この季節、新卒(見込み)の学生さんを数多く面接してきたのですが、 新卒の段階で既にとてつもなく大きな差がついていることに改めて驚かされました。
中途採用の候補者の方々は、 前職でいろいろ学び経験してきたので、 多くを学んだ人とそうでない人とは大きな差がつくのは、 まあ当然と言えるでしょう。 それに対し、 新卒の学生さんは、これから職業生活のスタートを切るわけで、 差があったとしてもまだその差は小さいと思いがちです。
もちろん、学生さんたちを、 仕事を遂行する能力という点で比較すれば、 優秀な人もそうでない人も、そんなに大差ないでしょう。 この人はスゴイ、と思うような人でも、 入社直後にバリバリ即戦力として働けるか、というと おそらくそんなことはないと思います。
しかしながら、今後大きく成長する可能性が感じられる人と、 早くも既に成長の限界が見えてしまっていて、可能性がほとんど感じられない人、 という点では、 もう既に逆転不可能とさえ思えるような大差がついてしまっています。
可能性が感じられる人、というのはつまり、 自分が何をしたいか明確に分かっていて、 かつその分野の体系的な知識を身につけている人たちです。 現時点ではそんなに多くを習得しているわけではないにせよ、 体系全体を理解していますから、 自分がどこまで知っていて、未知の領域がどのくらいあるか、 感覚でつかんでいます。
一方、あまり可能性を感じられない人、というのはつまり、 自分が何をしたいのか、まだつかみきれていない人、 あるいは、 何をしたいかは分かっているのだけど、 断片的知識の寄せ集めしか身につけておらず、 その分野の体系の全体像をつかめていないので、 自分が何を知らないのか分からず、 井の中の蛙になってしまっている人たちです。
何をしたいかすら分かっていない人については、
先日「人の役に立つことをしたい」と言う技術者の卵たち
で書きましたので、ここでは割愛します。
井の中の蛙とはいえ、自分が何が好きかは分かっている人は、 どんどん自発的に新しいことを学んでいけるので、 短期的には活躍できるでしょう。 しかし雑多な断片的知識はどこまで集めても体系にはなり得ません。 井戸の中しか知らない蛙は永遠に大海を知ることはないのです。 しかも、インターネットが普及した昨今、 断片的知識を得ることは限りなく容易になってしまい、 体系的知識を学ぶことが相対的に困難になってしまっています。
つまり、 今も昔も、 体系的知識を学ぶこと自体の難易度は変わっていないと思うのですが、 断片的知識がインターネット等であまりに容易に 見つけられる (なんせ google 一発ですもんね) ようになってしまったので、 体系的知識、すなわち IT業界で言えば 「情報処理のキホン」を学ぶ機会が減ってしまったと思うのです。 「情報処理技術の基礎を知らない情報技術(IT)業界の技術者」というのは こうやって文字面をみるだけでも頼りない感じがしますよね? (^^;)
そこで KLab(株) ではそういう機会を少しでも提供したいという思いから、 輪読会を実施しています。 現在進行中の輪読会では、
コンピュータサイエンスのための離散数学
Information & computing (61)
守屋 悦朗 (著)
をテキストとして使っています。 ぶっちゃけこの本は説明が簡潔すぎてイマイチなのですが、 あまり分厚い本だと読む前にメゲてしまいますし、 この本で端折っている部分は、 数学科出身のアーキテクトに補足説明してもらっているので、 なんとかなりそうです(反面、1ページ読み進むのに何時間もかかったりしますが ^^;)。
「実力主義・能力主義」で
技術者が「技術だけでどこまでも上っていける会社」 「自分のキャリアパスを明確に描ける会社」それが理想。 出世すると技術がなくなったり、上司がいつの間にか技術者でなくなると、 「いずれは技術を捨てなければならない」と思ってしまう。それはありえない。
と書きましたが、 「技術だけでどこまでも上っていく」には、 技術体系全体を俯瞰して、 自身の現在位置が把握できていることこそ必要だと思うのです。