ゆうちょ銀行が発行する配当金領収証) を利用することがほとんどだと思いますが、 金額が大きくなっても郵便為替を使うのかなぁ? と日頃からギモンに思っていました。

「領収証」って名称ですが、為替証書の一種です。 株主届出印を押印して郵便局へ持っていくと換金できます (身分証明書の提示が必要)。

そんなある日、 KLab株式会社から 「定時株主総会招集ご通知」 と題する簡易書留郵便が届きました。

「ご通知」 を簡易書留で?
不審に思いつつ受け取って開封すると...
3枚の配当金領収証が出てきました。(@_@)

KLab Dividend

「配当金領収証」の上限って 100万円なんですね、初めて知りました。 配当金の額面は 255万円余り (税引き前は 320万円余り) なのに、 簡易書留 (5万円が上限) で送れるとは、 ちょっとビックリ。

送金できる金額は、 配当金領収証1通につき100万円までです。 100万円を超える送金は、 配当金領収証を発行することで行えますが、 追加する配当金領収証の枚数に応じた料金がかかります。

もっと金額が大きくなると、どうなるんだろう?

その企業の役職員の場合や、法人株主宛の場合は、 さすがに郵便為替ということはないと思うのですが、 個人株主宛の場合は、 どんなに高額でも (事前に手続きしない限り) 郵便為替を使うんですかねぇ?

- o -

18年前の 2000年7月末、 (株)ケイ・ラボラトリー (当時の社名) への出資金として 300万円を振り込みました。

シティバンク銀行 (現 SMBC信託銀行PRESTIA) 虎ノ門支店で、 虎の子の 300万円をおろしたものの、 目と鼻の先にある東京三菱銀行 (現 三菱東京UFJ銀行) 虎ノ門支店まで現金を持っていくのが怖くて (引ったくりに遭ったらどうしよう?)、 840円もの振込手数料を払って振り込んだのが思い出されます。

Citibank JPY3M

1年後にどうなってるか分からない会社 (実際、かなり危うい時期が何度かありました) にポンと 300万円もの大金を投じた当時の私 (← 株式会社日立製作所から転職したばかりの 33歳でお金持ってません) もビックリですが、 それから 18年たって、 出資した額以上の配当金 (税引き前 320万円余り) を出せる会社に成長したのもビックリです。

今回の配当金の総額は 3億3500万円だそうですが、 創業当時の資本金が 3億円でした。

正確に言うと創業時の私の出資分に対する今回の配当金は 162万円 (税引き後は 129万円ほど) です。 創業時 1株 5万円だったので、 私が出資した 300万円は 60株になったのですが、 2004年10月30日に 1株が 2株に分割、 2011年4月21日に 1株が 300株に分割、 2012年1月31日に 1株が 5株に分割しました。 つまり、 創業時の 1株が 3000株になったので、 私の 60株は現在の 18万株になったわけです。 今回の特別配当は 1株あたり 9円ですから、 9円 * 18万株=162万円ですね。

もっとも、 創業当時とは全く異なる事業の会社になってしまいましたが、 全く異なる会社に脱皮できたからこそ今の成長があるのでしょう。

初の配当おめでとうございます。 そして、 ありがとうございました。 株主の一人として、また創業者の一人として御礼申し上げます。

Filed under: 元CTO の日記 — hiroaki_sengoku @ 23:04
2015年11月24日

自分戦略 〜 なぜ成功できないのか? hatena_b

昨年に続き、 今年も立命館大学で 2, 3回生の学生さん達に講義する機会を頂きました。 就職を目前にした学生さんが自分の進路を考えるにあたって、 社会人の話を聞いて参考にしようという趣旨のカリキュラムのようです。 私は 8人目、 ちょうど真ん中あたりだそうです。

「社会人の話」 というと実際にどのような仕事をしているかとかの、 会社視点の話が多くなりがちだと思いますし、 学生さん達もそういう話を期待していると思うのですが、 あいにく私は現在は働いていません (^^;)。 会社を辞めたのは 2011年ですが、 それまでの 11年間も取締役だったので、 いわゆるサラリーマン的な働きかたをしていたのは 15年以上も昔 (前世紀!) の話で、 すでに忘却の彼方です。

こんな状況で仕事の話はできるわけはなく、 ならばいっそと、 会社視点の話はヤメにして会社と対峙する一個人の視点からお話ししました。 会社で研究者・技術者としてバリバリ専門的な仕事をしている人たちの話とは毛色が違いすぎて、 戸惑っている学生さん達も多かったようですが (40代で働いていない、 というのは学生さんにとってそれなりのインパクトがあるようです)、 学生さん達がこれからの人生を考える上で多少なりとも参考になれば幸いです。

これから社会人になろうとする学生さん達がまずやるのは 「自分探し」 「自己分析」 で、 さらに自分のこれからの人生を切り拓くための戦略を考えたりするそうです。 「自分戦略」 をググると、 「自分のやりたいことを明確にし、それを実現するための手段を練ること」 などと出てきます。

私が学生の時、 自己分析したり戦略を練ったりしてたかなぁ? ぜんぜん思い出せません。 コンピュータにのめり込んでコンピュータを自作してしまったり、 授業そっちのけでソフトウェア開発のアルバイトに没頭したりした記憶はあるのですが、 将来のことなど考えたことは無かったように思います。

私が新卒で就職したのはバブル崩壊真っ只中の 1992年です。 就職氷河期 (1993年〜) に入る直前にギリギリ滑り込みました。 その後の世代と比べれば恵まれた時代だったのでしょう。 とはいえ、 就職でラクをしたぶん昨今ではバブル世代と揶揄されて、 厳しい社会人生活を余儀なくされている人も多いようですが。

そんな中で私が今でもラクできているのは何故なのか? 振り返ってみると、 将来のことを考えなかった割に、 実はとても 「戦略的」 な人生を歩んできたように思います。 「結果論」 とか 「後講釈」 のように見えるかもしれませんが (^^;)、 私の実例を 「単に運が良かっただけ」 と切り捨てるか、 「自分戦略」 として参考にすべき点があるか、 判断は読者のみなさんにお任せします。

私と違って、 いまの学生さん達は 「自己分析」 とかに余念がなく、 それはとても結構なことだと思うのですが、 「自分のやりたいこと」 ってそんなに明確ですか? 「なりたい自分」 と 「やりたいこと」 を混同してませんか? 私にとって 「研究者」 は 「なりたい」 職業でしたが、 研究は 「やりたいこと」 ではありませんでした。 (アルバイトの経験を除けば) まだ働いたこともないのに、 これからどんな仕事をしていきたいのか明確なはずはないと思うのです。 自己分析をすればするほど分からなくなる、 あたりが関の山じゃないでしょうか?

で、 実際の会社選びとなると、 (学生さん達の間で) 人気がある企業とか、 初任給 (or 平均給与) が高くて福利厚生がよい企業とか、 職場環境がよい企業とか、 ブラック企業は何としても避けなければとか、 「自分戦略」 というお題目とは裏腹に、 えらく近視眼的で、 自分の将来どころか数年先すら見通せていないのが現状ではないでしょうか?

自分戦略?

・ 「自分のやりたいことを明確にし、
   それを実現するための手段を練ること」
・ やりたいこと?
  - 将来も、やりたいことが変わらないのか?
  - 何が向いているかも定かでないのに
・ やりたいことをやって、その後は?
  - 体力が衰えて同じようには働けなくなる
・ とりあえず給料の高い会社へ就職
  - 福利厚生・職場環境がいいところ?
  - 社会貢献できるところ?
・ 将来どころか数年先すら見通せていない
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初任給が高くてもその後の昇給ペースが遅ければ意味がないし、 平均が高くても自分の給料が平均以下なら意味がないし、 平均が低くても自分の給料が高ければ問題無いわけです。 職場環境だって、 会社の中での立場が変われば変わってきます。 新卒入社一年目の社員から見れば快適な職場環境が中堅社員から見ると最悪だったり、 極端な話、 誰が自分の上司になるかで大きく変わることもあります。

そもそも、 現在の 「やりたいこと」 を一生続けたいですか? みなさんが今から 10年前、小学生だった時に 「やりたい」 と思っていたことが、 今でも 「やりたいこと」 なのか考えてみれば明らかでしょう。 今から 10年後には、 今とは全然違うことが 「やりたい」 と思っているかもしれません。

「やりたいこと」 を一生続ける?

・ やってみたら実際は違った
  - プログラミングじゃなくてニーズの汲み上げ
  - 経験を積むと嗜好は変わる / 体力は落ちる
・ そもそも幸せな人生とは?
  - ネガティブにならないこと
  - ネガティブの根本にはいつもお金の問題
  - お金の召使いになってはいけない
・ 年功序列の崩壊
  - 「やりたいこと」 だけでは老後破綻一直線
  - みんなが年金を頼ると国家破綻一直線
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それなら、 今 「やりたいこと」 よりも、 「やりたい」 ことを見つけた時に、 それを 「やれる」 自由度こそが重要ではないでしょうか?

社会人を何年もやっていれば、 予想できない偶発的なことがいろいろ起きます。 その中には自分のキャリアを大きく左右するような事象もあることでしょう。 その偶発的な事象を 「計画的に導くこと」 で、 自分のキャリアを良いものにしていこうという考え方が、 ジョン・D・クランボルツの 「計画的偶発性理論」 です。

成功者を見ると、 「あの人は運が良かった (だけ)」 と思ってしまい、 運に恵まれない自分は決して同じようにはなれないと、 諦めてしまう人が多いのだと思いますが、 運が良くてもその運を活かせなければ成功できません。 「運に恵まれない」 のではなく、 せっかく訪れたチャンスに気付いてないだけかもしれませんよ? 「チャンスは備えあるところに訪れる」 のです。

人生には分岐点が沢山あります。 たとえ八方塞がりに思えるドツボな状況に陥ってしまっていても、 その後の分岐点で最適な選択さえできれば、 ピンチが逆にチャンスになったりします。 ただしそれは、 分岐点に選択肢の幅が十分にあればの話です。

ところが大多数の人はこの 「選択肢」 を進んで捨ててしまいます。 「やりたいこと」 があっても、 いろいろ言い訳 (「時間がない」 「お金がない」 「自分の今の実力ではムリ」 等々...) して挑戦を躊躇います。 ぐずぐずしているうちに歳をとり、 選択肢がどんどん狭まっていくわけです。 なにごともやってみなきゃわからないと思うのですが、 やるまえから 「どうせダメに決まってる」 と諦めてしまっていては選択肢は広がらず、 成功を遠ざけてしまいます

また、 実際やってみてダメだったとしても、 果敢に挑戦することによって新たな選択肢が現れてきます。 まさに失敗は成功の元ですね。 「運が良い人」 というのはそうやって 「運を引き寄せる」 のです。

(戦略1)
選択肢を減らさない

・ 「自分のやりたいこと」 って明確じゃない
  - 「自分探し」 は時間の無駄
  - いろいろ学ぶと興味が持てることが変わってくる
  - やりたいことは手当たり次第やってみるべき
・ リスクを取らないリスク
  - 「みんなと同じ」 はリスク最大
  - 歳をとるごと選択肢は容赦なく減っていく
・ 別の道へ変更する選択肢は残しておく
  - 最悪の事態を常に想定する
・ 計画的偶発性理論
  - チャンスは備えあるところに訪れる
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選択肢を減らさないようにして (戦略1) 運を引き寄せることができたら、 次に必要になるのが運を活かす能力です。 多くの業界において一番重要な能力は 「論理的に考える力」 でしょう。 ところが現代の学校教育は、 この 「考える力」 を伸ばす点においてあまり有効ではないようです。

より正確に言うと、 考える材料をたくさん提供している点においては有効なのですが、 それはあくまで元々考える習慣を持っていた学生さんに対してのみ言えることであって、 義務教育の課程で考える習慣を身につけることができなかった学生さんは、 高等教育において、 ますます考えなくなってしまうという悪循環に陥っています。

極めつけは、 会社選びで 「自分の気持ちを大切に」 などと言う人ですね。 自分の将来という一番合理的に考えなければならない時に、 それも高等教育をちゃんと受けた人が、 「自分の気持ち」 すなわち感情を優先するなんてアリエナイと思うのですが、 いったん考えなくなってしまった人たちは、 自分の気持ちに従うことをオカシイとは思えなくなってしまうようです。

誰でも (どんなに地頭のいい人でも) 一人では考える力を伸ばすことはできません。 なぜなら 「考えたつもり」 に陥って、 そこで思考停止してしまうからです。 自分の考えを他人に話したり書いたりして、 他人から何らかの反応 (批判とか) を受け取って初めて考えるきっかけが生まれるのです。 自分の考えを文章にしてみるだけでも、 自分がどのくらい考えているか (あるいは考えていないか) 分かる場合もあるでしょう。

たとえば、 「答がある問題を解いているだけでは考える力を伸ばせない」 と言ったりしますが、 なぜ 「答がある問題」 じゃダメなのか考えたことはありますか? 「現実の社会は答が無い問題ばかりだから」 という説明で満足してしまっていたとしたら要注意です。 現実社会の問題に答が無いからと言って、 答がある問題を解く練習が役に立たないことにはならないですよね? 中途半端な説明で満足してしまっているのは、 「分かったつもり」 そのものです。

だから、 授業を聞いているだけではダメなんです。 分かっているつもりで聞いていても、 いざそれを自分の言葉で表現しようとしたら、 ぜんぜん言葉が出てこないなんてことがよくあります。 学校教育で考える力が伸びない理由がここにあります (もともと考える力があった人は教えなくても伸びるのでここでは除外して考えます)。 言いたいことがあれば先生の話を遮ってでも発言し、 自分が 「考えたつもり」 に陥っていないか常に確認する必要があります。

幸い、何を言っても許されるのが学生の特権です。 社会人だとキャリアに終止符を打ってしまいかねない発言すら、 学生なら 「若いから」 ということで許されてしまいます。 どうかこの特権をフルに活用して、 「自分の考えを発言する」 習慣を、 学生のうちに身につけてください

はじめに

・ ぜひ、この場でしかできないことを
  - 聞くだけなら、私のブログを読むだけで充分
・ 分からないことはすぐ質問
  - あとでググればいいやなどと思わないように
・ 言いたいことがあればすぐ発言
  - うまく言おうとしないこと
  - 最初は誰だって下手くそ。場数を踏んで上手くなる
・ 空気を読んではいけない
  - こんな発言したら浮く?とか考えていてはダメ
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ハワード・ガードナーの多重知能理論によれば、 人間は進化の過程で

  1. 言語的知能
  2. 論理数学的知能
  3. 音楽的知能
  4. 身体運動的知能
  5. 空間的知能
  6. 対人的知能
  7. 内省的知能
  8. 博物的知能

の8つの知能を発達させてきたとされます。

このうち、科学技術とりわけ IT 技術の進歩により 2, 4, 8 の知能はどんどん重要ではなくなりつつあります。 あと 10年ほどで大半の職業が消えるとか言われていますね。 また、現代社会においては (特定の職種を除けば) 3, 5 は、 さほど重要とは言えないでしょう。

残るは 1, 6, 7 ですが、 なかでも他の知能を伸ばすメタ知能ともいえる 「7. 内省的知能」 が一番重要でしょう。 すなわち、自分自身の 「心」 を理解してコントロールする能力です。 7 の能力を他者に対して発揮すれば 6 になりますし、 1 が重要なのは主に 6 のためですから、結局 7 が一番重要ということになります。

現代社会では何かというと 「自分の気持ち」 を重視する傾向 (自分の気持ち至上主義) がありますが、 自分の気持ちのままに生きれば、 内省する機会は失われてしまいます。 知能は繰り返し発揮することにより伸びるものですから、 内省する機会があまりなければ、 内省的知能が未発達のまま成長してしまうことになります。

(戦略2)
合理的に考える

・ 「お気持ち」 至上主義
  - 「いまのお気持ちは?」
  - 自分の気持ちを大切にしていてはダメ
・ もっと頭を使おう!
  - 使えば使うほど頭はよくなる
  - 授業を聞いているだけではダメ
・ 金融リテラシー = 「恐怖と欲望」 のコントロール
  - 内省的知能
失敗は成功の元
  - 成功できないのは 「失敗」 が少なすぎるから
  - リスクを負わなければ失敗も無い
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運を引き寄せ (戦略1)、 運を活かす能力を磨いたら (戦略2)、 最後に必要になるのが 「敵」 を知ることです。 これから社会に出ていく学生さんが、 当の社会のことを知らなければ出だしから躓くのは必至です。

残念なことに、ここでも学校教育はあまり有効ではありません。 先生がたは社会の矛盾点・問題点を追求することがお好きなようです。 もちろん批判的精神は重要ですし、 社会のあるべき姿を論じ、 学問の力で社会をよりよい形へ変革していくことは大学の使命とも言えるでしょう。

しかし学生さんはその 「社会」 の中でこれから生き抜かなければならないのです。 すでに 「エスタブリッシュメント」 な先生がたなら、 社会を批判しているだけでも周囲から一目おかれますが、 体制の後ろ楯もなく、 何の権力も持たない学生さんがいきなり社会を批判したって、 返り討ちに遭うだけです。 学生さんに今必要なのは、 理想社会の戯言ではなく、 現実の矛盾だらけ欠陥だらけの社会が実際にどう動いているか、 そして丸腰でそういう社会に飛込んで生き抜く方法です。

言うまでもなく現代社会は資本主義社会です。 お金の仕組みを知らずに社会に出ていくことは、 カモがネギをしょって出ていくようなものだと思うのですが、 どうして先生がたはそれを止めようとしないのでしょう? 特にウブな理系の学生さんは、 「優れた技術は高い給料で報われるべき」 などと考え、 社会に出ても自身の技術を磨くことばかりに夢中になってしまいます。 こういう勘違いは実に悲劇的だと思うのですが...

仮にも最高学府で学んでいる学生さん達が、 「努力は報われる」 などといったような素朴な労働観をいまだに持っていることに、 あらためて驚かされます。 製造業 (あるいは農林漁業) が産業の中心だった時代ならば、 労働者一人一人の 「努力」 が生産量の多寡に反映したこともあったでしょう。 労働者にとっても自らの努力の結果が目に見えるので、 努力の方向を間違えることはありません。 生産量が多い労働者の稼ぎが増えるのは合理的ですし、 周囲の納得感を得ることも難しくありません。

しかし今や企業の利益は数多くの労働者の連係プレーによって生み出されています。 技術者だけではお金にはなりません。 努力の結果がすぐに利益の増大という形で見えることは稀で、 あさっての方向の努力をしてしまうことも珍しくありません。 誰がどのくらい利益に貢献しているかなんて (合理的に) 測定することは不可能でしょう。 誰もが納得する利益配分なんて、 それこそ人月で測るくらいしか無いのが実状です。

努力の方向がズレていて残業ばかりしている (傍目には一生懸命努力しているように見える) 人と、 的確な判断のもと効率的に仕事を進めて短時間で仕事を終える (傍目にはあまり努力していないように見える) 人と、 どちらを評価すべきでしょうか? もちろん後者の方が会社に貢献しているのですが、 前者を冷遇すると納得感が失われて社内に不満が溜ります。

つまり、 資本主義が言うように、 給料は労働の対価ではなく、 単に労働力の再生産 (つまり労働者が次の日も納得して働いてくれること) に必要な 「コスト」 に過ぎません。 労働者の技術の優劣と、給料の高低との間に、直接の関係はありません。 もちろんモチベーション向上のために関連性を 「演出」 することはありますが、 結局のところ給料は多くの人が納得する 「相場感」 で決まってくるのです。 努力が報われないなんて、 そんな社会は間違っている!と思いたい気持ちは重々分かりますが、 実際の社会はそういう仕組みなのですから否定したところで始まりません。

努力を認めてもらいたければ、 「努力は報われるべきだ」 なんて受け身なことを言ってないで、 戦略的にアピールして昇給を勝ち取るべきです。 その際、 「労働力を売らない自由」 (後述) があると昇給交渉をより有利に進めることができるでしょう。

(戦略3)
(社会に出る前に) 社会を理解する

・ 学校では社会の問題点ばかりを学ぶ
  - 社会を変えようとする人ばかり量産している
  - 学問の力で社会を変革する、それは大事だけど…
・ 現実の社会=お金の仕組み
  - お金の仕組みを理解しないと搾取される人生に
  - 社会を知らない学生さんは 「カモネギ」
・ みんなの勘違い
  - 優れた技術には高い給料で報いるべき?
  - 給料は労働の対価ではない!
  - 搾取 ≠ ブラック企業
・ 労働分配率が上がっても消費へ回してしまう
  - 搾取され続け、一生 (嫌々) 働き続ける羽目に
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学生さんにとって、 とりわけ喫緊の課題は資本主義社会における 「搾取」 の構造です。 現代における 「搾取」 を正しく理解しない限り、 搾取の餌食になってしまいます。 社会を変革するどころか、 その遥か手前で力尽きてしまうことでしょう。

搾取というとすぐブラック企業を思い浮かべる人が多いと思いますが、 ブラックのレッテルを貼られた企業の業績があっと言う間に悪化したように、 給料を安く抑えようとする手法 (サービス残業とか名ばかり管理職とか) は現代社会においてはあまり賢いやり方とは言えません。 本当の、そして最も警戒すべきは、 搾取と気付かれないだけでなく、 むしろ進んで搾取されることを多くの人が望むような搾取です。

資本主義社会において労働者の立場が弱いのは、 自身の労働力を売らない自由が無い (辞めると生活できなくなる) からです。 通常の売買契約でも売り手が (安い価格でも) 売らざるを得ない (閉店時間間際の生鮮食料品売場とかが該当しますね) のであれば (足元を見られて) 損をするように、 労働力を売らないという選択肢が無ければ、 労働条件に不満があっても受け入れざるを得ません。

したがって、 半年くらいは働かなくても生活できる程度の貯金 (数百万円?) さえあれば、 労働者の立場は劇的に改善するはずです。 しかも、 昨今は給料を安く抑えようとすると、 すぐ 「ブラック」 のレッテルを貼られてしまいますから、 給料が生活費ギリギリということはあまり無く、 本来ならば貯金にまわす余裕があるはずです。

ところが、 給料が上がっても同じくらい支出も増えてしまってほとんど貯金できない、 という人がほとんどのようです。 給料半年分どころか、100万円の貯金すら無い人が多いとか。 いったい何にそんなにお金を使っているのでしょうか? 初任給が 300万円/年だった人が 400万円/年に昇給して、 何年たっても 100万円すら貯金できないというのは意味不明です。

お金をついつい使ってしまう人に是非考えてほしいのは、 資本主義の世の中では、 いかに消費者にお金を使ってもらうか必死に考えている人が大勢いるってことです。 ほとんど全ての場合において、 お金を使いたいと自発的に消費者が思っているのではなくて、 お金を使わせたいとあの手この手で誘惑している人がいて、 消費者はまんまとその策略に乗せられてしまっているだけなのです。

お金を使う決断をする前に、 はたしてその金額が自分の身の丈に合っているか考えてみるべきでしょう。 給料が少なかったときはお金を使わずに我慢できていたことであれば、 それは決して必需品ではありませんよね? 知能が先天的なものか後天的なものか本当のところはよく分かりませんが、 たとえ先天的なものが支配的であったとしても、 マシュマロを我慢する自制心は鍛えるべきだと思います。 「子どもでも大人でも自制心を育むことは可能」なのですから。

支出を増やしてしまうこと以上に問題なのが借金することです。 年収の 5倍もの借金をかかえて、 借金を返すためだけに働いているような人もたくさんいます。 まさに銀行の 「奴隷」 ですね。 なぜ身の丈を大きく超えるような金額の住宅を買わせようとするのでしょうか? 言うまでもなく巨額のローンを組ませて銀行が儲けるためです。

労働者が生み出した剰余価値を奪うことによって、 労働者を労働者階級に固定化することを搾取と定義するなら、 こうした貯金させない社会の仕組みこそが現代の搾取と呼ぶにふさわしいと思います。

(戦略3)
お金の仕組み

・ 給料とは労働力の再生産のためのコスト
  - 「努力は報われる」 はプロパガンダ
  - 報われるのはリスクを負った人のみ
・ 生産者になる前に一人前の消費者に
  - 小学生のころから消費の仕方を学ぶ
  - 時給アルバイトは時間の切り売り。生産ではない
・ 消費の誘惑に満ち満ちている = 搾取の構造
  - なぜ銀行は住宅ローンを勧めるのか?
  - なぜ保険会社は保険を勧めるのか?
・ 資本主義=労働者から生産手段を分離
  - 生産手段 (知能) を取り戻せ!
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以上 3点が、 私が意識せずに実践していた 「自分戦略」 です。 意識していなかったくらいですから大したこととは思っていなかったのですが、 ネット時代になって貯蓄額の世帯分布などを手軽に参照できるようになった昨今、 私と同じくらいの給料をもらっていたはずの人たちにおいても、 大した貯金があるわけではないことを知り、 驚いている次第です。

最初の 100万円を貯めるだけでも労働者としての立場は格段に向上するわけで、 強くなった立場を背景に給料交渉を有利に進めて自身の労働力の価格をつり上げ、 加速度的に貯蓄額を増やしていけば、 労働者階級を脱出する (= 働かなくても当面の生活には困らないし、 やりたい仕事を選べる) ことも現実的な目標となるはずです。 それなのに、 なぜ大多数の人が同様の戦略をとることができないのでしょうか?

「戦略1」 (選択肢を減らさない) は、 自分の適性を知るための戦略です。 世の中は 「自己分析」 が流行りですが、 ちゃんとしたコンサルタントとかに相談するならともかく、 素人の学生さんが一人でやってマトモな分析ができるはずはありませんよね?

「自分のことは自分が一番分かっている」 という思い込みが、 「戦略1」 を実践する障害になっているのではないでしょうか? 実際は、 自己評価より他人からの評価のほうが正しかったりするわけです。 こと自分のことになると、 心理的な防衛本能が働いて真実の姿が見えにくくなります。 自分のことを知るには、 あれこれ考えるより、 やりたいと思うことを実地にやってみるべきです。 とことんやってみれば自分の能力の限界がどのあたりにあるかも、 見えてくることでしょう。

「戦略2」 (合理的に考える) は、 自分の知能を向上させるための戦略です。 小学校から大学まで 16年 (大学院までいけば 18年も!) 学ぶのに、 考える機会がほとんど無いことに驚かされます。 学んでばかりいるから考える機会が失われているのかもしれません。 まさに 「学びて思わざれば則ち罔し」 ですね。

「考える」 という言葉は誰もが気軽に使いますが、 実際のところどこまで考えているでしょうか? ほとんどの場合、 考えているのではなくて悩んでいるだけだったりします。 自分の考えを主張している時ですら、 他の人の意見の受け売りに過ぎなかったりしますし、 そもそも 「自分の考え」 を表明する機会ってほとんど無いように思います。 facebook だって、 「今どんな気持ち?」 ですし。 ふつーに生活している限り、 気持ちを聞かれることはあっても、 考えを聞かれることは皆無ではないでしょうか?

映画 「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」 で、 「あなたの本当のお気持ちは?」 と聞かれたときのサッチャーの答がふるってます:

なに
私の気持ちってどういうことかしら
最近は考えより気持ちね
どんな気持ち
なんだか気持ち悪いわ
すみません我々の気持ちとしては
これは今の時代の大きな問題ですよ
人々は感情にばかり左右されて
考えやアイディアなんかはどうでもよくなって
本当に面白いのは
考えとかアイディアなのに
私が何を考えているか聞いて

このあと、 例の有名な 「自分の考えが言葉になる、言葉が行動になる、行動が...」 が続くのですが、 そこでは 「考え」 と 「気持ち」 が混同されていて、 私は何だか気持ち悪く感じます。 前段 (上記引用部分) と 後段 (自分の考えが言葉になる...) は、 同じ人の言葉とは思えません。 まあ、後段は 「父の口癖だった」 のかもしれませんが。

斯くして考える習慣がある人はどんどん知能を向上させていき、 習慣が無い人はどんどん差を付けられていく、 という二極化が進んでしまっているのでしょう。 経済的な格差ばかり注目される昨今ですが、 本当の格差は 「知能」 の格差であって、 経済的な格差はその派生物に過ぎません。

そして 「戦略3」 (社会を理解する) は、 金融リテラシーを身につけるための戦略です。 社会に関する誤った常識が、 社会の本質を理解する妨げになります。 お金を使わせたいと誘惑する側が、 誤った知識を広めようとしているのも、 妨げになっていますね。

誤った知識とは、 例えば 「賃貸より購入の方が良い」 といったようなものです。 その 「知識」 を広めようとしている人 (マンション開発業者とか不動産屋とか銀行とか) が、 その知識が広まることで利益を得ているならば疑ってかかるべきでしょう。 「毎月家賃を払い続けても永遠に家は自分のものにならないが、 ローンなら完済すれば家が自分のものになる」 などと言われて騙されてしまう人が沢山います。

家賃を払う人には安い家に引っ越して負担を減らす自由がありますが、 ローンを抱えている人には負担を軽減する自由はありません。 つまり選択肢を減らしてしまっているわけです。 したがって、 「購入 VS 賃貸」 という比較はナンセンスです。

「戦略3」 を実践する最大の障害が、 お金にまつわる感情です。 ほとんどの人が、 「お金がなくなる恐怖」 と 「お金がもっと欲しいという欲望」 の二つの感情に支配されていて、 お金について合理的に考える余裕が無くなっています。 これでは金融リテラシーを身につけることはできません。

「お金になんか興味はない」 「仕事が好きだから働いているんだ」 と言う人もいますが、 そういう人は今の仕事が好きでなくなったら、 働くのを辞めるのでしょうか? 辞めても生活に不自由しないのであれば問題ありませんが、 多くの人はそうではないはずです。 つまり 「興味がない」のではなくて、 お金について本当は考えなければならないのに、 それを直視できていないだけです。 心理学で言うところの 「否認」 ですね。 「仕事が好きだから働いているんだ」 は 「合理化」 (防衛機制の一つ) でしょう。

なぜ戦略的に動けないか?

・ 戦略1 ⇒ 自分の適性を知る
  - 自分のことは (他人のことより) 知るのが困難
  - 心理的な防衛機制が働く
・ 戦略2 ⇒ 論理的に考える力を鍛える
  - 直観や気持ちを優先してしまう
  - 自分の考えを発表する機会が皆無
・ 戦略3 ⇒ 社会の本質を見抜く
  - 「常識」 に囚われてしまう
  - 大人たちが 「カモネギ」 を狙ってる
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以上のように、 この 3点の戦略には、 それぞれ実践を難しくしている要因がありそうです。 ではなぜ私は実践できたのか?

やりたいことは先送りにせず、 とことんやってみる性格だったのが大きいように思います。 当時は計画的偶発性理論など知らなかったのですが、 何かやりたいと思うより先に行動していました。 やりたいと意識しないうちに、 気が付くと既にやっているみたいな感じで。 また、 知らないことを見つけるとすぐ首を突っ込んでいました。 コンピュータ分野に限らず、 数学、物理学、哲学、社会学、果てはテニスに至るまで、 自分に向いてるかどうかなんて考えずに、 やれるところまでやってみる、 ということを繰り返していました。 戦略1 (選択肢を減らさない) ですね。

中学校 (1979年) の部活動でマイコン部 (当時 PC は 「マイコン」 と呼ばれていました) に入ったのですが、 そのオリエンテーションで BASICっていう言語を使ってプログラミングをするという話を聞いて、 その日のうちに都心の一番大きい本屋へ出かけていって、 当時一冊しかなかった BASIC の入門書 「BASICで広がる世界」 (CQ出版社, 1979年発行) を買って一気に読み、 次の日にはもうプログラムを書き始めていたほどです。

子供のころから好奇心旺盛だった私ですが、 実を言うと考えることは不得手でした。 小学生の時はよく 「分かったつもり」 に陥っていました。 学校のテストで答案によくデタラメを書いたものです。 しかもデタラメを書いているという意識はなく、 自分は分かっていると思い込んで、 正しい答を書いているつもりだったのです。 中学一年生のとき数学のテストで赤点 (30点未満) をとったこともあります。

ところが中学生になって、 とても優秀な同級生が現れたのです。 彼は、一を聞けば十を理解する。 あまりに早く 「分かった」 というので、 信じられずに残りの九を説明しようとすると、 先回りして答えられてしまったほど。 そんな彼が 「分からない」 を連発する。 つまり 「分かった」 と言うのも早いが、 「分からない」 と言うのもとても早かったのです。

そんな彼を見て、 私は 「分からない」 と言えるのはカッコイイことなんだと思うようになりました。 なんとかして自分も、 「分からない」 と言えるようになりたい、 と思ったのでした。 いま思えば、 これが私の人生の転機だったのかもしれません。 戦略2 (合理的に考える) ですね。

以来、 考えるのが好きになり、 大学受験に失敗したのをいいことに、 浪人中の一年間に弁証法とか資本論とかの難しそうな本 (といっても初学者向けの教科書ですが) を手当たり次第に読みまくりました。 難しそうなテーマであればあるほどチャレンジしたくなったのです。 これが資本主義についてもっと知りたいと思うきっかけになりました。 戦略3 (社会を理解する) ですね。 実はこの時、 人文系の本を読みすぎたせいで、 文系へ転向しようかと思ったほどです。 プログラミングの方が好きだったので思い止まり、 結局一年目と同じ情報工学科を再び受験したのですが。

今から思うと、 お金を稼ぐ前に社会の勉強を始めたのは幸いでした。 浪人中はお金が無かったので、 消費したいという欲求が全く起きなかったし、 資本主義について学び始めた後は、 「搾取の構造」 を理解したので消費の誘惑に負けなくなったのです。 収入が増えても消費は増えなかったので、 収入の増分を丸々貯金することができました。 もし現役で大学に合格していたら、 順序が逆になって、 勉強を始める前にアルバイトでお金を手にして、 搾取の罠にはまっていたかもしれません。

いっぽう、 大学生のときパソコン通信や JUNET を知って (1989年)、 これを駆使すれば個人でも有名になれると思ってからは、 どうやって自分を売り込めばいいか考えるようになりました。 企業にとってブランドが最重要であるように、 個人にとってもブランドが資産になると考えたのです。 合理的に考えれば当たり前のことですよね。

もちろん最初は何をすれば自分を売り込めるのか見当もつかなかったのですが、 いろいろ試行錯誤しているうちに、 それなりに注目を集めることもできるようになり、 初めて書いたオープンソース・ソフトウェアである stone は、 そこそこ有名になりました。 私は 「stone の開発者」 として多くのかたに覚えていただけるようになったのです。 stone は私にとって最大の 「資産」 (収入をもたらす源) と言っても過言ではないでしょう。 無料で配布しているソフトウェアが最大の資産ってのが面白いですね。

浪人生の時に資本論をかじったこともあって、 大学生になってアルバイトで数十万円の貯金ができると、 すぐ株の売買を始めました (当時はオンライン取引というとファミコン・トレードだけで、 電話をかけて口頭で売買注文を出したり、 証券会社の窓口で注文したりしていました)。 当時 NTT が株式を公開 (1987年2月9日) したり、 ブラック・マンデー (1987年10月19日) が起ったりと、 世間的に株が注目を集めていたのも、 株の売買を始めようと思ったきっかけの一つだったのでしょう。

もちろん単位株での売買で大した金額ではなかったのですが、 学生にとっては大金です。 損を出すまいと必死になって経済の勉強をしました。 「お金がなくなる恐怖」 が勉強の原動力になったのです。 経済に対する理解が深まれば会社の経営に興味が湧いてくるのは必然で、 2000年に KLab(株) (設立当時の社名は (株)ケイ・ラボラトリー) 会社設立の計画を聞いたとき、 迷わず飛び付きました。

仮に起業が頓挫しても数年くらいは生活に困らない程度の貯金がありましたし、 当時も技術者は不足していましたから、 ここがダメでも再チャレンジの余地は充分あるだろうと思っていたので、 大企業の正社員という安定した 「地位」 を捨ててベンチャーに飛込むことに、 何の躊躇いもありませんでした。 まさに、 備えがあったからこそチャンスが訪れたのです。

私の自分戦略

・ やりたいことは先送りにせず、とことんやってみる
  - 中学1年の時以来、パソコンにのめり込む
  - 大学に入ってパソコンを 「自作」
  - 大学院生の時、個人事業主としてソフトウェア開発
  - 日立に就職後、本業そっちのけでネットインフラ整備
・ 自分ブランド
  - 大学で JUNET を知って (1989年) 以来、試行錯誤
  - stone の開発・発表 (1995年~)
・ 金融リテラシー
  - 小学生の時から株に興味を持ち、大学生の時から売買
  - 「金持ち父さん 貧乏父さん」 (2000年)
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それはベンチャーと技術者との出会いでした。 それまでベンチャーを興そうという人と技術者とでは興味の対象が異なり、 両者の出会いはかなり稀な事象でした。 2000年当時は、 創業メンバに アイディアマン, 技術者, マーケッタ という多様な顔触れが揃うベンチャーは珍しかったのです。 この会社が現在に至るまで発展し続けているのは、 創業メンバの多様性にこそあったのだと思います。 この偶然の出会いを 「単に運が良かっただけ」 と思うか、 それとも 「戦略的に計画された偶発的事象」 ととらえるか、 判断は読者のみなさんにお任せします。

Filed under: 元CTO の日記,自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 09:36
2012年12月27日

成功しない方法 tweets

「なぜ成功できたか?」を聞きたがる人って多いですよね? でも、そんなこと聞いてどうするのでしょうか。仮に同じことが実践できたとしても、同じように成功できるとは誰も思っちゃいないですよね?

同じように成功するのは無理としても、成功者の話には何らかのヒントがあるんじゃないか?きっとそういうことを期待しているのだと思いますが、考えてみて欲しいのは、成功しなかった人の話は誰も聞こうとしない点。もしかしたら成功しなかった人も成功者と同じことをしていたかも知れません。いわゆる「生存者バイアス」ですね。

例えば、成功できた理由を聞かれて、「自分を信じて、あきらめずに続けたから」などと答えている人をよく見たり聞いたりしますが、こーいう話を真に受けて、素質がない人が自分を信じて突き進んだりしたら、成功確率が上がるどころか、撤退タイミングを逃してドツボにはまってしまうだけです。

まあ、私自身も、「やりたいことをやるのが一番」などと言っていた時期があるので大きなことは言えないのですが、「自分がやりたいことって何だろう?」などと悩み出す人をこれ以上増やさないためにも、ここでは逆に「成功しない方法」について書くことにします。ちなみに「成功しない=失敗」ではありません。失敗は成功の元ですから、むしろ大いに失敗すべきです。

「成功しない方法」を避けたところで成功する保証は何もありませんが、多くのエンジニアが残念なことにこの「成功しない方法」を忠実に実践し、その必然的な帰結として、どんどん成功から遠ざかってしまっています。近年、「エンジニア」という職種が報われない職種になってしまっている一つの原因が、このあたりにあると感じる次第です。

もちろん、いままさに「成功しない方法」を実践している人に対して、このままでは成功からどんどん遠ざかるぞと忠告したところで、そう簡単に方向転換はできないものだとは思いますが、もし、いま「このまま進んでいていいのだろうか?」と思っているなら、少しばかり耳を傾けて頂けると幸いです。

誌面が限られているので、いきなり結論からいきます。「成功しない方法」とは、「選択肢を減らすこと」です。

選択肢と言われてもピンとこないかもしれませんが、人生には分岐点が沢山あります。たとえ八方塞がりに思えるドツボな状況に陥ってしまっていても、その後の分岐点で最適な選択さえできれば、ピンチがチャンスになったりします。ただしそれは、分岐点に選択肢の幅が十分にあればの話です。選択肢が多ければ、リカバリのチャンスがあるということですね。

例えば、選択肢を減らす典型的な方法が、借金をすることです。多くの人が 20〜30年もの長期ローンを組んで家を買ったりしますが、転職したくなったりしたとき、毎月十数万円の返済は重い足枷となるでしょう。借金がなければ思い切って生活を変える選択ができたかもしれないのに、借金があるばっかりに渋々現状維持を続け、ついにはリストラの憂き目に、なんてのはよく聞く話です。

でも、借金よりもっと選択肢を減らす方法があります。それは、自分の気持ちを優先すること。よくいますよね、「これは自分の仕事じゃない」とか言う人 (>_<)。その仕事がどんな仕事か十分に知り尽くしていて、「その仕事をする」という選択肢を除外することが合理的であるなら構わないんですが、多くの人はどんな仕事か知りもしないくせに、「自分の気持ち」だけで判断してしまいます。もしかしたら、やったことがないその仕事に挑戦することが、自分の人生の一大転機になるかも知れないのに。

あるいは、「自分がやりたいことって何だろう?」などと悩む人がいます。「やりたいことを仕事にすべき」などと (私を含めて orz) 多くの人が言ってますが、誰だって最初からそれが「やりたいこと」だったわけではないんです。なにかのはずみに始めたことが、やってるうちに (少し) 好きになり、好きでやるからどんどん熟達し、他の人よりうまくできると余計に好きになり、という好循環にはまって「やりたいことが仕事になる」んです。つまり、最初は好きでなくても自分の気持ちを無視してやってみなきゃ選択肢は増えません。それなのに、悩んでるばかりで始めないから、だんだん歳をとって、やってみるチャンスすら失われてしまいます。

また、多くの人は批判するのが大好きです。昔は飲み屋で、いまだとブログや SNS で、「上司が悪い」「会社が悪い」「社会が悪い」「政治家が悪い」。なぜ人は批判するのでしょう?社会をよくするため?とんでもない、愚痴を言ったって社会は少しも変わりません。誰かを批判すると、その人より自分が偉くなったような気分になれるから、人は批判するのが大好きなのです。

でも、批判によってよくなるのは「自分の気持ち」だけで、自分自身は決してよくはなりません。なぜなら、誰しも成長するには他人から学ぶ他ないからです。でも、「彼はバカだ」と言ってしまったら、その「彼」からは学べません。選択肢がまた一つ減るわけですね。本当に学ぶことが一切無いようなバカなら学ばなくてもいいのですが、ほとんどの場合そうではないでしょう。本当は、学ぶところが一切無いような人に対しては、批判する気にもならないはずです。

自分の気持ちを優先して選択肢を減らす例はまだまだ沢山あるのですが、誌面が尽きたのでこの辺で... もしこの手の話に興味があれば、私のブログ (「仙石浩明」で検索!) を参照してください。

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以上は、 Software Design 誌に寄稿したエッセーです。 2013年1月号 第2特集 「キーパーソンに聞く 2013年に来そうな技術・ビジョンはこれだ!」 に掲載されました。 技術評論社さんの許可を得て、 全文を転載しています。

Filed under: 元CTO の日記,自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 10:20
2011年11月28日

生涯 「こだわらないエンジニア」 宣言 tweets

2011年11月28日の KLab(株) 株主総会 (上場前の株主名簿に基づく最後の総会) 終了後、 私は取締役CTO を退任いたしました。 今から遡ること 11年前 2000年8月1日の (株)ケイ・ラボラトリー (当時の KLab の社名) 創業以来、 会社経営については全く無知であった私が何とかここまでやってこれたのは、 ひとえに皆々様方のご指導ご鞭撻のおかげであったと深く感謝いたします。 誠にありがとうございます。 なお、 後任として安井真伸が CTO に就任しました。

11年前、 日立製作所の研究所勤務の一研究員だった私が、 なぜケイ・ラボラトリーの立ち上げに参加したかといえば、 未知のモノに関わるチャンスがあれば、 あまり後先考えずに飛び付いてみる性格だったというのが大きかったと思います。

中途半端に好きな状態で居るのではなく、 興味を持ったのなら、全力で取り組んでみる。 自分の能力がどれくらいのものかと、把握できるまでやってみる。 そして向いてない、止めると決めたらそれ以上は手を出さない。 それを繰り返すことで、本当に自分が好きなもの、 人並み以上の価値を生み出せるものを見つけ出し、 それを仕事にしていったのが仙石氏のキャリアなのだ。

日立では一人の部下も持っていなかった私が、 マネジメントの何たるかを全く理解しないままに、 当時規模は小さかったとはいえ、 エンジニア集団のトップとして責任を負う立場に立ったというのは、 チャレンジというよりは無謀であったかもしれません。

失敗も多かったのですが、 まがりなりにも 11年も続けられたということは、 「経営者」 が向いていたということなのでしょう。 それまで私は自分のことを 100% 技術者 (ちょっとだけ研究者) だと思っていたのに、 マネジメントもそれなりに向いていたというのは発見でした。 「ベンチャー立ち上げ」 というチャンスに後先考えずに飛び付いて本当に良かったと思います。

もちろん、 私がしでかした数多くの失敗で、 多くの方々にご迷惑をおかけしました。 私の未熟さゆえに厄災に遭われた方々 (が本ブログの読者である可能性は低いのですが) にはこの場をお借りしてお詫び申し上げます。

右も左も分からない手探り状態で CTO の仕事を始めて以来、 一貫して自分に課していたことがあります。 それは、 「部下に仕事を任せること」。 ケイ・ラボラトリーの黎明期は、 やるべきことが多すぎて、 それこそ猫の手も借りたい状態だったので、 「仕事を任せること」 を自分に課したというよりは、 手が回らないから結果的に任せた格好になっていただけなのですが、 経営陣の末席を汚しているうちに経営とは何であるか私なりに学ぶ機会もあり、 黎明期を脱した後も、 たとえ自分がやりたい仕事であっても、 部下でもできる仕事であれば敢えて手を出さず、 任せるようにしてきました。

部下を育てなければ会社がまわらないわけで、 「仕事を任せることが重要」 なんてことは誰でも知ってるし、 誰でも実践していることだと思いますが、 自分がやりたい仕事まで手放す、 ということになるとどうでしょうか?

2006年に、 こんなことを書いています:

積極的に今の仕事を捨てるべきでしょう。 部下 (or 後輩) が成長してきて、 自分の代わりがつとまるようになったら、 全てその部下に任せてしまい、 新しいことにチャレンジするわけです。 そうすれば部下も育つし、 自分を変えることができます。 運がよければ新たな成長フェーズに入れるかもしれません。

私は、 チャンスに巡り合ったときに躊躇なく飛び付けるように、 あるいは新しいチャンスに巡り合う確率を上げるために、 取組んでいた仕事がある程度まわるようになったら、 その仕事にはこだわらず、 むしろその仕事を手放して別のことに取組むようにしてきました。

手放した仕事の中で一番大きかったのは、 大学院と日立で計 11年間も続いていた研究者としての仕事だったわけですが、 もし、 ベンチャー立ち上げに参加するチャンスに巡り合ったとき、 研究者としての仕事にこだわってチャンスに飛び付くのを躊躇していたら、 CTO をやってみることもなかったかもしれません。 当時は研究こそ自分の 「やりたい仕事」 だと思っていたのですが、 それを敢えて手放したことで CTO としての仕事に巡り合えたのだと思います。

その CTO の仕事も 2008年の時点で丸 8年になり、 かつての部下が二人も役員に登り詰めるに至って、 そろそろ私が KLab で果たせる役割も終わりが近づいてきたと意識し始めました。 社内で、 ことあるごとに 「CTO を辞めるつもり」 と (誰も本気にしてくれませんでしたが) 言っていましたし、 社外でも公言していました:

KLab を設立してから、どんどん仕事を捨てて自分を変えている (ピーターの法則に陥らないように)。 部下が成長したらすべて任せてしまう。 すべての仕事を部下に振り終えたら、私は CTO をやめる予定。 早く育成しないと。

株式の上場が現実味を帯びてきた頃、 ボトルネックの一つが人事制度でした。 人事は私にとって全く未知のモノでしたから迷わず飛び付きました。 労働基準法を一から勉強したり、 人事マネージャ候補を 20人以上面接したり、 弁護士や社労士の先生方と連係したりと、 初めてのことばかりで失敗もあったのですが得難い経験をしました。 特に人事担当者を採用するための面接は、 技術者の面接とはまるで異質で、 大変勉強になりました。 とはいえ、 私は (予想通り) あまり人事向きではなかったので、 一年程度で人事の仕事は手放して後任に引き継ぎました。

そして無事上場を果たしたいま、 KLab の業績は絶好調です。 過去 11年間の KLab の歴史の中で最も好調な今だからこそ、 11年続いたこの仕事を捨てて自分を変える最適のタイミングだと判断しました。 未練がないと言えば嘘になりますが、 新しいチャンスに巡り合うために敢えて取締役を退任することを願い出た次第です。 私のワガママを快く受け入れてくださった、 真田社長をはじめとする取締役の方々に感謝いたします。

今後は、 まずは様々な人とお話しして、 どこかにチャンスが落ちていないか ;-) 探すつもりです。 私から連絡するかも知れませんが、 もしご関心があればご連絡頂ければ幸いです。 私は今まで何百人 (数えたことがないので正確な数は不明) もの人を面接してきましたが、 面接を受けたのは (新卒時を含めて) 数回程度しかないので、 他社がどんな面接をしているのか大変興味があります ;-)。

私は、 23歳からの 11年間を研究者として、 次の 11年間を経営者として全力で取組んできました。 私はまだ 45歳、 さらにもう 11年間くらいは何か別のことに全力で取組むことができるはずです。

ついでにいうと、 コンピュータに巡り合ったのが 12歳の時なので、 コンピュータを専ら趣味でいじってた期間も 11年間です。 そしてこの 33年間、 コンピュータに対する関心だけは変らず一貫しているので、 根底ではエンジニアが一番向いているということなのでしょう。

私がいままでやってきたことにこだわるつもりはありません。 11年前、 それまで研究者だった私が、 研究にこだわらずに無謀にもベンチャーの立ち上げに参加したからこそ、 今の私があるわけで、 これからも、 そして生涯、 こだわらずに未知への挑戦を続けていきたいと思います。

Filed under: 元CTO の日記,自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 15:59
2011年10月13日

ベンチャーが学校教育に求めること tweets

東北大学大学院の教壇に立ちました。 産学連係講義 「先端技術の基礎と実践」 という講義で、 毎週一人づつ企業から講師を招いて、 ソフトウェアや IT 技術の様々な側面について理論的、 あるいは実際的な観点から講義してもらう、 という趣旨でした。 講義題目の一覧を見ると、 私以外は、 (講義の趣旨から言って当然ですが) 技術的な内容ばかりで、 私の講義 「学生のうちに身につけて欲しい、たった一つの能力」 だけ浮きまくっていました (^^;。

本当にこんな内容で話していいのか (ある意味、大学院での教育方針にケンカを売るような内容ですので) と内心不安だったのですが、 少なくとも一部の学生さんには積極的に質問してもらえて、 1コマの授業時間だけでなく、 講義後のフリートークも時間いっぱいいっぱい使って、 学生さん達とお話しすることができました。 型破りな講義内容を快諾して頂いた先生方に深く感謝致します。

以下、 講義の内容です (実際の講義は脱線してしまったので、こんなに整っていませんが)。 囲み部分はスライドの内容です。

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おかげさまで KLab 株式会社は、先月 9月 27日に東証に上場しました

SAP (Social Application Provider) として上場するのは、 KLab が国内初だったこともあり注目を集めました。 SAP というのは、 GREE, モバゲー, mixi, ニコニコ動画などの SNS (Social Network Service) 上で遊べるアプリ (ソーシャルゲーム) を提供する会社のことです。 2009年に国内で初めて mixi が SNS プラットフォームをオープン化したのに合わせて KLab はソーシャルゲーム開発に舵を切り、 ソーシャルゲーム関連の売上が急拡大中です。 でも、 今日はソーシャルゲームの話はしません。 なぜか?

一つは、 明日が 2011年 8月期の決算発表で、 今うっかり先走って業績などを喋ってしまうと大変なことになるからですが、 もう一つは ↓

事業内容をみて就活するヤツ多すぎ (´・ω・`)

私は仕事柄、 就職活動中の学生さんとお話しする機会が多いのですが、 エンジニア志望なのに、 事業内容で会社を選ぼうとしている学生さんが多いことに違和感を覚えます。 みなさんは会社に入って事業をやりたいんでしょうか?

最初こそプログラマとして入社するけど、 あくまでそれは事業を理解する端緒としてであって、 なるべく早く開発を統括できるようになり、 事業を発展させることによって自らも成長し、 ゆくゆくは事業部長を目指し、 あわよくば社長も狙いたい、 ということであれば、 事業内容で会社を選ぶのも理解できます。

しかしながらエンジニア志望の学生さんの多くは、 事業部長を目指すというよりはもっと技術志向で、 専門性を活かした職種、 例えば技術コンサルタントやチーフアーキテクト、 あるいは 「技術者の社長」 であるところの CTO などをイメージしていたりします。 できればマネジメントはやりたくない、 開発の現場を離れたくない、 と考えている人も多いのではないでしょうか。

事業と技術、 どちらのキャリアを歩もうとするのか、 社会人としての最初の一歩を踏み出す前に、 もっと意識すべきではないでしょうか? なぜなら、 事業を中心に考えるのであれば技術は単なる手段であり、 極論すれば技術は新人の仕事ということになります。 できるだけ早く新人の仕事としての技術は脱却して、 マネジメント手法を学んでいかなければ 35歳でエンジニアとしての定年を迎えてしまいます。

一方、 技術を中心に考えるのであれば事業は単なる手段であり、 極論すれば事業が立ち行かなくなって会社が潰れてしまっても、 自身の技術力さえ伸ばせれば成功と言えるでしょう。 ずば抜けた技術力があれば転職も思いのままだし、 給料も言いたい放題でしょう。 だから、 事業内容で会社を選ぶのではなく、 その会社が自分の成長に役立つか否かで選ぶべきです。

言うまでもなくどっちつかずなのが最悪で、 残念なことにエンジニア志望だった人の多くが ↓ のような道を歩んでしまいます。

どっちつかずな人の末路 orz

若いうちは技術をやれ、と言われてデスマーチでこき使われる。
辛いけど自分は技術が好きなんだ、と現場にこだわり続ける。

そして、35歳でエンジニア定年。 泣く泣く現場を離れてマネジメントの道を歩み始めるが、
自ら進んでマネージャを目指した同期に追い付くのは不可能。

ただし技術の道を選んだとしても、 「ずば抜けた技術力」 が身につけられるのは、 元々その素質を持っていた人に限られます。 どの分野の技術でも向き不向きはあると思いますが、 ことコンピュータ関連の技術に関してはその傾向が顕著で、 努力すれば身につくような種類のものだとは到底言えないでしょう。 むしろ、 努力しなくても自然とスキルが伸びてしまったというような、 元々その素質を持っている人だけが、 高い技術力を獲得できる傾向があるように思われます。

なので、 自分が何に向いているか早く見つけることが何より重要、 ということになります。 ただし、いわゆる 「自分探し」 は時間の無駄です。 なぜなら、 向いているか向いてないかは、 やってみなければ分からないからです。

就活でちょろっとその会社の説明を聞いたぐらいで、 その仕事が自分に向いているか分かるわけはないのはもちろんですが、 実際に働き始めてみて 「自分に合いそう」 とか 「この仕事は自分に向いていない」 とか思うのもタイテー間違っていて、 自身の能力の限界まで力を出しきってみて初めて、 向いているか否かが分かる性質のものだと思います。 そもそもろくに仕事の内容を理解できてない段階で 「好き」 だの 「嫌い」 だの言ってみても始まりません。 何事もつきつめていけばそれまで見えなかったものが見えてくるわけで、 「好き」 だの 「嫌い」 だのは視野が充分広がった後で判断すべきものでしょう。

「好きなこと」 を仕事にするのは叶わぬ夢なのか?

「好きなこと」 「向いていること」 を仕事にしたい。 多くの人がそう望んでいると思いますが、 現実はそうなっていません。 むしろ、 生活のため仕方なく仕事している、 という人がほとんどでしょう。 「好きなことはあるけれど、 それで食っていくことはできない」 とあきらめてしまっています。

例えば、 私の周囲にはセミプロ級 (自称) のカメラマンがいます。 そんなに好きならなぜプロにならないのか? と聞いたこともあるのですが、 「カメラは趣味だからいいんだ」 などと意味不明な答が返ってきます。 彼らはプロを目指さず、 あまり好きでもないソフトウェア開発業務に携わっているわけですが、 それはプロのカメラマンを目指そうとすると、 自身にその素質がないことが白日のもとにさらされると思っているからなのでしょう。 つまり、 本気でプロを目指して挫折すると、 せっかくの 「趣味」 が嫌いになってしまうのが怖いのだと思います。

つまり、 「好きなことで食っていけない」 のではなくて、 プロを目指してみる覚悟がないだけなのです。 本気でプロを目指せば、 その道の素質があるか否か、 たちどころに分かることでしょう。 もし素質がなければ、 さっさとあきらめて別の道を試せばいいだけの話です。 手当たり次第に試していけば、 きっと自分に向いていて、 かつ本当に好きと思える仕事が見つかることでしょう。

だから最初に何をやるかは実はあまり重要ではなくて、 何をやるにしても本気でプロを目指してみることが重要、 ということになります。 大学に残ってアカデミックな世界のハイアラーキを登り詰めようというのでなければ、 プロを目指すのは就職してからが本番ということになります。

では、いま何をすべきか?

「産業界が学生に求めるのはコミュニケーション能力だ」 というデマが出回っているようですが、 これは嘘ですので忘れてください。 マトモな人に聞いてみれば誰でも同じ答がすぐ返ってくると思うのですが、 一番重要なのは 「考える力」 です。

考える力がないヤツ多すぎ (´・ω・`)

そもそも大多数の学生さんは 「考える力」 が何だか分かっていません。 幾多の試験を突破し、 大学院にまで登り詰めた学生さんを相手にずいぶんな言いようだと思いますが、 実際に数多くの学生さんと話してみた結果なのだから仕方ありません。 逆に、 考える力のある学生さんなら、 学歴・知識・コミュニケーション能力など一切不問で採用します。

例えば、 ほとんどの学生さんは、 何を聞いても質問一つできません。 当人は質問すべきことがないから質問しないだけ、 と思ってヘーキな顔をしていますが、 本当は何を質問したらいいか考えられないだけなのです。 また、 学生さんが就職して会社で開口一番、 何と言うか分かりますか?

少なくない人が 「早く仕事に慣れて、みなさんのお役に立ちたい」 って言うんです。 ベルトコンベアの組立工とか、 マニュアル通りに振る舞うことが期待されるマクドナルドの店員とかなら、 仕事に慣れることも必要でしょうが、 そういう仕事だと思って就職したんでしょうか? いくら今まで仕事をした経験がないといって、 あまりにウブすぎます。

そして極めつけは、 知識の習得には貪欲でも、 習得して何がしたいかの展望をまるで持っていないことです。 知識は手段であって目的ではありません。 それが小学校〜大学院 6+3+3+4+2=18年にもおよぶ学習期間において、 ひたすら知識を習得し続けた結果、 なんのために習得したのか、 その目的をすっかり忘れてしまったのでしょう。

学びて思わざれば、すなわち罔し

「目的意識を明確に持て」 とは誰しも言う言葉ですが、 では目的とは具体的には何なのか? 「世のため人のため」 とか途方もなく抽象的なことを言ってお茶を濁していませんか? あるいは逆に 「給料をもらうため」 とか途方もなく具体的なことを言ってしまうかも知れません。 いずれの場合も、 そこから考える余地があまりなく、 思考停止してしまいがちです。

抽象的な話では面白くないので、 私自身の例を紹介しますと、 ずいぶん前から (たぶん中学生のころから) 「有名になりたい」 という目的を持ち続けています。 自分の名前を売るにはどうすればいいか考え、 (オープンソースという言葉ができる以前から) オープンソースソフトウェア (例えば stone) を公開し、 ブログを書き、 インタビューを受け、 いろんなところで講演したりパネルディスカッションに登壇したりしています。 今日、 ここでこうやって講演しているのも、 実を言えば、 人前でうまく話す練習をしたい、 というのが一番の動機だったりします。

ついでにいうと、 なんで有名になりたいかと言えば、 自由になりたいからです。 近頃は 「社蓄」(「会社+家畜」から来た造語) という言葉が使われるようになりましたが、 いわゆるフツーのサラリーマンは少しも自由ではありません。 嫌な仕事でも生活のためにヤムを得ず働いているわけです。 会社に依存せずに生きるには、 会社の肩書がなくてもやっていけるだけのネームバリューが必要ということに (たぶん中学生のころ) 気付き、 それ以来、 自由になるにはどうすればよいか考え続けてきました。

考える力は、 考えることによってしか伸びないわけで、 そのためには自分の考えが足りないことを自覚することが必須でしょう。 そして考えが足りないことを自覚するには、 まず自分が無知であること、 すなわち自分は何が分かっていないかを自覚することが必要です。

ここで重要なのは、 「分かってない」 と 「知らない」 の違いです。 「知らない」 ことは調べれば済む話で、 考えてどうこうできる問題ではありません。 つまり 「自分には知らないことがある」 と自覚したところでそれは考えるきっかけにはなり得ません。

一方、 「分かってない」 のは決して知識が足らないためではありません。 だから調べてどうこうできる問題ではありません。 例えば 「数」 の概念が分かってない人に 「数」 とは何かを教えようとする状況を想像してみてください。 あるいは逆に、 自分が 「数」 という概念を分かってなかったとして、 どうしたら 「数という概念が分かっていない」 ことに気付けるか想像してみてください。

「分かってない」 と 「知らない」 は違う

「分かる」 と 「自転車に乗れるようになる」 は似ている

思うに、 「分かる」 というのは 「自転車に乗れるようになる」 ことに似ていると思います。 「分かってない人」 が無自覚であると同様、 自転車を見たことがない人にとっては、 自分が自転車に乗れないと気に病むことはないでしょう。 そして最初の 「分かろう」/「乗ろう」 というチャレンジは確実に失敗します。 どうすれば 「分かるか」/「乗れるか」 皆目見当がつかない一方で、 いったん 「分かる」/「乗れる」 と、 どうやってそれができるようになったのか思い出せなくなってしまいます。

というわけで、 「考える」 ためにはまず自分が 「分かってない」 ことを自覚し、 次に 「分かろう」 と努力することが必要です。

後者は、 「分からないこと」 が目の前にあるわけですから、 あきらめさえしなければさほど難しくはないでしょう。 といっても思考停止という罠がたくさんあるので、 後者は後者で一筋縄には行かないのですけれど、 そんなことより問題は前者です。

すなわち、 「分かってない」 ことをいかに自覚するか? が鍵となります。

おそらく、 自力で自分の 「分かってなさ」 を自覚することは無理で、 他者に指摘してもらって初めて気付かされる、 という場合がほとんどなのではないかと思います。 じゃ、 どうすれば他者に指摘してもらえるか? 黙っていては無理で、 自分から自身の考えを発信してみることが重要なのではないでしょうか?

変なことを発信すれば、 親切な人が 「おまえは何を言ってるんだ?」 と指摘してくれるかも知れませんし、 慣れてくると他者の反応もあらかじめ予測できるようになり、 発信する文章を練っている段階で自分の至らなさを痛感するかも知れません。 私自身、 こうやって自身の考えを長々と述べていますが、 この考えのほとんどは、 いろいろな人と対話した結果生まれたものであって、 決して私の頭だけで考え出したものではなかったりします。

というわけで、 まずは内容は二の次で、 自分の言葉を発してみることが何よりも重要でしょう。 例えば今この場で、 質問してみるところから始めてみてはいかがでしょう?

Filed under: 元CTO の日記,技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 22:50
2010年12月15日

“自分に向いたこと” を見つけ、自分にしか生み出せない価値を持て hatena_b

今年 8月に、 株式会社ドリームキャリアさんのインタビューを受けました。 ドリームキャリアさんは、 理系学生のための就職情報サイト 「理系ナビ」 を運営している会社です。 いま、 一部の大学で配布中の小冊子 「理系ナビ 10冬号」 の巻頭の 「トップインタビュー」 に掲載されました。 2012年卒 (に限りませんが) の学生さんの就職活動の参考になれば幸いです。

ドリームキャリアさんの許可を得て、 記事全文を転載します:

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“自分に向いたこと” を見つけ、
自分にしか生み出せない価値を持て

KLab株式会社 取締役 CTO 仙石 浩明

会員数 500万人を超えるソーシャルアプリ 「恋してキャバ嬢」 を開発・運営するなど、 ソーシャル、クラウドをキーワードに事業展開を図る KLab株式会社。 その最高技術責任者 (CTO) である仙石浩明氏は、 専門誌でサーバ構築に関する連載を持ったことがあるなど、 業界でも名の知れた人物だ。 自身も IT業界でキャリアを積み、 KLab の取締役として数多くの新卒・中途採用の面接を重ね、 そして入社してきた相当数のエンジニアの仕事ぶりを見つめてきた仙石氏に、 就職先を選ぶ際に気を付けるべきポイントについて話を聞いた。

考える前にやってみる。
そして見つけた自分に向いた仕事

「世の中には、 仕事を楽しんでいない人が多いように感じますね。 どんな仕事をしても良いのですが、 楽しんでほしい。 楽しめないような職業は選んでほしくないのです。 楽しめなければ成長できるはずがない」

これから就職活動を迎える学生に、 このようなメッセージを送るのは KLab株式会社最高技術責任者 (CTO) の仙石浩明氏。 「朝、コンピューターに向かったら熱中してしまい、 気が付いたら夜だった」 というほどのめり込めることを仕事にする仙石氏は、 コンピューターとは中学時代に出会ったという。

ただ、コンピューターばかりにのめり込んでいたわけではない。 高校の時は数学好きで特殊相対性理論にも興味を持った。 哲学にもはまり、 大学で哲学を専攻しようかと真剣に悩んだこともあったが、 最終的には哲学よりも好きだった情報工学を学ぶことに決め、 京都大学工学部に進んだ。

そのまま大学院に進み、 就職活動を迎えた仙石氏は、 日立製作所への入社を選ぶ。 当時、 情報系の研究をするなら NTT の研究所が一番人気。 仙石氏は NEC のインターンシップにも参加していたが、 あまのじゃくな気質を発揮して 「それ以外から選ぼう」 という判断をしたそうだ。

日立に入社した後は、 遺伝的アルゴリズムやネットワーク基盤技術の研究を進める。 だが入社してから、 会社での仕事以上に熱中したのはテニス。 定時であがって、 日没までテニスを続けるような日々だった。

ただ、 そのテニスは半年間しか続けなかった。 「私の場合、 『向いているんだろうか』 と考える前にやってみます。 やってみて向いてないと思えば止めてしまう。 コンピューターの道だけを選んで成功したと人には思われているようですが、 物理、数学、哲学、テニスと試してみて、 止めたものも数限りなくあるのです」 と仙石氏は自身がテニスを止めた理由を説明する。

中途半端に好きな状態で居るのではなく、 興味を持ったのなら、 全力で取り組んでみる。 自分の能力がどれくらいのものかと、 把握できるまでやってみる。 そして向いてない、 止めると決めたらそれ以上は手を出さない。 それを繰り返すことで、 本当に自分が好きなもの、 人並み以上の価値を生み出せるものを見つけ出し、 それを仕事にしていったのが仙石氏のキャリアなのだ。

ほかの人にもできる仕事は最小限に
自分しかやれない仕事にフォーカス

元々、 定年まで働くつもりはなかったというが、 大手企業で働くうちに仙石氏は会社に違和感を覚えるようになる。 上司から指示される仕事は、 ほかの人にでもできるような仕事。 「ほかの人ができることをやっていても差が付かない」 と考えた仙石氏は、 必要最小限で済ませるようになり、 上司から指示されていない自分にしかできない研究に取り組んでいった。

しかし、 そうした働き方が評価されるわけではなく、 仙石氏の給与は年功序列でほかの社員と横一線。 会社から与えられる仕事は、 相変わらず代わり映えしなかった。

そんな時に、 仙石氏のところに1本の電話が掛かってくる。 外資系ヘッドハンティング会社の転職代理人からの転職を勧める電話だったが、 「転職という手段もあるのか」 とその時に初めて意識することになる。

そして転職代理人から薦められたモバイルコンテンツ開発会社に面接へ行ってみたところ、 「新しく研究開発の会社を立ち上げます」 という話を聞く。 当時の仙石氏はベンチャーに興味があったわけではなく、 携帯電話すら持っていないような状況だったが、 「面白いかもしれない。 やったことがないからやってみよう」 と転職を決意する。

そんな経緯で入社したのが KLab の前身となるケイ・ラボラトリー。 CTO に就任した仙石氏は、 世界初の携帯電話向け Javaアプリの開発、 携帯電話端末の技術仕様策定等、 モバイル技術開発会社として業界内で存在感を示す KLab を、 技術面でリードしていくことになる。

“自分にしかできないこと” を
評価してくれる会社の見分け方

仙石氏は自身の経験を踏まえ、 エンジニアが就職先を選ぶのなら、 “自分にしかできないこと” を評価してくれる会社にすべきだと訴える。

「会社は 『この仕事をやってほしい』 と考えて、 誰にでもできる仕事を任せるために人を採用している面もあります。 ですが、 そんな仕事ばかりでは人は成長できません」

自分に向いていること、 やっていて楽しいことを評価してくれる会社。 そんな会社かどうかを見抜くには、 「自分はこんなことを考えている」 と面接で伝えれば良いと仙石氏は助言する。 面接官が興味を持ってくれるのなら、 その会社には見込みがある。 だが、 興味すら示してくれないのなら、 社員一人一人の関心・適性に会社としての興味はないということ。 適材適所ではなく、 会社の都合で仕事が割り当てられると思った方が良いのだとか。

「私なんかは、 大学での研究について話を聞くのが好きですね。 教授に言われてやっている研究ではなく、 自分がやりたいと思って取り組んでいる研究。 その人が今までに熱中したことについて延々とでも話を聞くことで、 ほかの人と違うことをやることに価値を見出せる人かどうか、 簡単に分かります」 (仙石氏)

“自分に向いていること” を
見つけるために設けたどぶろく制度

自分だけにしかできない仕事。 そのための時間を取ってもらうために KLab では 「どぶろく制度」 を設け、 標準労働時間の 10% までなら、 好きなように使えるようにしている。 ただ、 どぶろく制度の目的はそれだけではない。 仙石氏は片っ端から興味を持ったことにチャレンジして “自分に向いていること” を見つけたが、 すべての人がそれを見つけられているわけではない。 「今やっている仕事内容とは違うことに仕事時間を使うことで、 “自分に向いていること” を見つけてほしい。 向いているかどうかを確かめるためには、 転がり込んできたチャンスにチャレンジすることが必要。 『時間がないから』 という理由で動かない人が多いので、 それを言い訳にさせないためにつくったのがどぶろく制度なのです」 と仙石氏は制度の狙いを明かす。

また、 KLab では “自分に向いていること” を突き詰めて “自分にしかできないこと” を身に付けているエンジニアを正当に評価するため、 ダイナミックな人事評価制度を導入している。 基本的に年に一度、 成果と能力に基づいて給与を改定するが、 新卒入社の社員には、 入社から 3年間は半年に一度見直しをかける。 能力のある社員なら、 給与テーブルのグレードを一足飛びで駆け上がっていくため、 入社して数年の間に数百万円の年収差が生まれることもざらにあるのだとか。

質問すること、チャレンジすることで
伸びる 「考える力」

もちろん、 “自分に向いていること” が見つかったからといって、 “自分にしかできないこと” がすぐにできるようになるわけではない。 そのためには自分自身の成長が必要になる。

成長のためには、 「考える力」 が重要だと仙石氏は言う。 例えば、 多くのエンジニアはある程度仕事を覚えると、 あとは惰性で仕事をするようになる。 仕事で分からないところが出てきても、 検索エンジンを使って調べれば、 だいたいの答えが出てきてしまう。 チャレンジが無くなることで、 そのエンジニアの成長はそこで止まってしまうのだ。

そんな仕事スタイルのエンジニアこそ、 誰にでもできる仕事しかできなくなると仙石氏は批判。 「考える力」 とは抽象的な概念なので説明しづらいが、 知りたいことに憶さず質問して興味を持ったことを深掘りしていくこと、 そしてチャレンジすることを通して育つ力だと説明する。

ちなみに KLab では、 自分の興味・関心のあるテーマについて大勢のエンジニア相手に発表させる勉強会を開くことで、 エンジニアとしての成長を促している。 自分が深めたいと考えているテーマを自分の力で考えて発表させることで、 あるいはそれを聞いて質問する力を伸ばさせることで、 社員の成長を促しているのだとか。

格差が進む 20年後のために
自分だけの価値を生めるように

しかし、 なぜそこまで “自分に向いていること” “自分にしかできないこと” にこだわらなくてはいけないのだろうか。 仙石氏はその理由について次のように語る。

「これから就職する学生が迎える将来の社会について、 私はかなり悲観的な見方をしています。 格差社会と言われていますが、 今から 20年後には格差がもっと進むのではないでしょうか。 日本の会社は、 まだまだ昔ながらの年功序列に支えられています。 成果主義が広まっているとは言うものの、 仕事のできる人とできない人とで、 そんなに差は付いていません。 これから就職する学生の皆さんが 40〜50歳になっているころには、 それこそ年収が1ケタ違うのも当たり前にあり得るのではないでしょうか」

実際に 20年前と今とを比べると、 誰にでもできる単純作業のうち、 かなりの部分が技術の進歩によって一掃されてしまった。 現在、 誰にでもできる仕事でお金をもらっている人は、 20年後にどうなってしまうのか。 そう考えていくと、 他人には生み出せない自分だけの価値を持つことが必要なのだと仙石氏は話している。

20年後のあなたは “自分に向いていること” を見つけて、 “自分にしかできないこと” を習得できているだろうか。 本当に成長したいのなら、 「当社が一番適した会社かどうかは分かりませんが、 技術者が会社に依存せず、 自分の価値を築ける一番の会社にしようと、 少なくとも私は本気で考えています」 という仙石氏の居る KLab も、 就職先の選択肢に含めてみてはどうだろうか。

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2010年4月2日

「無知の無知」への 3ステップ hatena_b

KLab(株)は、 2007年から新卒採用を行っています。
今年も例年通り、4月1日に入社式を行いました。

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みなさん、入社おめでとうございます。 社長のお話が終わり、みなさんは挨拶が終わって、 緊張もほぐれてきたのではないかと思います。 ここからは各役員の挨拶なのですが、 なぜか私だけは挨拶だけでなく (長くならない範囲で ^^;) 話もしろということになったらしいので、 話を捻り出してみます。

「考えることが大事」ということは社長のお話にもありましたし、 みなさんも既によく知っていることだと思います。 ただ、 知っていることと実際に実行できることとの間には越えがたい壁があることも事実で、 分かっちゃいるけどついつい考えなくなってしまう、 あるいは考えているつもりが、 いつのまにか深く考えることがなくなってしまうものなのでしょう。 そもそも自分がどのくらい考えているかなんて、 なかなか意識するのは難しいですよね。

入社時にはみんな等しく、 これからは「考える習慣」を身につけよう、 と決意を新たにしたはずなのに、 3年で大きな差がついてしまうのが現実です。 考える習慣を身につけた人がどんどん成長するのに対し、 考えることを習慣化し損なった人は停滞したままなので、 その後も差は広がる一方。 10年 20年もたつととんでもない差になってしまいます。

なぜこんなにも差がついてしまうのでしょうか? ただやみくもに 「考えよう」 としても、 具体的に何をすればいいのかよく分かりませんよね? なので逆に何をしてはいけないかについて今日はお話ししたいと思います。 今日からみっちり 2ヶ月間、 新人研修でいろいろなことを学んでいくみなさんにとって、 「何をしてはいけないか」 を押えておくことはきっと役に立つと思います。

私は仕事柄、 面接をする機会が多いのですが、 お会いする人の中には考える習慣が全くない人もいます。 ご本人にはそういう自覚が全く無く、 人並みには考えていると思っているようなのですが、 私から見ると正に 「人生オワタ」 状態で、 なぜそうなってしまったのだろうかと考えているうちに、 ついついその人の身の上を根掘り葉掘り聞いて人生相談モードへ入ってしまうので、 そういうことを繰り返すうちに、 だんだん原因が見えてきたように感じています。

考える習慣を持たない人に共通する問題点として 「無知の知」 ならぬ 「無知の無知」 があります。 自分が分かってないことを分かってない、 自分の浅慮では到底及ばない領域があることが全く想像できない、 いわば 「井の中の蛙」 状態ですね。 「無知の無知」 状態になってしまうと、 今の自分の考え方で満足してしまい、 今の自分の枠を越えて考えてみようという発想がでてきません。 当然、 考える習慣もなくなってしまうわけです。 なぜこうなってしまうのか? 次の 3つのステップを経て 「無知の無知」 状態に至るケースが多いように思います:

  1. 後で調べればいいや
  2. 何が分からないのか分からない
  3. 分かったつもり

「質問する前に考えろ」 「それくらい Google 検索などを使って調べろ」 「ググれカス」 などと言われるようになったのはいつのころからでしょうか? 確かに何でもかんでも 「教えて君」 では困りますが、 「すぐ質問すること」 = 「悪いこと」 とする風潮はいかがなものかと思います。 こういう風潮が、 「聞くのは恥ずかしい」 「後で調べればいいや」 という意識を生んでいないでしょうか。

ちなみに私は全く正反対で、 「分からないと言える」 = 「カッコイイ」 と中学生の頃から思い込んでるので、 今でも堂々と 「分からない」 を連発しています。 もちろん、 「CTO がこんなことも知らないのか?」 と思われる (^^;) リスクも無いわけではないので、 TPO を考慮せざるを得ないこともあるのがちょっと残念です。

確かに本当に後で調べるのならまだいいのですが大抵は忘れてしまいます。 仮に忘れずに後で調べて言葉の意味を知ったとしても時間は遡れません。 その場で意味を聞いていれば相手と有益な議論を展開できたのかもしれないのに、 その機会は永久に失われてしまうわけです。

そして何より怖いのは、 知らない言葉が出てきても何とも思わなくなってしまうことです。 ふつう、 相手の話の中に意味が取りにくい言葉があれば気持ち悪く感じ、 なんとかその気持ち悪さを解消しようと思うものだと思うのですが、 「後で調べればいいや」 と思ってるとだんだんこの 「気持ち悪さ」 が無くなってきます。 この 「不感症」 が最初のステップです。

そして一つの話の中に知らない言葉がいくつも出てきても、 何とも思わない状態になると次のステップが見えてきます。 知らない言葉が複数出てくれば、 当然話全体が分からなくなるし、 そもそも話自体に興味が持てなくなります。 こうなってしまうと、 「何が分からないか分からない」 状態に陥ります。 いわゆる 「質問したくても何を質問したらいいのか分からない」 状態ですね。

質問しようとしない人に、 「もっと質問しようよ」 と言うと返ってくる言葉が、この 「何を質問すればいいのか分からない」 です。 話を興味を持って聞くということが無くなってしまっているために、 相手が話していない部分を聞き出そうという意欲が失われてしまっています。 もちろん、 人の興味は十人十色ですから、 ある話題に興味が持てないというのは普通でしょう。 問題なのは、 どんな話であっても興味が持てないことにあります。 しかも本人的にはそれが普通な状態なので、 他人の話を興味を持って聞くということがどんな体験だったのか、 もう覚えていなかったりします。 この 「無関心・無気力」 が第2 のステップとなります。

この第2 のステップの怖いところは自覚症状があまり無いことにあります。 自分は 「無気力」 ではない、 と思う人が大半だとは思いますが、 どんな話を聞いても、 質問したいことが思い浮かばないようだと 「第2 のステップ」 がかなり進行中であるわけで要注意です。 なんとか気付いて危機感を持って欲しいですし、 私はことある毎に 「質問しろ〜」 と口を酸っぱくして言ってるのですが、 長年染み付いた習慣というのはなかなか克服できないものなのかも知れません。

第2 のステップは 「分からない」 ということ自体は自覚できているのでまだ救いがあるのですが、 この症状が進むと第3 のステップである 「分かったつもり」 に至ります。 「分からない」 という意識さえあれば何かのきっかけで 「分かろうとする意欲」 が芽生えるかもしれないのですが、 分かっていないこと自体が分からなくなると、 その可能性すら無くなってしまうので末期的です。

何を聞いても 「分かったつもり」 になってしまって、 表面的な理解だけで満足するようになってしまうと、 自分の考え方と相手の考え方が異なっていてもそれに気付かない、 ということが起り得ます。 つまり相手の話を自分の思考の枠内だけで理解してしまうわけです。 まさに 「無知の無知」 です。

と、 いうわけで今日からの研修では決して疑問点を残さないよう、 積極的に質問してください。 また、 「分かった」 と思っても本当に理解しているのか、 今一度自分を疑ってみてください。

例えば、 半年前に内定式で渋滞の話をしました。 忘れてしまった人は私のブログを参照してください。 社会人経験がまだ無いみなさんには、 あの話を完全に理解することはなかなか難しいのではないかと思いますが、 「分からない」 という感覚を持っていますか? そして分からないとすればどこが分からないのか考え、 何を質問すれば自分の理解を深められるか是非考えてみてください。

まだまだ自分は 「分かっていない」 と自分を疑うことこそが、 考えを深めていくために必要なのだと思います。 KLab への入社が、 みなさんの人生において飛躍のきっかけとなることを期待します。

Filed under: 元CTO の日記,自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 13:19
2009年10月27日

パネルディスカッション ~CTO のから騒ぎ for the future~ に登壇しました hatena_b

先日開催された楽天テクノロジーカンファレンス2009 で、 パネルディスカッション ~CTOのから騒ぎ for the future~ にパネラーとして登壇しました。 他のパネラーはベンチャーの CTO の方々。 いずれも 「CTO サミット」 (という名の飲み会) で毎度ご一緒している皆さんなので、 飲み会と同様とても盛り上がりました。 モデレータの森さま (楽天技術研究所所長)、 どうもありがとうございました。

このパネルディスカッション (という名のビール飲みながら放談会, ただし私は飲めないのでウーロン茶) の議事録を書いてくださったかたがいらっしゃったので、 適宜引用しつつ感謝の意を表します。(_O_)

まず冒頭の自己紹介の部分から:

KLab 株式会社の仙石です。 就職してから 16~17 年。 卒業してしばらくはベンチャーに縁がない生活(論文書き)。 ある日突然転職することになり、2000 年に転職。 気の向いたことにどんどんのめり込む性格。 技術者が経営をやるのってどういうこと? という質問はまた後ほど。 KLab を設立してから、 どんどん仕事を捨てて自分を変えている (ピーターの法則に陥らないように)。 部下が成長したらすべて任せてしまう。 すべての仕事を部下に振り終えたら、私は CTO をやめる予定。 早く育成しないと。

CTO と聞くと、 「技術者でありながら経営にも関わるとはどういうこと?」 と疑問に思われるかたも多いかと思うのですが、 私の場合はあまり難しく考えていないのです。 以前インタビューを受けたときにも話したことがあるんですが:

(やってみたいと思ったことがあったら) 片っ端からやってみればいいじゃないですか。 だって、世の中には、好きなものか嫌いなものかしかないですからね。 好きなことからやって行けばいいじゃないですか。 好きなことが幾つかあるとかじゃなくて、私の場合、 好きなことがあったらやってみるんですよ。 やってやって、あるとき飽きちゃうみたいな感じなんです。

たまたま目の前に、 「起業に参加するチャンス」があって、 面白そうだから乗ってみた、 というだけのことなのです。 やってみて向いてないと思えば、 思った時点で止めてしまいます。 例えば実際、 論理回路や遺伝的アルゴリズムの論文を書くこととか、 (前職で)定時直後に退社して日が暮れるまでテニスする生活とか、 (大学の時に)数学者目指して勉強をするとか、 (浪人中に)哲学への道を目指そうとしたこととか、 中途半端なまま止めちゃったことも沢山あります。

パネルディスカッションでは、 Ruby 開発者として有名な まつもとゆきひろ さんも、 質問しました:

まつもと 技術者としての上がりとしての CTO ってどうですか?

仙石 CTO が上がりとは思っていない。

まつもと キャリアパスの途中としての CTO は。

仙石 キャリアパスって全然意識していない。 興味のあることをトコトンやって、飽きたらやめる。 今は私が定義した CTO の道をドンドンやるって感じ。 他の人は違うと思うが。

私の受け答えがぞんざいな言葉になってますが、 もちろん小心な私がこんな物言いをするわけはなく、 単に議事録上での表現ですから、 まつもとさんに対して何て口のきき方だ、 などとは思わないように願います。;-)

私にとっての CTO は 「上がり」 どころか 「キャリアパスの途中」 でもなく、 手当たり次第にやってみたことの一つに過ぎないのですが、 幸か不幸か(?) CTO は 9年間も続いていて、 私の今までの人生で二番目に長い記録です。 一番長いのはもちろんコンピュータに対する興味で、 こればっかりは中学生の時以来、 30年以上も変わらず続いています。 よく飽きないものだと思うのですが、 これが 「向いている」 ということなのだろうと思います。

というわけで、 いろいろ手当たり次第にやって、 向いてないことはさっさとあきらめて、 結果として向いてることだけが残る、 という人生を私は歩んできました。 将来のキャリアパスを描いて目的意識を持って努力する、 いわゆる「真っ当な」生き方とは正反対の生き方なので、 他の人に勧めてよいのか微妙ですね。

さて、 CTO って聞くとみなさんはどんなイメージを持つでしょうか。 十人 CTO がいれば十通りの答が返ってきそうですね。 私自身、(株)ケイ・ラボラトリー (当時, 現 KLab) の創業に加わった当初は、 CTO が何をする人なのか具体的なイメージはまるで持っていませんでした。

 仙石さんは何をされているんですか?

仙石 ボケなくちゃいけませんか? 何もしてません(笑)。
会社を興したときは何から何までやってました。 プロマネ兼プログラマ兼システム管理者。 社内でヘルプデスクをやる羽目になったり。 年を経て人が増え、部下に自分がやってた仕事をどんどん任せた。 次から次へと部下が成長していくので、 私がやっていたことを部下ができるようになる。 あるとき、 「自分がデータセンターに行かなくても何とかなるな」と思い、 仕事をどんどん捨てていった。

これこそが CTO の役割なのかな、と思った。 会社の中でやるべきこと、 やったほうがいいことを新たに作って、 明確にした上で部下に押しつける。 そんな感じでやってきた。 自分が今仕事をしているのはよろしくないことだ。 一生懸命部下に押しつけるのが仕事だ。

もうひとつ言わせてもらっていいですか? CTO っていうのは、 「技術者にとっての社長」という役割を果たすべきではないのかな。 技術者はビジネスに対して本音の所では興味が持てない。 なので、社長に本当に心の底から共感できるかというと、微妙。 そういう社員も多いんだろうな、 そういうときにビジネスのことばかり言ってないで技術の話もすれば、 共感できるんじゃないか。

話長いよ、と思われるんじゃないかと恐れて端折ってお話ししたため、 ちょっと分かりにくかったかも知れません。 特に 「何もしないことが CTO の仕事」 という言い方は誤解を招きかねない言い方なので、 ちょっと心配しつつの発言だったのですが、 幸い twitter では好意的な反応ばかりでした (_O_)。

ちなみに私は今まで twitter を使ったことがなかったのですが、 このパネルディスカッションで twitter の威力を思い知り、 改心して twitter のアカウントを作りました。 よかったらフォローしてください。

このときパネラーの藤本さん (グリー) が twitter で 「仙石さんのあとひとことは3 minutes」 って書いていた (話長くてスミマセン) のですが、 その時 twitter を使っていなかった私は気付かなかったのでした。

当然ですが企業は利益を出さなければ存続できませんから、 24時間儲ける仕掛けのことばかり考えているビジネスの戦略家が社長をやるべきです。 ところが技術者にとってビジネスというのは、 その重要性はもちろん分かってはいるんですが今一つ興味が持てない、 というのが本音ではないでしょうか。 かくいう私も、 9年間 CTO をやっていながら、 儲ける仕掛けのことを考えるよりは、 コンピュータのことを考えていたいタチです。

そういう 「ビジネスより技術が好き」 という技術者にとっては、 目を輝かせて会社の将来を語る社長に対して心の底から共感できるかというと、 なかなか難しいところもあるのではないでしょうか。 社内が 「ビジネスを創り出していこう」 という活気で満ち溢れれば溢れるほど、 疎外感を感じてしまう技術者が出てきてしまう気がします。

技術者ってのはおしなべて真面目ですから、 社内の雰囲気に共感できない自分に対して嫌悪感を抱いてしまう。 あるいはビジネスに興味を持つ自分を無理矢理にでも演じてしまう。 でも、何が好きかなんてのは根源的なものなので、 興味が持てないことを無理に好きになろうとしても土台無理じゃないかと思うのです。 そんな技術者に対して、 「ビジネスに関心が持てないのは悪いことじゃない」 というメッセージを送るのが、 CTO の役目なんじゃないかと私は思っています。

仙石 私の持論は 「餅は餅屋」。 技術とビジネスを考える人がいてもいいけど、 24時間技術のことだけを考える人がいて、 24時間ビジネスのことを考える人がいればいい。 会社なんだから、 役割分担しつつ進めていくのがいい会社だと思う。 技術者はビジネスのことは考えなくていいから、 みんなをアッと言わせることをやろうよ、と。

ちなみに、 社長が技術者であれば技術者が疎外感を感じることはないでしょうし、 実際そういった理由で社長が技術者である会社を選ぶ人も多いのだと思いますが、 会社は儲けなければ存続できません。 高い技術が儲けにつながるとは必ずしも言いきれない昨今、 社長が技術のことばかり考えていて大丈夫なのでしょうか?

「餅は餅屋」 の話を受けて、 役割分担するなら、 お互いをリスペクト (尊敬) することが重要だよね、 という話を藤本さんが投げ掛けました。 私も全く同感です:

藤本 お互い(技術者と非技術者)どうやってリスペクトするのか。

仙石 自分ができないことをできる人を尊敬すればいい。ウチの会社はそうなっている。

藤本 エンジニアリングを追求していきたい人とはどういうコミュニケーションを?

仙石 週 1 の定例ミーティングで、私は会計の話をしている。技術者であっても、いろいろなことに興味を持ってほしい。できなくてもいいから。他の人が何をしているかは分かってほしいし、分からなければリスペクトできない。私も会計の素人だが、会計の話を延々としている。

KLab(株) は 8月が期末で、 ここ何週か決算の話を定例ミーティングですることが多かったので 「会計の話」 になったわけですが、 技術職以外の職種についてもきちんと知って、 お互いをリスペクトできるようになって欲しいと思っています。

さて、 「技術者の成長にとって一番役に立つ会社」 を目指している私としては、 どこかで技術者の成長の話をしたいと思っていたのですが、 会場からの最後の質問で 「自分の部下や新卒 1 年生に、 今後こういう風になるからちゃんとやっておけというのがあれば」 という問いかけがあった (いい質問ですね!) ので、 話しました:

仙石 技術者という職種はすごく難しいと思う。 誘惑がたくさんある。次から次へと新しい技術が出てくる。 「ちょっと」 Ruby を勉強しておこうか、って思うじゃないですか。 いろんな言語が出てきて、 何から何まで「ちょっと」勉強してみるというのがあまりにも多すぎるのでは。 「Hello, world.」 を表示させるだけのように、 表層だけ学んで時間を浪費することが多すぎる。 考えることが大事というのはまったく同感。 どんな時代でも、考える力がすべて。 どこまで深く考えられるか。知識を求めることに貪欲になりすぎるな。

知識だけ詰め込んだ 「偽ベテラン」 に陥らないようにして欲しいと思います。

といった感じで、 パネルディスカッションは終わったのですが、 すでに時間を大幅に超過しているにもかかわらず、 森さんから 「最後に、CTO からの熱いメッセージを手短にお願いします」 と言われたので、

会社に対する不満がウェブで山ほど出てくるが、 嫌々する仕事は成長に役立たない。 嘘でもいいから「この仕事をやっててよかったな」と思ってほしい。 どんな仕事でも好きでやってほしい。 今の仕事を楽しむところから成長は出てくる。難しいですけどね。

実は最近読んだ本 「脳に悪い7つの習慣」 に、

脳は気持ちや生活習慣で、その働きがよくも悪くもなる。
この事実を知らないばかりに、脳力を後退させるのはもったいない。

脳に悪い習慣とは、
(1)「興味がない」と物事を避けることが多い
(2)「嫌だ」「疲れた」とグチを言う
(3)言われたことをコツコツやる
(4)常に効率を考えている
(5)やりたくないのに我慢して勉強する
(6)スポーツや絵などの趣味がない
(7)めったに人をほめない
の7つ。

と書いてあって、 なるほどな~と思いながら読んだので、 仕事を楽しんで欲しいという話をしたのでした。 私自身はなにごとも楽しんで取り組むタチなので今一つ実感できないのですが、 なにごとも嫌々やってると身につかないだろうなぁと思います。

Filed under: 元CTO の日記,技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 11:47
2009年10月1日

新卒の内定者とかけて、がらがらの道路ととく。その心は? hatena_b

KLab(株)は、 2007年から新卒採用を行っています。
今年も例年通り、10月1日に内定式を行いました。

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みなさん、内定おめでとうございます。 社長のお話が終わり、 みなさんは自己紹介が終わって、 緊張もだいぶほぐれてきたのではないかと思います。 これからの私の話はどーでもいい話なので、 リラックスして聞いてもらえればと思います。

唐突ですが、渋滞が起きる原因って知っています?

みなさん、いきなり何を言い出すんだ、という顔をしていますね?

渋滞が起きる理由なんて、 そりゃ車が多いからに決まってるだろう、 という声が聞こえてきそうです。 確かに道路を流れる車がどんどん増えると、 交通量がある限界を越えると、 渋滞になるのはアタリマエのような感じがします。

でも、 大渋滞が起きているときと、 混んではいるけど流れているときの交通量と、 どのくらい違うと思いますか? あ、もちろん工事や事故などで車線が減っている場合は、 そのぶん交通量は減りますから、対象外とします。 高速道路など流れを妨げるものが特にない道路で起きる、 いわゆる自然渋滞についてのみ考えます。

確かに大渋滞のときって車がたくさん詰まってるので、 交通量が非常に大きいような気がしますが、 みんなノロノロ運転だったり、 ひどい渋滞だと完全に流れが止まってしまっているときもあるわけで、 極端に言えばいくら車の台数が多くても、 スピードがゼロであれば、 ゼロに何台掛けてもゼロですから、 交通量としてもゼロです (正確には、 交通量[台/時間] = 車数[台] * 車速[距離/時間] / 車間[距離])。

ぐだぐだ説明してしまっているからすでにおわかりだと思いますが、 実は普通に流れているときも、 ノロノロ渋滞も、 交通量の観点で言うとほとんど変わりません。 むしろ渋滞一歩手前の流れているときの方が流量は多いかもしれません。

さて私は何を言いたいのでしょうか?

道路というのは押し並べて車を流すことが目的であるわけです。 つまり交通量というのは道路の「成果」ですね。 流れている道路と、大渋滞の道路、 「成果」が変わらないのに大渋滞の道路は大変な苦痛を伴います。

同じ成果が得られるなら、 苦痛が無い方がいいに決まってます。 ところが先月の大型連休のように、 交通量が増えると決まって大渋滞が起きますし、 会社では受注量が増えるとデスマーチが起きたりしますし、 「忙しい忙しい」 が口癖の人は、 TODOリストが長くなればなるほど気が急いてしまって仕事が手につきません。 先手先手で仕事をまわしている人と、 後手後手にまわってしまっている人とでは、 やってる仕事の量自体は大差なくても、 天と地ほどの評価の差がついてしまったりします。

どうやったら渋滞を防げるのでしょうか? 交通量が増えてしまってから防ごうと思っても、 大量の車を前にしては、 なすすべありませんよね。

みなさんは今、がらがらの道路なのだと思います。 どうやったら渋滞を起こさずに成果を出し続ける人生を歩むことができるようになるのか、 これから入社までの半年間じっくり考えてみてはいかがでしょうか。

Filed under: 元CTO の日記,自己啓発 — hiroaki_sengoku @ 11:46
2009年9月2日

自分が何が出来るかじゃないんですよ。何がやりたいかだと思うんです。 hatena_b

以前、(株)ウェブキャリアの川井社長(当時)に取材していただいて、 お話しした内容が 「Webエンジニア武勇伝」として掲載されていたのですが、 現在その「武勇伝」のページが一時的に閉鎖されているのと、 幸い川井様から転載の許可をいただけたので、ここに全文を掲載します:

川井
本日は、Webエンジニアの武勇伝ということでお願いいたします。 趣旨については、メールでも触れましたが、 弊社の行っているエンジニアのキャリア支援事業の一環として、 「エンジニアのためのロールモデル」を提示したいと思っておりまして、 トップエンジニアの方々のインタビューを通じて、 そのヒントを提供できればと思っております。
仙石
なるほど。こちらこそよろしくお願いします。
川井
仙石さんのようなすごい方になると、 若いエンジニアからすると雲の上の存在でもあるので、 親近感を与えるためにも子供の頃のお話などもお聞きしています。
仙石
どういうところが「雲の上の存在」と感じるんですかね?
川井
ポジションもありますし、 ネット上でお名前がいっぱい出ているというのが大きいんじゃないでしょうか。
仙石
ポジションといってもたかがベンチャーですし、 どうということはないと思いますよ。 名前が出ているのも昔から長いことやっているだけですから。 まあ、そう思う人が多いっていうのも私なりには分かっているんですけども、 ある程度、技術が好きな人であればほとんどの人が、 私と同程度のことはできるんじゃないかなって気がします。
もしも、自分にはそんなことができないって思うんであれば、 できないと思うことこそが出来ない理由なのかなって思います。 自分で自分をけなしてもしょうがないんですけど、 私がやってきたことなんて誰にでもできることなんじゃないかなっていうのが 正直な感覚なんですよ。 ある意味、やる気があればできる世界じゃないでしょうか。
川井
なるほど。 ブログで拝見した「向き不向き」という話もありますし、 のちほどその辺りも詳しくお聞きしたいと思います。 それでは、まずはコンピュータとの出会いからお聞きしたいと思います。 コンピュータとの出会いは中学1年くらいだとおっしゃっていましたけど、 学校でという感じですか?
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Filed under: 元CTO の日記,技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 08:02
2008年7月22日

技術力が高い人こそ、ビジネスモデルの良し悪しにもっと敏感になるべき hatena_b

先週参加した社外の飲み会 (私は飲めないので専らウーロン茶でしたが) で、 Linux ディストリビューションの開発や、 カーネル技術を売りにしたコンサルティングで有名な某社の カーネル技術者とお会いしました。 彼はいま伸び盛りの若手カーネル・ハッカーなのですが、 オープン・ソース・ソフトウェア (以下 OSS と略記) ビジネスについて熱く語ったり、 ディストリビューションをサポートし続ける使命感に燃えていたのが、 わたし的にはちょっと気になりまして、 ひとこと言いたくなってしまいました(お節介ですね ^^;)。

ディストリビューションのサポート体制 (カーネルのバグにも的確に即応できる体制) を維持し続けることによって、 多くの企業で Linux を安心して使ってもらうことができて、 それが OSS の発展につながるし、 それこそが自分の使命だと彼は考えているようでした。 それはそれで意義あることだとは思うのですが、 彼のような優秀な技術者には、 「サポート」という目的だけに捕らわれず、 もっと自由に興味の赴くまま学び、 自らのスキルを伸ばしていって欲しいと思ったのです。

OSS 関連のビジネスというと、 すぐ、 サポートでお金を稼ぐとか、 OSS 活用のコンサルティング事業とかの発想をする人が多いのですが、 誰もが思いつく事業だけに、 ビジネスモデルとしては稚拙な部類と言わざるを得ません。 高い技術力がそのまま売りにつながった前世紀ならいざ知らず、 競争が激化してビジネスモデルの巧拙が事業の成否を大きく左右する昨今、 いまだに何の「ひねり」もない「OSS サポート」に固執するのは、 いかがなものかと思うのです。

技術コンサルティング事業というと聞えはいいのですが、 要は「人月ビジネス」です。 どんなに優秀な技術者 (「ピンからキリまで」 の「ピン」ですね) であっても、 一人月 1000万円払ってくれるお客がいるはずはなく、 素人技術者 (以下「キリ」と略記) の 5~6倍の人月単価を稼げば御の字というのが実状ではないでしょうか。 だからコンサルティング事業といいつつ、 高額のソフトウェアを売り付けてライセンス料を稼ぐことのほうが、 メインの目的だったりする会社もあるわけです。

ただあいにく OSS の場合は高額のライセス料を請求するのは無理があります。 せいぜい保守料と称してわずかばかりの費用を請求するのが関の山でしょう。 だから OSS のコンサルティングというのはあまりよいビジネスモデルとは言えません。 ものすごい労力とコストをかけてピンをそろえて (お客に高いね~と言われつつ) 5倍の人月単価を設定するくらいなら、 コストをかけずにキリを大量に集めて格安な人月単価で売りさばく (いわゆる派遣ビジネス) 方が、 経済合理性にかなうというものです。

キリに成長の機会も与えずに 「若いだけが取り柄の労働力」 として派遣して使い捨てにする事業は当然非難されるべきですが、 労働時間では測りしれない価値を持つはずのピンを人月換算してしまう事業もまた、 非難されるべきではないでしょうか? 人月ビジネスでは売上を増やすには人員を増やさざるを得ず、 売上が拡大しても決して余裕は生まれません。 いやそれどころか、 どんどん仕事を片付けてくれる優秀な技術者にどんどん仕事が集中して、 優秀な技術者ほど疲弊する、 という理不尽なことも起り得ます。

頼りにされるあまり、多くの仕事がその人に任されることになる。 できる人に、仕事が集中するのは、よくある話で、 その人は、回りの期待にこたえようとして、遅くまで残業して、 休日も出社したりする。 この状態が、一過性のものだったら良いんだけど、 慢性的なものになると、肉体も精神もぼろぼろになっていく。

ピンとキリでは生産性で何十倍~何百倍 (私は 3桁の差があると日頃から主張していますが) もの差があるのに、 わずか 5~6倍の売上の差しか出せないのは、 「儲ける仕掛け」が無いからです。 ピンの労働時間を人月換算するのではなく、 ピンの技術なしには実現できないような (つまり競合他社には構築不可能な) 儲ける仕掛けを編み出して売上を増幅し、 それによって生じた余裕でピンの仕事量を思いきって抑えることによってこそ、 その優秀さに報いることができるのだと思います。

そうすれば仕事の負荷が軽くなったピンは、 ピンならではの新しい価値を産み出すことに注力できます。 新しい事業のシーズを産み出す研究開発でもいいですし、 あるいは OSS から恩恵を受けている企業であれば、 ピンの人が (勤務時間中も) OSS コミュニティで活躍することを奨励することによって、 OSS の世界に「恩返し」することもできます。

前世紀は技術力が高ければ儲ける仕掛けを誰でも作ることができた時代でした。 つまり優れたソフトウェアなら結構な値段で売ることができたのです。 マーケティングがしっかりしていれば、 開発費を大幅に上回る売上も達成できました。 典型例はマイクロソフトですね。 ピンが作ったソフトウェアを何億本も売ったわけで、 ピンの労働力が人月単価の何万倍もの価値を生んだことになります。 その後 OSS の発展と普及により、 ソフトウェアを売るだけというビジネスモデルは行き詰まりました。 今ほど新しいビジネスモデルが重要となった時代はないと言えるでしょう。

さらにいうと、 技術者が優秀であればあるほど、 その「シーズ」は一般人の「ニーズ」からかけ離れていく、 という難しさもあります。 例えば、 優れたカーネル・ハッカーの技術を、 真に必要とする人が世の中にどれだけいるのか?という問題です。 技術の素人である大多数の消費者にとっては、 小難しい技術のことなんか全く分からないし興味もありません。 高い技術力が売れるどころか、 逆にその高度さが「需要」を減らしてしまう原因となりかねません。

高度な「シーズ」と一般の「ニーズ」を結び付けるには、 高度なビジネスモデルが求められるわけで、 技術者がハッキングの合間に思いつくようなビジネスモデルではお話になりません。 優れたカーネル・ハッカーが、 四六時中寝る間も惜しんでカーネル・ソースのことばかり考えているのと同様、 優れたビジネスモデルを考え出すビジネスの戦略家 (以下、戦略家と略記) は、 四六時中寝る間も惜しんで儲ける仕掛けのことばかり考えています。 素人考えのビジネスモデルが通用すると思うのは、 C言語を覚えたばかりの素人技術者が、 カーネル・デバッグに挑もうとするくらい無謀なことでしょう。

当たり前のことですが餅は餅屋であり、 技術のことは技術者に任せるべきですし、 儲ける仕掛けのことは戦略家に任せるべきです。 優秀な技術者は、優秀であればあるほど、 優秀な戦略家と組むべきなのです。 ところが世の中の大半の会社はそうなっていません。

超優秀なハッカーは互いに認め合う技術者同士ばかりで集まり、 ビジネスモデルの重要性を軽視してしまいます。 ビジネスモデルなんて自分たちだけでも考え出せると思ってしまい、 社員のほとんどが技術者、なんて会社になってしまいます。 実地に売り歩く営業の必要性にはさすがに気付いて営業担当者を数人雇ったり、 あるいは社長が自ら売り歩いたりするようになるものの、 儲ける仕掛けの構築には無頓着で、 旧態依然としたビジネスモデルのままだったりします。 そのため事業を拡大しても余裕が生まれず、 ちょっとした外部環境の変化でたちまち立ち行かなくなる恐れがあります。

逆に、優れた儲ける仕掛けを生み出すことができる有能な戦略家は、 一日24時間、儲ける仕掛けを考え出すことばかりに夢中で、 その仕掛けを下支えする高度な技術のことは軽視してしまいます。 技術なんて下請けをいじめればなんとでもなると考えてしまい、 決して技術者をパートナーとは考えません。 技術者を、売るものを作ってくれる便利な人と考えてくれればまだマシなほうで、 下手するとコストばかりかかる必要悪くらいの勢いで、 原価削減の手法をあれこれ考え始めたりします。 しかし技術を軽視したツケは、いろいろな形で払うことになるでしょう。 事業を下支えする技術が脆弱であれば事業の継続性が危ぶまれますし、 技術面で他社との差別化が行なえずに他社の参入を許してしまうかも知れません。

これでは技術者と戦略家の利害はどんどん対立してしまいます。 この悪循環をくい止める唯一の方法は、 技術者が ──特に、優秀であればあるほど── ビジネスモデルの良し悪しを嗅ぎ分ける嗅覚を持つことです。 誰が優れた「儲ける仕掛け」を生み出すことができるのか、 技術者が判断できるようになれば、 人月ビジネスから抜け出す見込みのない会社を見限ることが できるようになるでしょう。

対称性を考慮すれば、 戦略家が技術の優劣を嗅ぎ分ける嗅覚を持つことによっても、 利害対立の悪循環をくい止めることが (理論上は) 可能ですが、 高度に専門化・細分化してしまった技術を、 技術者ではない戦略家に (優劣を判断できるほどに) 理解してもらうことは現実的とは思えません。 戦略家と技術者が協力しあうには、 まず技術者の側が相手を理解する必要があるのです。

そうすれば、 より優れた戦略家のもとに優秀な技術者が集まるようになり、 戦略家と技術者の利害が一致する方向へ淘汰圧が働きます。 すなわち、 戦略家が優秀な技術者と組むことにより、 技術者には (従来想像していた以上に) 優劣の差があって、 どのレベルの技術者と組むかが事業の成否を大きく左右する、 ということが明らかになってくるはずです。

優秀な技術者が事業にどれだけ貢献し得るか実感できれば、 優秀な技術者に対して、その能力に見合った待遇 ──報酬はもちろんですが、 仕事量を減らして OSS コミュニティへの貢献を推奨するなど── を提供すれば優秀な技術者が集めやすくなる、 ということも実感できるようになることでしょう。

技術者の側からすると信じられないことだとは思いますが、 ピンもキリもそんなに大した差ではない (せいぜい 5~6倍) と、 技術者でない人の大半は感じています。 縁遠い技術になればなるほどこの傾向は強まるようで、 例えばカーネル技術者の中でもメンテナとデバイス・ドライバの開発者とでは、 (技術者の目から見れば) だいぶレベルの差がありますが、 (技術者以外の人で) その能力差を実感できる人は皆無でしょう。

技術者の待遇向上の鍵は、 技術者がビジネスモデルの良し悪しにもっと敏感になること、 すなわち会社における技術職以外の職種の役割についてもっと理解し、 技術職以外の人達についても、 その能力の優劣を見分けられるようになることにこそ、 あるのだと思います。

Filed under: 元CTO の日記,技術と経営 — hiroaki_sengoku @ 07:46
2008年4月23日

学生のうちに身につけて欲しい、たった一つの能力 hatena_b

母校の教壇に立ちました。

20年前に学んだ教室 (私が情報工学科で学んだのは 1987年~1990年) で、 20歳年下の後輩に対して行なった、 私にとって初めての授業体験でした。 勉強会やセミナーで講師をしたり、 学会で発表したりは何度もあるのですが、 授業というのは、 また趣きが異なりますね。 2コマ (約三時間) 自由に話してよい、 ということだったので、 そんなに長時間は話がもたないんじゃないかなぁ、 と少々不安を感じながら臨んだのですが、 幸い多くの質問を頂けて、 気づいたら 30分ほど時間を超過していました。

聞き手の学生さん達は現在 4回生で、 そのほとんどは大学院に進学予定ということだったので、 「学生のうちに身につけて欲しい、たった一つの能力」 というテーマでお話しました。 もちろん、「たった一つ」だけだと 3時間も話を引っ張れないので (^^;)、 私が卒業してから現在までの 16年間の社会人生活で学んだことの中で、 一番重要と思うことを三つ挙げてお話したのですが、 三つもあると覚えてられないでしょうから、 ということで「たった一つ」を強調したのでした。 それは、

質問すること

です。

産業界(特に IT 業界) が大学教育に求めること、 というと「コミュニケーション能力」なんかが 筆頭に挙がってしまうことも多い今日このごろですが、 「みんなと仲良くできる」だけでいいのは小学生までで、 社会で活躍していく上で本当に必要な能力といえば、 間違いなく「考える力」でしょう。

で、どうやって考える力を伸ばしていくかですが、 教科書を読んだり問題集を解くだけで身につくわけもなく、 いろんな人の考えを見聞きしながら自分なりに考えてみて、 次第に考える力が身についていくものだと思います。 だから、 出会った人それぞれから、 どれだけその人の「考え方」を吸収できるかが、 一生の間にどれだけ考える力を身につけられるかを左右することになるでしょう。

もちろん、より多くの人に出会うように努めれば、 より多くの人の考え方を参考にできるわけで、 だからこそ「コミュニケーション能力」が重要と主張する人もいるのでしょうが、 スゴイ人に出会えても、 その人から学べなければ折角の機会も生かせません。 優れた人からどれだけ多くのものを引き出せるか、 すなわち臆せずどんどん質問できるかこそが、 考える力を伸ばす最大の原動力になるのだと思います (もちろん質問する能力も一種のコミュニケーション能力ですが、 「コミュニケーション能力が重要」と言ってしまうと範囲が広すぎて、 焦点がぼやけてしまいます)。

例えば、講演会等で、質疑応答の時間になった時、誰も質問しなくって、 大きな会場が静まり返る、という状況はよくありますよね? その静寂を打ち破って質問できるでしょうか? ほとんどの人は、たとえ質問したいことがあっても、 なかなか声を出せないんじゃないでしょうか?
私が個人的に尊敬している人って、 ほとんど例外なくそういう場でも臆することなく質問できる人なんですよね。 「分からない」と言える勇気を持つことと、スキルアップできること、 との間には強い相関があるように思えてなりません。

というわけで、 今日の私との「出会い」を最大限生かすべく、 講演を途中で遮っても構わないので、 (空気を読まずに) 遠慮無く質問してください、 と話してから本題へ移りました。 まあ、私との出会いが 大した足しにならなかったとしても、 恥ずかしがらずに質問する練習だけでも 2コマの授業時間を費やす価値は充分にあると思います。 「出会い」は今後もたくさんあるでしょうから。

ちなみに、「重要と思うこと三つ」の残り二つは、

技術者の地位を向上させるには、 技術者以外の視点にも立ってみて、 技術者自身が視野を広げていかなければならない

と、

これから社会に出ていく学生さん達が最優先で取組むべきことは、 会社と対等に渡り合える実力を身につけるために、 いま何をすべきか考えることでしょう。 そんな実力を身につけることは自分には永遠にムリと思う人がいるかもしれませんが、 ムリと思えば思うほど実現は遠退きます。

です。

授業で使ったスライドを PDF 化したもの と、
FlashPaper で Flash 化したもの ↓ を公開します。

More...
Filed under: 元CTO の日記,技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 06:56
2008年1月15日

自身の能力をアピールすることは技術者として必須だが、上司にだけアピールするのは最悪! hatena_b

私自身は、 KLab 社内の技術者たちと、 いつまでも技術者同士の関係でいたいと思っているのですが、 技術者の人数が増えてくると、 仕事上の接点がほとんどない人もでてきます。 そして社員の側からすると、 私は (いちおー ;-) 取締役なので、 おいそれとは話せない恐い人などと根拠無く思い込んでるケースも、 残念ながら皆無というわけではありません。

それではいけないということで、 日頃あまり接点のない人たちを中心に、 無理矢理 (^^;) ランチに誘って話する、ということをしています。 先日も隣の部署の N さんと二人でランチへ行きました。 彼とは入社直後の社員旅行で少し話をしただけで、 その後は話す機会がほとんどなかったのです。

それまで私は知らなかったのですが、 実は彼は高専時代にず抜けた存在で、全校で表彰されたこともあったそうです。 プログラミングが大好きで、いろんなものを作っては、 学校内でアピールし注目を集めていたとか。 しかしながら KLab 社内ではどちらかといえば目立たない存在だった (目立たなかったので私も話す機会がありませんでした) ので、 高専での活躍ぶりとのギャップを感じざるを得ませんでした。

そこで、 何がきっかけで自身の成果をアピールするのを止めてしまったのか尋ねました。 すると、

新卒で就職した会社 (≠ KLab) で、 開発ではない部署に配属されてしまった。 何事も挑戦ということでしばらくは配属された部署で頑張ったが、 やっぱりプログラミングを仕事にしたいと思い、 上司に何度も自身の能力をアピールしたところ、 ことごとく却下されてしまった。 それどころかアピールすればするほど周囲の評価も下がるぐらいで、 ついにはアピールするのを止めてしまった。

という答が返ってきました。

確かにそういう人は多いのだろうなぁと思います。 日頃、アピールすることの重要性を説いている私としては残念でなりません。 そもそも誰だって、 他の人より得意なことがあれば、 それを自慢したくなるのがフツーでしょう。 だからアピールする習慣がない人って、 元々アピールするのが嫌いだったというわけではなくて、 何らかのきっかけでアピールするのを止めてしまったのだろうと思います。

きっかけにはいろいろあるでしょうが、 N さんのように、 アピールしても周囲から評価されなかったり、 それどころか怒られたり、 周囲から浮いてしまって仕事が進めにくくなったり、 そういう嫌な経験をすれば、 だんだんとアピールするのが億劫になってしまうのは仕方がないところだと思います。 N さんの話に頷きながら、 ふと一つのフレーズが頭の中に浮かんできました:

自身の能力をアピールすることは技術者として必須だが、
上司にだけアピールするのは最悪!

技術者にとって重要な能力というと、 一つは間違いなく「スキルアップする能力」でしょう。 誰だって最初は初心者です。 プログラミングの勘所が最初から分かっていたなんて人は (たぶん) 皆無で、 初めて書いたプログラムを後に読んでみると、 その稚拙さ加減にあきれてしまう、というのはよくある話です。

最初は誰しも稚拙なプログラムを書いていたのに、 どんどん能力を伸ばす人がいる一方で、 多少は「形」を覚えて「それなりの」プログラムが書けるようになるものの、 本質的には初心者と代わり映えしない人 (偽ベテラン) もいて、 いつのまにか両者の間には生産性で 3桁の差がついていた、 なんてことが起こり得ます。

技術者にとって重要な能力がもう一つあります。 それが「アピールする能力」。 言うまでもなく技術者だけではお金にはなりません。 技術者の能力をお金に換える人 ──例えば技術者が作ったものを他の誰かに売り付ける人──と、 一緒になって初めてお金が稼ぐことができるわけです。 でも、どうやってその「換金してくれる人」を探せばよいのでしょうか?

実は「換金してくれる人」も技術者を探しています。 そりゃ、売るものがなければお金を稼げませんから、 技術者の能力を換金しようと思っている人が技術者を探すのは当たり前ですね。 だからわざわざ技術者の側からアクションを起さなくても、 学校には「求人票」が貼られ、 巷には転職斡旋会社の広告が氾濫しているわけです。 テキトーな会社を選んで面接を受ければ雇ってもらえてお金をもらえます。

とはいえ、受け身の姿勢よりは自ら動いたほうが有利になるのは世の常です。 学校に貼ってある求人票に限定した就職活動や、 あるいは転職エージェントの勧めに従うばかりの転職活動よりは、 自ら主体的に会社探しをしたほうが「高く」換金してもらえる可能性が高まります。

会社に雇ってもらった場合、 配属された部署の上司が「換金してくれる人」になります。 もちろん上司が一人でお金を稼いでくるわけではありませんが、 技術者から見れば、 自身の能力に対して評価し給料を決めてくれるわけですから、 自身の能力を「換金してくれる人」と言ってもいいでしょう (正確に言えば、換金してくれる人たちの集団の窓口的存在ですね)。

ところが、ここに一つ問題があります。 技術者に得手不得手があるのと同様、 「換金してくれる人」にも得手不得手があります。 技術者からすれば、 私はこんなに優れた能力を持っているのに、 どーして換金してくれないんだと思うのと同様、 「換金してくれる人」からすれば、 私はこーいう技術ならお金に換えられるのに、 どーしてそういう技術を持っている人がいないんだと思っていたりします。

「能力を上司が正当に評価してくれない」と不満に思っている場合、 十中八九その上司は、 「求める能力を部下が持っていない」と不満に思っているはずです。 このような状況で、 部下が上司に自身の能力をアピールして事態が改善するでしょうか。 きっと上司はこう思うはずです: 「そんな能力はお金にならない」。

より正確に言えば、 その上司が換金できる分野と、 技術者である部下の得意分野とが一致していないだけなんですが、 部下が自分の得意分野以外のことに興味がないのと同様、 上司は自分が換金できない分野には興味がありません。 そんな上司に執拗にアピールすれば、 事態を改善するどころか悪化させかねません。 技術者がすべきことは、 自身の能力を上司が換金できないのであれば、 他の「換金してくれる人」を探すことです。

ところが、 前述の N さんをはじめ多くの技術者は、 逆のことをやってしまいます。 「換金してくれる人」を探すのではなく、 上司に「換金してくれ」と懇願したり、 あるいはそれが却下されると、 もう世界にはただ一人も換金してくれる人はいないと 探すのをあきらめてしまったりするのです。

冷静に考えれば、 これは全くナンセンスであることが分かりますよね? 一口に IT (情報技術) と言っても、 様々な分野があります。 ある技術者の得意分野を最もうまく換金できる人が、 たまたまその人の上司だった、 なんてことがもし起これば、 それはすごくラッキーなことだと思いますが、 そんな幸運がそうそう起こるはずはありません。

自身の技術を上司が換金してくれなかったとしても、 そんなことは確率からいえば 「よくあること」 なわけで、 決してその技術が 「お金にならない」 ことを意味しません。 自身の技術が上司に評価されないときこそ、 より積極的に、上司以外の人に向かって、 自身の技術をアピールすべきでしょう。

より多くの人にアピールすれば、 それだけ「運命の人」にめぐりあう確率は高まります。 「この分野にかけては誰にも負けない」という得意分野を持っている人は、 より多くの人へ、 部署内だけでなく社内全体へ、 社内だけでなくより広い世界に対して、 どんどんアピールしていって欲しいと思います。 探す範囲を広げていけば、 その能力を換金してくれる人がきっと見つかるはずです。

Filed under: 元CTO の日記,技術と経営 — hiroaki_sengoku @ 11:15
2007年5月16日

技術者の成長に役立つ会社とは?(2) hatena_b

技術者の成長に役立つ会社とは?(1) をとても多くの方々に読んで頂けました。 頂いたコメントや、 はてなブックマークに頂いたコメントを見ると、 賛同/批判 両方の立場から様々なご意見がありますね。 拙文が多くの方々の考えるきっかけになったのだとすれば、 書いた甲斐があるというものです。 特に学生さんにとっては、これから自身の人生を切り拓いていくのですから、 いま自分の将来について考えることは、 必ず後の人生にとってプラスになることでしょう。

以下に述べるのは、私が考える「技術者の成長に役立つ会社」の条件です。 他の人は異なった考えを持つかもしれませんし、 私自身も常に考え続けているので、 「役立つ会社」の条件が変ってくることがあるかも知れません。 しかし、 「技術者の成長にとって一番役に立つ会社を目指したい」というその思い自体は、 私が技術の責任者であり続ける限り、変らず持ち続けたいと思っています。

成長を邪魔しない会社

エラソーに「技術者の成長に役立つ会社」の条件と言っておきながら、 最初の条件が「邪魔しない」かよ、 えらく後ろ向きな条件だな、 という非難の声が聞こえてきそう (^^;) ですが、

上司は思いつきでものを言う(新書)
橋本 治 (著)

にも書かれているように、

会社は上司のピラミッドを骨格として、現場という大地の上に立っている。 「上から下へ」という命令系統で出来上がっていて、 「下から上へ」の声を反映しにくい。 部下からの建設的な提言は、 拒絶されるか、拒絶はされなくても、 上司の「思いつき回路」を作動させてしまう。

ということは、極めてありがちなのではないかと思います。 つまり、上司は体面を保つ必要がありますから、 部下に接するとき、 部下の良いところを誉めるだけではなく、 つい「粗探し」をして一言追加したくなるものだと思います。

だって、部下のことを 100% 肯定するだけでは、 上司の存在価値が危うくなりますからね~。 なにか部下の至らない点を無理矢理にでも見つけ出して、 教訓めいたことを言って上司の威厳を保ちたくなるものでしょう。

もちろん、部下の狭量な考えを正すために、 いろんな意見を言ってやることが必要なケースもあるでしょう。 「思いつきで」言うことが全て悪いと言うつもりもありません。 しかし、 部下の短所を矯正することばかりに熱中していては、 部下が技術者として成長することを妨げることになりかねません。 例えば、

キミは技術は優れているんだが、 もうちょっと仲間とうまく仕事をやっていくよう努力してもらえんかね? キミも社会人なんだから学生気分は早く捨てて、 チームワークを重視して仕事してもらわんと困るよ。

なんて言ってないでしょうか? 技術が (おそらく上司よりも) 優れている部下に対し、 その得意な技術をもっと伸ばすことよりも、 その部下がニガテとしていること、 例えばコミュニケーション能力を 「人並みに」身につけることを優先するよう要求してしまうわけです。

「感情的コミュニケーション」は、 若いうち (例えば 30歳前半まで) は手を出さないようにして欲しい コミュニケーション能力である。 特に研究者や技術者を目指そうとする若い人たちには、 周りの人がどう思うかなんかは気にせず、 (「空気嫁!」などの罵倒は無視して) 我が道を進んで欲しい。

コミュニケーション能力なんて、 歳をとって頭が固くなってからでも充分身につけることができます。 そもそも技術者にとって「人並み」のコミュニケーション能力なんて、 どれほどの価値があるというのでしょう? 技術者としての成長を考えるなら、 若いときにしか学べない「技術の本質」を身につけることこそ、 優先すべきではないでしょうか。

以上は、積極的に「成長を邪魔する」ケースですが、 以下のように、消極的に「成長を邪魔する」ケースも、 ありがちなのではないかと思います。

すなわち、 技術者の成長を第一に考えるのなら、 それぞれの技術者が自身の能力をフルに発揮して、 得意なことをとことん伸ばすことができるような 活躍の場を与えるべきだと思うのですが、 現実の会社だとそういう「適材適所」は、 なかなか難しいケースが多いかも知れません。 適切な活躍の場を与えないというのは、 成長を邪魔しようと意図しているわけではないにせよ、 結果として邪魔しています。

例えば、 新入社員がある特定の分野において素晴らしい能力を持っていたとしても、 その分野の業務に先任者がいたらどうでしょうか? その先任者を異動させてまで、 新人にその分野の業務を任せる、 という会社は多くはないでしょう。 むしろ、 新人が何が得意か検討して配属先を決めるというよりは、 人が足らない部署への配属を優先する会社の方が 多数派であるような気がします。

さらに言えば、 配属後も新人には雑用ばかりをやらせ、 能力を発揮できる仕事を任せない、 なんてこともあるのではないでしょうか。 上司と同様、 先輩にもメンツというのがありますから、 たとえ後輩の方が能力が高かったとしても、 それを素直に認めて立場を逆転させる (つまり先輩が新人の指示に従う) よりも、 新人の至らない点を無理矢理にでも見つけ出すことに熱中し、 雑用を押し付けることに終始してしまうものなのかも知れません。

会社ってのは、 部下や後輩の技術者の成長を邪魔してしまえ、とささやく誘惑に満ちています。 私自身、そういう誘惑に負けそうになることが全く無いと言えば嘘になります。 部下や後輩の技術者の成長を邪魔していないか、 常に自省し続けることこそ、 「技術者の成長に役立つ会社」の第一の条件と言えるのではないでしょうか。

技術者を「技術そのもの」で評価する会社

技術者が邪魔されずに成長できたとしても、 その成長を「技術そのもの」できちんと評価してあげられなければ、 片手落ちです。 技術的に成長したら成長したぶんだけ、 きちんと評価されて給料が上がる、 こうしてはじめて、 技術的に成長しようという意欲が継続するのだと思います。

こういう話をすると、 なぜ技術的に成長したからといって給料を上げる必要があるのか、 と思う人がいるかも知れません。 会社は技術者養成機関ではありませんから、 能力ではなく成果に対して報酬を支払いたい、 と思う人が出てくるのは当然でしょう。 では、「技術者の成果」とは何でしょうか?

「技術者の成果」とは何でしょう?
技術者が作ったものから得られる売上でしょうか? もちろん、それだけではないですよね? 「青色LED」のように最終的に莫大な利益を生み出したものは、 とても分かりやすい「成果」ですが、 サーバシステムの運用などのような縁の下の力持ちの仕事だって立派な成果ですし、 さらに、自分自身では何も生み出さなくても、 社内の技術者を育てることや、 社内の技術をブログなどで発表して会社の知名度を上げることなども、 立派な成果と言えるでしょう。

技術者という人材を「人財」すなわち会社の資産と考えるのであれば、 技術者の成長とは、「人財」の価値の増加、 すなわち会社の資産の増加を意味します。 売上は単にそのとき限りのフローに過ぎませんが、 技術者の成長はストックとなるわけです。 会計数字には現われにくいので見落とされがちなのですが、 技術者自身の成長こそ、 本来は最も評価されるべき「成果」と言えるのではないでしょうか。

しかしながら、 技術者の成長を「技術そのもの」で正当に評価することは、 容易ではありません。 「技術そのもの」で評価しようとすれば、 その技術分野の概要を理解している程度では全くダメで、 いざとなったら部下の仕事を代行できるくらいの技術力が、 評価する側に求められます。

もちろん、 いろんな得意分野を持つ部下たち全員において、 その仕事を完全に代行できることを上司に求めるのは無理な話でしょう。 部下全員の技術力のスーパーセットの技術力を上司の条件にしていては、 上司のなり手がいなくなってしまいます。

かといって、 半期ないし一年における部下の技術面での成長が、 どのくらい優れたものといえるのか評価できなければ、 つまり毎回「よくできました」「もっとがんばりましょう」などの 概要評価ばかりでは、 部下のモチベーションが下がってしまうことでしょう。 まして、技術面で部下の能力を評価するのを放棄して、 部下の関わったプロジェクトの売上高をそのまま部下の評価としていては、 技術的に成長しようというモチベーションを持続させることは不可能でしょう。

給料の一部が売上 (ないし利益等) に連動する、 ということはあってもいいとは思いますが、 技術力に連動する部分もあるべきで、 技術的に大きく成長したときはきちんと給料に反映させ、 あまり成長できなかったときは何が足らないのか、 きちんと指摘してあげるべきだと思うのです。

それには、 部下それぞれの得意分野について、 パフォーマンスの観点では部下に劣ることがあったとしても、 少なくとも技術内容の理解の観点では勝るとも劣らないことが 重要ではないでしょうか。

もちろん、これとて容易なことではありません。 部下が極めて優秀な場合、 その技術的背景をマトモに理解するには大変な労力が必要となるかも知れません。 つい、技術で評価するのを放棄して、 技術とは関係ない点を持ち出したくなるものだと思います。 しかし、 いくら大変でも、いくら時間がかかっても、 部下の技術を一生懸命理解しようとすることが重要だし、 理解しようと努力し続けてはじめて、 「技術力ではないところで部下を評価してしまえ」という誘惑に 打ち克つことができるのではないでしょうか。

得意分野を見つける余裕がある会社

現在の仕事が自身の得意分野に一致していて、 かつその仕事が好きであれば、 技術者にとってそれは理想的な仕事と言えるでしょう。

一生の時間のうちのかなりの時間を仕事に費やすのですから、 一生かけて取り組みたいと思うようなことをすべきだと思うのです。 好きなことをやっててお金がもらえれば苦労はしない、 と多くの人は言うでしょう。 でも、本当に一生かけてもやりたいほど好きなことってありますか?
面接 FAQ (4) から引用

しかし、 「やりたいこと」そのものズバリを、 最初に就職したときから仕事として やり続けてきた、 という人は少数派でしょう。 (私を含めて) 多くの人は、 いろんなことをやっているうちに、 「これだ」という仕事に出会い、 それにのめり込んでいくものなのではないかと思います。

あるいは、 今の仕事が一番自分に向いていると思っていたとしても、 なにかのきっかけで他の分野のことをやってみたら、 その分野のほうが魅力的であると感じ、 どんどん引き込まれてやっているうちに、 そっちのほうが自分に向いていることに気づく、 なんてこともあるかも知れません。

だから、 本業以外にも、 業務と関係ないことでも、いろいろ挑戦して欲しいと思っています。 ふとしたきっかけで始めたことが、 もしかすると自身の隠れた才能が開花することに 繋がるかも知れないのですから。

本業以外に熱中できる新分野を見つけた部下に対し、 「新分野を頑張るのはいいけど本業も忘れずにね」という忠告はするけど、 その新分野への取組みも大いに応援する、 KLab(株)はそんな会社でありたいと思っています。 勤務時間の 10% は本業以外のことを好き勝手にやっていい、 もし見込みが出てきて周囲から認められるレベルになったら、 それを本業にしてしまってもいい、 という「どぶろく制度」を作ったのも、 熱中できることを見つけるチャンスを逃して欲しくない、という思いからです。

本業の完璧な遂行もいいのですが、 自身の能力を最も発揮できる分野は一体何なのか考える余裕は持って欲しいですし、 技術者それぞれが最も自分に向いている仕事に出会えるように手助けすることこそが、 技術者のための技術会社の存在意義なのではないかと思います。

Filed under: 元CTO の日記,技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 07:34
2007年4月24日

技術者の成長に役立つ会社とは?(1) hatena_b

ここ何ヵ月か、就職活動中の多くの学生さん達と話す機会を得ました。 いろんな方々と話しているうちに、 会社選びをしているはずの当の学生さん達の多くが、 いい会社の条件について確固たる基準を持っているわけではない、 という思いをますます強くしました。

「安定している会社」「福利厚生が充実している会社」「技術を教えてくれる会社」 などなど、 なんとなく「いい会社」のイメージを思い描いているだけで、 それが自身の人生にどう役に立つか、 筋道だった考えを持っているわけではないことに 改めて驚かされます。

安定している会社

「いい会社」のイメージとして、多くの学生さんがいだくものの筆頭は、 「安定している会社」「儲かってる会社」「勝ち組企業」でしょう。

先月 4/14 19:30 NHK で、 特報首都圏「就職戦線異状あり・格差社会の不安」と題する番組があった。 新卒の学生さん達が「勝ち組になる」ことを目指して 就職活動を行なっているのだという。
そりゃ、勝てるものなら勝ちたいと思うのは人の常なので、 これから社会に出ていこうとする学生さん達が、 将来勝ち組になれるような就職先を選ぼうとするのは至極当然のことだと思う。
ところが
学生さん達曰く、「勝ち組になるため、儲かっている会社に就職したい」。

ここんところ選挙などもあったからか、 「格差是正」を訴える声を聞くことが多かったのですが、 そもそも「格差」ってのは、 誰と誰との間の格差なんでしょうか? 「儲かっている会社に勤めている人」と、 そういう「いい会社」に雇ってもらえない人との間の格差なんでしょうか? 自身の実力は関係なくて、 「いい雇い主」に雇ってもらえるか否かが重要なんでしょうか? こういう発想には、まるで 「いい家柄」の出身かどうかを気にする階級主義者や 「血筋」を気にする人種差別主義者と似たニオイを感じてしまうのです。

「儲かってる会社」に勤めていて、高い給料をもらっていたとしても、 その能力は会社の中だけでしか通用しないものかも知れず、 逆に、儲かってない会社に勤めていたとしても、 自身の能力を磨くことを怠らなければ、 会社を飛び出して活躍できるようになるかも知れないってのは、 誰もが思っていることですよね? 昔は儲かっていたけど、 今では会社が傾いて、ついにはリストラされてしまった、 ってのもよく聞く話です。 「最後に頼れるのは己れの実力だけ」って 誰もがよく口にするわりには、 こと「格差」を考えるときに限っては、 「実力」より「どんな会社に勤めているか」のほうが先に出てくるのは なぜなんでしょうか?

「実力を磨きたいのは山々なれど、 実力を磨かせてくれるいい会社がない」とか、 「実力うんぬん以前に、 まず先立つモノ (給料) がないと」とか、 「実力はあるつもりだが、 それを正当に評価してくれる会社がない」とか、 そういった声が聞こえてきそうです。

確かに、ほとんどの会社は 実力を磨かせるより、コキ使うほうを優先するかも知れませんし、 実力をきちんと評価してくれない会社が圧倒的多数なのかも知れません。 しかしながら、世の中の 99.9% までそういう会社だったとしても、 実際に勤める会社は (当たり前ですが) たった一社でいいんです。 圧倒的多数の会社が社員の能力を伸ばすことに非協力的だったとしても、 そんなことはどーでもいいじゃないですか。 重要なのは自分が実際に就職する会社がどんな会社であるかであって、 世の中の会社の平均がどんな状況かではないのですから。

福利厚生が充実している会社

「安定している会社」を求める以上に不可解なのが、 「福利厚生の充実度」を気にする学生さん達です。 いったい会社に行って何をするつもりなんでしょうか?

自身の実力で会社に利益をもたらし、 その見返りに報酬を得る、というのなら筋が通っていますが、 それなら「福利厚生」みたいな中途半端なものを求めるまでもなく、 ストレートに自身の貢献に見合う「お金」を要求すればよい話です。 「お金」を求める自信も度胸もないからこそ、 「制度」としての「福利厚生」を求めるのでしょうが、 実力が足らないのを自覚しているのなら、 「福利厚生」を享受するなんて余裕をかましている場合じゃないでしょう?

これから社会に出ていく学生さん達が最優先で取組むべきことは、 会社と対等に渡り合える実力を身につけるために、 いま何をすべきか考えることでしょう。 そんな実力を身につけることは自分には永遠にムリと思う人がいるかもしれませんが、 ムリと思えば思うほど実現は遠退きます。 世の中にはいろんな会社があるのですから、 自身の能力を磨くのに適した会社は、 見つけようとしさえすれば、きっと見つかるはずです。

「20:80 の法則」 (パレートの法則) というものがある。 「売上の8割は、全従業員のうちの2割で生み出している」などの経験則が知られるが、 じゃ、その 2割の従業員だけでドリームチームを作れば、 すごい会社が作れるかというと残念ながらそうは問屋がおろさない。 「2割の従業員」がふたたび「20:80」に分かれてしまうのである。 精鋭チームを作ったつもりが、 そのチームの中の多数 (8割) は売上にあまり貢献しなくなってしまう。 逆に、ダメな従業員だけを集めたダメダメチームを作っても、 その中の 2割ほどは頭角を現し、チームを率いるようになる。
つまり能力を向上させる最良の方法は、自分が上位 20% に入ることを目指せるような集団に属することである。 まさに「寧ろ鶏口となるも牛後となるなかれ」。 上位20% に入ることがどうしても無理なら、 それはその集団が向いていないということである。 牛後に甘んじるよりは思い切って飛び出すべきだろう。

会社をイメージで選ぶのではなく、 どんな会社が自分にとって「いい会社」なのか、 考えることから始めるべきではないでしょうか。

技術を教えてくれる会社

「安定している会社」や「福利厚生」を求めるのに比べれば、 まだマシなのが「技術を教えてくれる会社」を求める学生さん達です。 少なくとも自分の能力を向上させようという意欲は持っているのですから。 しかしながら、 「受け身」の姿勢であるという点では、 大差ないのかも知れません。

「技術を教えてもらう」という態度では、 おそらく永久に上位 20% に入ることはできないでしょう。 「技術は伝えるものではなく伝わるもの」なのですから、 教える側に「充実した伝える方法」(例えば完備された指導マニュアル) を 求めている限り、 決して師匠に追い付くことはできません。 技術の習得に関して誰よりも貪欲であり続けなければ、 上位 20% を目指すどころか、 平均的な先輩たちを追い越すことすら覚束ないことでしょう。

つまり、技術を学ぼうとするなら、 その時点での実力はサテオキ、 「伝わる状態」にかけては自分が一番だと自信を持って言い張れる (つまり、その技術を学びたいという情熱にかけては誰にも負けないと言いきれる) 状態からスタートしなければならないのです。

「技術力のある会社に就職すれば、 そこそこの技術を身につけることができる」 そう考える人が多いのかも知れませんが、 これは二重の意味で間違っています。 すなわち、 「伝わる状態」ができていなければ学べないという意味で間違っているだけでなく、 仮に技術を身につけることができたとしても、 「そこそこの技術」では役に立たないという意味でも間違っています。

インターネットなどの普及によって技術に関する情報が巷に溢れる昨今、 「そこそこの技術」であれば、 会社に勤めなくてもいくらでも身につけることができます。 いやむしろ、 会社に勤めることよりも学ぶ意欲のほうがよほど重要でしょう。 技術力のある会社に就職したから技術が身につく、 なんて甘い考えでいる限り、 できることといえば「技術に慣れる」ことどまりでしょう。

長年やっていれば、誰でもそれなりの技術を習得できます。 極端なことを言うと、 どんなに能力がない人でもそのときの自分の状態にあった程度のことを 実践していけば、 その積み重ねの中でやがてはなんらかの技術を習得することができます。
しかし、このようなものは本来、技術の伝達とはいえません。 これを技術の習得というのも不適切で、 ただ単に技術に慣れただけというのが正確な言い方でしょう。
じつはこのように、 経験と慣れだけで技術を獲得してきた人は世の中にたくさんいます。 私はこういう人を「偽ベテラン」と呼んでいます
組織を強くする技術の伝え方 (畑村 洋太郎 著) から引用

「偽ベテラン」レベルの能力では、 「会社と対等に渡り合える」わけもなく、 そんな「使えない」能力を身につけるくらいなら、 別の分野を目指すべきだった、ということになってしまうかも知れません。

だから、高い技術力を持つから「いい会社」なのではなく、 その技術が自分自身が本当に身につけたいと心の底から思えるような 技術か否かのほうが重要だと思いますし、 技術の高さ低さよりは、 自身が技術を身につけていこうとする際に、 「役に立つ」会社か否かを見極めることのほうが重要だと思います。

では、どんな会社が技術者の成長に役立つ会社なのでしょうか?
続きは次回に...

Filed under: 元CTO の日記,技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 07:46
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